2020年、福岡県篠栗町で起きた5歳男児餓死事件。母親である碇利恵被告(40)は、ママ友の赤堀恵美子被告(49)と共謀。碇被告の三男・翔士郎ちゃんを餓死させたとして、保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕された。
碇被告の裁判員裁判、10日に行われた第5回公判では、赤堀被告が証人として出廷。17日、碇被告に懲役5年(求刑懲役10年)の判決が言い渡された。いわゆるママ友に「洗脳」された上での事件との見方が強く、ネット上でも大きな関心が寄せられている。
さらには「食事を制限する」というその虐待手法にも衝撃が走った。死亡した男児の体重は、5歳児の平均の約半分の10キロしかなかったのだ。
あまりに痛ましすぎる一方で、なぜそこまで母親は洗脳されてしまったのか。実は過去にも、このケースと非常によく似た「餓死事件」が起きていた。
学校も母親も「ママ友」の話を鵜呑み
事件が発覚したのは2004年(平成16年)。その2年前の2002年(平成14年)に大阪で当時12歳の男児が栄養失調からの衰弱により死亡した。ところが、当初この男児の死は事件として扱われていなかった。男児は長く不登校の状態にあり、精神的に問題があるということで学校側もそれを把握していたのだ。男児が衰弱したのも、自ら食事を拒否していたという話だった。
しかし2年後、大阪地検がこの男児の母親を起訴していたことが判明。警察は、「慎重に捜査した結果」と逮捕理由を明かしたが、このとき母親の友人の女も逮捕起訴されていたのだ。
2人の逮捕容疑は保護責任者遺棄致死と監禁致死。ふたりは共謀し、1年7か月にわたって男児を四畳半の部屋に閉じ込めたうえ外から南京錠をかけ監禁、そして食事を満足に与えず結果として死亡させていた。
母親は男児が死亡したときから一貫して、「息子には精神的な障害があり、食事を嫌がった。すべて治療の一環であり虐待ではない」と主張、ママ友も同じことを話していた。
実際、男児は小学4年生のころから不登校となっていたが、学校とのやり取りはなぜかこのママ友が行っていた。自身を「代理人」と称し、男児の様子を学校に報告するなどしていたが、学校はそのママ友の話を鵜呑みにしていたという。
このママ友の子どもも男児と同じ小学校に通っており、ママ友はそれまでもシングルマザーや障害のある子どもらの世話役を買って出ることがあったため、学校関係者らもそのママ友に一定の信頼を置いていたのだ。
シングルマザーだった男児の母親は、昼も夜も働いていた。いつからか、ママ友は「子どもの世話を見てあげる」と言い、そしてそれはママ友の自宅近くに引っ越すほどの「信頼関係」へと発展する。
あるとき、母親はママ友から驚くべき話を聞かされた。男児がママ友の子どもに暴力を振るったり、突然意味不明な話をし始めたり、あげく、石鹸を食べたりするのだという。
母親は仕事で忙しく、男児の様子はママ友のほうがよく把握していた。そのママ友から聞かされたすべては、母親にとって疑う余地のない確定事項として落とし込まれていく。実際に男児は何度か家出をしたり、反抗的な態度に出るといったことがそれまでにもあったのだ。
するとママ友は、「学校でもそんなことをするかも」と言った。そんなことは絶対に避けなければならない。混乱した母親に、ママ友はこうアドバイスした。
「私が面倒見てあげるから、学校には行かせなくていい」
学校には「代理人」としてママ友が対応した。男児が精神的に不安定ということ、人と会うと悪化する、専門のカウンセラーをつけている……。
ママ友は言葉巧みに学校を黙らせ、面会を希望する担任を遠ざけた。が、あるとき、担任がベランダ越しに男児の姿を確認できたことがあった。ところが、確認できたことで学校側はかえってママ友の話を信用してしまった。
ママ友はもともと面倒見のいいお母さんで通っていた。自分の子どもがやきもちを焼くほど、困っている母子の世話をしていた。このお母さんになら、任せておいても大丈夫だろう、そんな空気が学校にもあったようだ。
