「ハンターチャンス!」でも知られた柳生博さん

 女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。今回は、柳生博さんらについて。

球界の名士たち

 プロ野球が開幕して早々にロッテの佐々木朗希選手が完全試合という大記録を達成した。その後も、球審と一悶着あったりなど、あの若さで全野球ファンの注目の的になっているのはすごいこと。

756号のホームラン記録達成時には、多くの報道陣が集まった

 随分前、まだ佐々木選手と同じ年頃だった王貞治さんにインタビューしたことがある。

「プロ野球選手として成功するのは、すごいばかか、すごく頭がいいか、どちらかですよ」

 王さんは当時まだ20歳だったのに思慮深い口調でこうおっしゃっていた。そのインタビューでは、読書が好きで、特に推理小説が好きだと教えてくれた。

 一方、長嶋茂雄さんは、本当に天然なお方。真正・長嶋主義者として何度かお会いしたことがあり、私の弟がとびきりの栄養剤をくれたので、長嶋さんに送って差し上げたことがある。

「長嶋です」

 数日後、そう名乗る電話がかかってきた。「え?」、もしかして─、「あの長嶋さんでしょうか?」と聞き返すと、電話口の向こうから「そうです、あの長嶋です」と、明るく独特の口調で返ってきた。

長嶋茂雄

 なんでも、奥さまと飲んでみようと思ったけれど、飲み方がわからないので直接聞きたくて連絡をしてきたのだとおっしゃった。飲み方を説明すると、そのお礼として、後日、立派な胡蝶蘭が届いた。いただいたのは美しい胡蝶蘭だったけれど、やっぱり長嶋さんは、ひまわりのような人だと思う。

 海の向こうでは大リーグが開幕し、大谷翔平選手の躍動感あふれるプレーを見るのが、日課になっている。私は一挙手一投足に注目し、ついには大谷選手が、「ブロッコリーと鮭を食べている」と聞いて、まねて食べるようになってしまった。どれだけ大谷選手が好きなのかと、自分でも呆れるくらい。どちらもアンチエイジングにもいいみたい。がんで亡くなる人が多いから、私も食生活に取り入れ、長寿を願いたいもの。大往生できたら大谷翔平サマサマ、よ。

柳生博さん

『100万円クイズハンター』のMCを務め上げた柳生博(80)

 私は訃報欄で「老衰」という死因を見ると疑問を覚えてしまう。すっかり衰えて死んでしまう─そんな印象を覚える。天寿をまっとうしたとも解釈できるけど、「老」いて「衰」えるという文字の並びが、力尽きたという感じで寂しさを覚える。だから、「老衰」よりも「大往生」のほうがいい。

 そんなことをふと考えてしまったのは、俳優座養成所の同期生だった柳生博さんが、先日「老衰」で亡くなったからだ。奥さまであった二階堂有希子さんも同期。2人とは、気心の知れた仲だった。

 柳生さんは、船乗りになるため東京商船大学(現在の東京海洋大学)に入学するも、体調を崩してしまい中退。そして、役者の道を志した人。私が再独身となり、芸能界に復帰して、9年ぶりのドラマ出演となった『エプロンおばさん』(フジテレビ系)。その夫役が、柳生さんだった。

 柳生さんはいつもニコニコ。頼りない夫役がぴったり。私は元気な役だったから、2人の対照的なキャラが好評を得た要因だったと思う。柳生さんは、「僕は太らないんだ」と、よく自慢していた。

 変わらないスマートな柳生さんだったけど、俳優座時代を知る同期としては、まさかあんなに髪の毛が薄くなるとは思わなかった……。

「これ誰かわかる? 柳生博よ!」

 若い頃の柳生さんの写真を見せて、みんなを驚かせたこともある。あまりに人々のリアクションがよいものだから、その後も彼の写真を持ち歩いて、時折ネタのように写真を見せていたっけ。きっと笑って許してくれるだろうけど、柳生さん、ごめんね。

 奥さまである二階堂さんが認知症となり、園芸家だった長男は若くしてがんで亡くなった。愛妻の介護をしていた柳生さんは、最後まで立派で誠実な人生を歩んだんだと思う。だから、彼が「老衰」という力のない最期であったとは思えないし、思いたくない。

ふじ・まなみ 静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。

〈構成/我妻弘崇〉