2月24日、ロシア軍がウクライナに侵攻。この令和の時代に、“戦争”が始まった。その直前、1人の子どもが戦地となるウクライナで産声を上げた。
「代理母出産をやってみないか」
2021年、妻にそう頼んだのは、作家の山口敏太郎さん。1990年代より、“オカルト界のカリスマ”として活躍してきた。
「不妊治療は10年以上試してきて、鍼や漢方であったり、トータルでいろいろなものをやりました。しかし、どれも芳しい結果が出ず……。最終的に慶應大学病院に通いました」(山口さん、以下同)
慶應大学病院は、国内で人工受精を最も多く行うなど、日本の不妊治療において最高峰の権威とされている。しかし……。
「ひととおり試したのですが、そこでも効果は出なかった。もうしょうがないと諦めてはいたんです」
さらにそこに“不幸”は重なる。
「(治療の過程で)カミさんががんになってしまって……。卵巣がんです。卵巣を全部取らなくてはならなかった。もういよいよこれで可能性がなくなった。命が最優先ですから。ただ僕自身、自分の子どもの顔が見たいという気持ちが強くて。僕の単なるわがままだと思うんですけど」
ウクライナならアメリカより安い
山口さんの“頼み”に、妻は「がんの再発がなければやってみよう」と応えた。
「3年経って再発がなかったので、試してみようと。それでウクライナで代理母出産をやっているということで申し込みました。そのときまさか戦争が起こるなんて思ってもみなかったですからね」
そこで旧知の仲であった映画コメンテーターの有村昆を頼った。有村は当時の妻であるフリーアナウンサーの丸岡いずみとの間に、ロシアでの代理母出産による男児を授かっている。
「昆ちゃんに代理母出産のエージェントを紹介してもらいました。(同じく代理母出産をした)高田延彦さんと向井亜紀さんと同じ方だったみたいですね。それで話を聞いたら、かかる金額が、アメリカで行う場合は1億円、ロシアが5000万円。それで“ウクライナが安い”と聞いたところ、諸経費込みで2000万円だったんです。安いわよって言われても2000万円ですからね。貯金ゼロになるじゃんって感じでした(苦笑)。でも、貯金が無くなってもいいかなと。55歳だったから、子どもが大学を出るまでの77歳まで働ければそれでいいのかなと思ったんですね」(編集部注:代理母出産にかかる費用は各国のエージェンシーによって異なる。アメリカにおいても2000万円前後で済む場合もあるが、
そして山口さんはウクライナの地を踏んだ。
実際に妊娠をしてくれる30代の現地女性とは顔合わせの食事をとった。卵子を提供してくれる女性はまた別の女性となった。20代で医療関係の学校に通う女性だったそうだ。
妊娠する女性と卵子提供者を分けるには理由がある。山口さんの妻が話す。
「昔、アメリカで妊娠も卵子提供も同じ女性でやって、産後に“母性”が生じてしまい、“私の子どもだから手放さない”というケースが出てきて問題になって、それで別々になったという経緯があるそうです。うちの場合は卵子が無かったのでウクライナ人の女性に譲ってもらいました」
山口家の代理母となった女性は、今回で4人目の代理母出産だったという。
「実益と人助けを兼ねてやっていると話していました。キリスト教的精神みたいものがあるみたいですね。困っている人がいるのなら助けてあげたいと。当然お金をもらえるし。現地の平均年収の4年分ぐらい相当するみたいです」(山口さん、以下同)
息子はウクライナ人とのハーフ
現在、戦火にあるウクライナは、毎年2000人以上の子どもが代理出産で生まれる“代理母大国”だ。山口さんは現地で刻まれた“歴史”も目にした。
「ウクライナは素朴でいい人が多くて、街もなんだか日本の田舎というか、昭和の日本のような感じですごくよかったですね。現地を観光した際、すごく綺麗な教会がありました。ただそこにはモンゴルに攻められたときの跡が残っていました。いろいろな国に攻められてきた場所ですからね……。民族的におとなしい人が多いんだと思います。それを付け込まれて随分やられてきたんじゃないかという印象を受けました」
山口さんが提出した精子は、その後受精卵となって代理母の子宮に移植し、子宮内膜に着床。今年の1月3日に現地にて産まれた。名前は山口太郎くん。ちなみに妊娠判定がなされたのは昨年の5月。その日は偶然にも山口さんの妻の誕生日だった。
「何か運命的なものを感じました。また、ちょうど結婚30年目だったんですよ。30年間、子どもを欲しいと思ってきたけど、できなかったので……」
息子は当然ながらウクライナ人とのハーフとなる。
「(息子は)パッと見は顔立ちの“濃い日本人”という感じですよね。幸い、カミさんのお父さんとお母さんも、うちの親父とおふくろも可愛がってくれています」
誕生後、1月26日に引き取りに向かった。どの国においても、“運命”としてあってはならないことがウクライナで起こってしまう少し前のタイミングだ。
「引き取りにはカミさんに行ってもらったのですが、その日の夜に外務省から渡航禁止が出ました。行っちゃ駄目だと。死んじゃう可能性がありますから考えてください……。かといって息子がいますから迎えに行くしかない。ドイツ経由で行ったのですが、そのときはまだ飛行機が飛んでいました。カミさんは日本大使館の人に“こんなときに何しに来たんだ”みたいなことを言われて。まぁそう言いますよね……(苦笑)」
「本当は9日間の予定でしたが、6日間で帰ることになりました。当時はまだ公園で子どもたちが遊んでいたりしていました。戦争なの? って感じで。国境付近で何かやってる、危ないらしいくらいで、その時点では現地のキーウの方々も他人事のようでした」(山口さんの妻)
