5月25日、特別展『琉球』の会場である東京国立博物館へ到着された雅子さま

「雅子さまをご案内したのは初めてでしたが、最初から最後まで熱心にご覧になっていました。染織品や漆の工芸品の技術にも興味がおありのようで、材質や重さについてお尋ねいただきました」

 天皇・皇后両陛下は5月25日、東京国立博物館 平成館で6月26日まで開催される沖縄の本土復帰50年を記念した特別展『琉球』を鑑賞された。案内人を務めた同館の三笠景子主任研究員は、冒頭のように振り返り、こう続ける。

両陛下、地方公務はしばらく先か

「特に印象的だったのは、重要文化財である『万国津梁の鐘』をご覧になった雅子さまが、“戦争の傷ですか”と、おっしゃったことです。

 両陛下は、限られた時間の中でもひとつひとつの展示物について、じっくり語らいながら回られており、“本当はゆっくり見たい”というお気持ちが感じられました。雅子さまは、陛下のご感想に対し、繰り返し頷いていらっしゃいました」

 展覧会鑑賞などで、両陛下がおふたりで外出するのは約2年3か月ぶりのこと。

「世間では“脱・マスク”など、ポスト・コロナの動きが高まり、皇族方のお出ましの機会も日ごとに増えています。コロナ禍の約2年間、行事の中止やオンラインでの参加を余儀なくされてきましたが、皇室は“元の姿”を取り戻しつつあるといえるでしょう」(皇室担当記者)

 とはいえ、両陛下が地方へ足を運ばれるのは、まだ先になりそうで……。

「イベントなどではいまだに人数制限などもあり、完全に規制がなくなったわけではありません。そんな中、皇室が率先して“脱・コロナ”の姿勢を示すことはありえず、社会の状況を踏まえて判断されるでしょう。

 式典での対策は主催者側の判断ですが、移動時などの対策は宮内庁が主体的に講じる必要があります。皇族方の地方訪問が再開しても、両陛下はしばらく先になるのでは」(宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司さん)

 沖縄県が本土復帰してから50年の節目である5月15日に行われた『沖縄復帰50周年記念式典』にも、両陛下はオンラインでご出席。愛子さまが、テレビで鑑賞される中、陛下は同式典で次のおことばを寄せられた。

「若い世代を含め、広く国民の沖縄に対する理解がさらに深まることを希望する」

 しかし、その実現は容易くないことが露呈した。

「式典はNHKで中継されたものの、平均視聴率は沖縄地区で16・1%、関東地区で2・2%と、大きな差がありました」(前出・記者)

雅子さまが慕われた“おじちゃま”

 この事実は、天皇ご一家に重くのしかかる。

「宮内庁のHPには“忘れてはならない4つの日”として、広島・長崎の原爆の日、終戦記念日とともに、6月23日の沖縄慰霊の日が示されていて、天皇ご一家は、それぞれの日に黙祷を捧げられます。戦争体験を伝え、戦没者を慰霊することは、上皇ご夫妻から継承された“使命”であると同時に、その行動を国民に伝えることも重要なのです」(同・記者)

『全国豆記者交歓会』の代表で、'63年から計100回以上にわたって皇室ご一家と交流してきたという山本和昭さん(92)はこう語る。

「沖縄が本土復帰したとき、陛下は中学1年生でした。ただ、上皇ご夫妻のご意向により、物心ついたころから、沖縄の子どもたちや、豆記者として沖縄へ派遣された本土の小中学生と面会する機会が設けられていたため、沖縄の事情をよく理解しておられたと思います」

 本土との架け橋となることを目的として活動する沖縄の豆記者。昭和、平成、令和まで、交流は受け継がれている。

'72年8月、豆記者交歓会に参加された天皇ご一家(当時)

「皇太子時代のご夫妻は、豆記者を東宮御所に毎年お招きになりました。雅子さまはもちろん、'16年には、当時中学3年生だった愛子さまも一緒に歓談されています。雅子さまは折に触れて沖縄に対する理解を深めてこられました。これからは沖縄を肌で感じていただきたいと願うばかりです」(山本さん)

 皇室と沖縄をつないできた人物は、豆記者だけではない。

雅子さまの“大恩人”といわれている野村一成さんです。'06年から'11年まで東宮大夫を務め、ご一家のオランダ静養を実現すべく奔走。雅子さまのお父さまである小和田恆さんがロシアの日本大使館に勤務していたときの部下でもあり、雅子さまは幼いころから“野村のおじちゃま”と、慕っておられました」(宮内庁OB)

 昨年7月に肺炎のため81歳で亡くなったが、晩年は、沖縄平和祈念堂を管理する『沖縄協会』の会長を務めた。

「外務省の沖縄大使として、'00年の『沖縄サミット』に貢献して以来、長きにわたり地域復興に尽力なさったことは、言うまでもありません。雅子さまは、慰霊訪問を通じて、国母としてのお務めを果たす姿勢を、天国の野村さんに届けたいというお気持ちも強いと思います」(同・前)

 沖縄に対して並々ならぬ思いを抱かれる雅子さまに、“チャンス”が巡ってきた。

25年ぶりの沖縄訪問実現へ

「“四大行幸啓”の1つである『国民文化祭』が、今年10月から11月にかけて沖縄県で開催されます。そのときの社会情勢にもよりますが、現段階では、両陛下も足を運ぶ方向で準備を進めておられるとお見受けします」(宮内庁関係者、以下同)

 四大行幸啓のうち、ほか3つは、昭和時代から続く『植樹祭』と『国民体育大会』、平成時代に加わった『全国豊かな海づくり大会』だ。

「国民文化祭は、浩宮殿下時代の陛下が“第1回”にご臨席したことを機に、平成時代は皇太子ご夫妻として出席されていました。雅子さまは、国民と深く交流できるこの行啓を大切にしています」

 '20年と'21年の同祭は、コロナ禍の影響を受けてオンラインでの出席となった。

「思い入れの強い公務であるうえ、沖縄での開催ですから、“現地に赴きたい”と、お考えでしょう。本土復帰50年というメモリアルイヤーであることを念頭に、地方公務再開の最初の地に選ばれる可能性は高いと思います」

 両陛下がそろって沖縄を訪問されたのは、'97年7月の1度きりだ。

本土復帰から25年の節目の年、両陛下(当時皇太子ご夫妻)そろって沖縄を訪問し、戦争犠牲者に祈りを捧げられた('97年7月)

「沖縄の本土復帰25周年の節目の年に、『全国農業青年交換大会』に臨席するタイミングで、沖縄戦没者墓苑や『平和の礎』を巡られました。その後、皇太子時代の陛下は'05年や'10年など、数回にわたり沖縄を訪問されているものの、療養中の雅子さまのお姿はありませんでした」

 移動時間が長く、地域住民や報道陣の注目を集める地方公務は、雅子さまにとってハードルが高いとされていたが、

「令和になってからの雅子さまは、地方で行われた四大行幸啓に、すべて出席されました。予定に合わせて、何か月も前から体調を整えるように務めていると聞きます」

 前出の山下さんは、地方公務の重要性をこう説く。

「主目的は式典へのご臨席ですが、地方の人々と直接ふれあう機会は、国民とともに歩む皇室にとって非常に大切です。できるだけ早く地方訪問ができるよう、宮内庁は方法を模索していると思います」

 雅子さまは“追憶の場所”で、新たな一歩を踏み出される─。


山下晋司 皇室ジャーナリスト。23年間の宮内庁勤務の後、出版社役員を経て独立。書籍やテレビ番組の監修、執筆、講演などを行っている