「それから3週間後くらいですか、侵攻が始まってしまった。だから息子はギリギリでした」(山口さん、以下同)
誕生3日後に産院が爆撃された
山口さんの妻は、同じくウクライナでの代理母出産を選択した日本人女性と頻繁に連絡を取っていた。その女性の子どもは太郎くんの誕生から2か月ほど後に産まれたが、その産院は誕生の3日後に爆撃されたという。本当にギリギリだったのだ。
ウクライナからの出国は混み合っており、妻子は予定のルートを変更し、帰国した。
「ドキドキでした。すでに不穏な動きが始まっていましたから、心配で。空港のゲートで息子を抱いたカミさんが見えたときに泣いちゃいました。55歳まで子どもに恵まれなかったから、嬉しかった。本当に……」(山口さん)
話は戻るが、妻として夫から初めて代理母出産を提案されたとき、どのように思ったのか。
「老後の話をしようと思っていたら、代理母って言われて(笑)。結局、うちの不妊というのは私が原因だったので、それで30年間夫婦生活をしてきて、不妊治療でいっぱい迷惑をかけたので、お詫びというのもあれなんですけど、1回やってみようと思いました。ほかの方は2〜3年かかったりするみたいですが、うちはトントンと1年で産まれて。なかなか代理母が決まらなかったりと時間がかかる方も多いそうなんです。着床しなかったり」(山口さんの妻)
夫妻はともに代理母出産について、両親には事前に知らせていなかったという。
「僕たちの親世代は“代理母なんか必要ないわよ”って言うに決まってますからね。産まれる前にエコー写真を持って行ったときに初めて伝えました。産まれてから実家に連れて行ったらデレデレでしたね」(山口さん)
「うちの両親には産まれてから伝えました。正直なことを言うと、私は卵子を生んでおらず、他人の子と言うと表現が悪いのですが……。なので、うちの両親はどう思うだろうと不安でしたが、めちゃくちゃ溺愛してくれています。男の子の初孫だって大騒ぎしていて、よかったです」(山口さんの妻)
代理母出産には否定的な意見も
山口さんは作家としてメディアに出る立場だ。この時代、どのようなことでも“アンチ”を投げかけてくる人がいる。事実、今回の代理母出産についても少ないが否定のコメントが送られてきたという。代理母出産を公表しないという考えはあったのか。
「最初から公表しまくろうと思っていました。こっちから言いまくってやろうと。日本人は人口が減っていますからね。ちょっとでも子どもを増やさないといけないと思っています」(山口さん、以下同)
現在でも否定的な意見を持つ人も少なくないため、代理母による出産を選んだことを周囲に言えないという人もいる。
「なげかわしいことだと思います。代理母出産を選択できる人は選択すべきだと思います。何か事情があって選択できないとか、資金面の事情もありますが。子どもが欲しい人で、選択できる人はすべきだと思います。お金についてはまた稼げばいいじゃないですか。子どもが欲しいと思うならやるべきです。これを第三者が批判すべきじゃないですよね」
山口さんは、代理母出産について「息子に言い聞かせたい」ことがあるという。
「代理母であることに胸を張ってほしい。これの何が悪い。当然反発する人もいるでしょう。“貧乏な国の人を札束で叩いて子どもを産ませるようなことをして”という声も届きました。いろんな意見があるんでしょうけど、少なくとも自分で判断して、自分で稼いだお金だから、自分の価値観でどう使おうと、その人に任せるべきだと思います」
ウクライナ語に反応する息子
山口さんは代理母出産の決断の前に、養子縁組も検討した。しかし……。
「年齢のためにできませんでした。問い合わせた際、年齢を聞かれ“50歳です”と答えたら、“じゃあダメですね”ってガチャンと切られました。その後、食い下がったんですけど、ダメでした。“もうすぐ定年退職で仕事なくなるでしょ”って。55歳や60歳で定年なんて考え方は古すぎますよね。そもそも自分はサラリーマンじゃないから、何歳でも仕事はできますから。収入がない若い世代もいるわけです。年齢で闇雲にダメというのは、あまりにも理解が浅いと思うんですよね。
僕たちはありとあらゆる手を尽くしました。不妊治療の失敗。子どもができない。カミさんががんになる。養子縁組も断られる。もう四面楚歌の状態じゃないですか。代理母しかなかったんです。批判もありますが、子どもが2人も3人もいる人には僕の心の痛みはわからない。わからなくてよくそんな文句言えるな、と。もう少し他人の痛みを感じられる、他人が必死になって下した決断をよしとしてあげる気持ちを持つべきだと思います。法的にOKを出して、日本国内でも代理母出産を認めるべきです」
夫妻の息子である太郎くんの“第2の故郷”となるウクライナは今、大変な状況になっている。
「ニュース映像を一緒に見ているんですけど、彼もずっと見ていて、何か思うところがあるのか、ウクライナ語でしゃべっている映像に反応するんですよ。息子は大きくなったら、ウクライナのために何かやるべきことがあるんじゃないか。そんな気がします。代理母出産というものは、いずれ何十年後かに日本でも認められると思うんですけど、息子にはその道を切り開いてほしい」
山本五十六は彼の父が56歳のときに産まれたため、その名を付けられた。
「息子も55歳の親父を持ったわけです。僕はあと30年後くらいに死んじゃうわけですが、その間に社会の既成概念と戦うオヤジの姿というのを見せてあげたいと思っています。あと息子には戦隊モノなんかに出る役者さんになってほしいというのもあるんですよ。そのために赤ちゃんのうちに映画に出したいと思っているんですよ。親バカですね(笑)」