そうはいっても学校としては定期的に確認をしたがった。ママ友はそのたびに、「もうすぐ通えるようになる」などと言ってはぐらかした。しかしその頃、男児の環境は著しく悪化していたのだ。
実際の男児は、食事をきちんと食べないという理由でおかゆから流動食にさせられ、回数は1日1回になっていた。そして、平成14年8月、衰弱からの急性肺水腫で亡くなった。
裁判で明らかになったこと
裁判では母親が主張していた男児の複数回の家出、自傷行為、異食、食事拒否についても審理された。
すべての行為は男児の問題行動を直すためのものだと母親は信じて疑っていなかったが、一つ一つを見ていくと実は男児にそんな問題行動は起きていなかったことが分かった。
実際に起きていた家出も、近くで暮らす祖父母のもとに逃げ込んでいたのだ。祖父母は孫の様子がおかしいことから母親に話を聞こうとしたが、そのときもママ友が涙ながらに「私が必ず立ち直らせますから!」と話し、祖父母は黙るしかなかったという。
しかし祖父母からの疑いの視線を感じたママ友は、すぐさま家の電話を取り外し、祖父母に預けていたマンションの合鍵も取り戻させた。そこから2年、祖父母は男児が死亡するまで、男児に会うことができなかった。
自傷行為については、ママ友の助言で学校に通えなくなって以降のことだった。となれば、事態の深刻さを感じた男児が、悲観してとった行動ともいえる。石鹸を食べたなどという話はもはや事実であるかどうかが疑わしかった。
男児はそれまで、学校でも家でも何ら問題のない子どもだった。学校側もそれを証言し、男児がおかしくなったから閉じ込めたのではなく、閉じ込めたがゆえに起きた行動だったと主張した。
大阪地方裁判所は、主導的な立場にいたとしてママ友に懲役9年、母親には懲役8年を言い渡した。
洗脳する側、される側の共通点
ママ友が絡む虐待死事件においては、なぜそこまでママ友の言うことを聞いてしまったのか、ということに関心が集まる。洗脳事件においてありがちな、金を巻き上げるといったことはママ友事件においては実はさほど重要ではないように思う。
この大阪の事件でも、実際に金のやり取りはあったがそれは月額2万円、謝礼の域を出ないものだった。
それよりも、洗脳する側される側の個々を見てみると、面白いほどよく似ている。世話焼きで親身に相談に乗ってくれる頼りがいのある人。すべてではないが、どっしり体型が多いのも安心感につながる。ただ幼いころからそんなに目立っていたわけではなく、ママ友ネットワークだけがすべてで、一歩その外に出ると実は誰からも相手にされないという不満を抱えている。現実の自分を受け止められていないのだ。
一方の洗脳される側は、ママ友に出会うまではとにかく頑張って真面目に生きてきた人が多いように思う。ただ、余裕のなさもあるのか、イレギュラーなことが起こると自分で考えたり対処したりできず、身近な誰かに縋ってしまうようなタイプ。
自分で考えることを放棄しているからこそ、ママ友の言うことだけを鵜呑みにして離婚や引っ越しまでしてしまうのだ。
その最悪のケースが、我が子への信じられない仕打ちである。
大阪の事件では、裁判所が「(ママ友に)丸投げしたほうが楽だと気付いたのではないか」と母親の心情に言及していることからも、洗脳された側にもある種他人に任せることで責任放棄できるといった「狡さ」があるのかもしれない。
この事件が発覚した平成16年には、大阪・岸和田で当時中学3年生だった少年が、実父と継母から同じように監禁され餓死寸前となる事件も起きていた。
ママ友の洗脳事件に限定すれば、1999年(平成11年)ひたちなか市で友人の6歳の子を共謀して虐待死させた女が逮捕され、また愛知県では逮捕起訴こそされなかったが、刑事裁判で「共同正犯」と認定された女も、友人の子の問題行動をでっちあげて母親を翻弄し、せっかん死させたという事件もあった。
いずれも、家族ら周囲との間に溝を作らせ孤立させる、子どもの問題行動をでっちあげて不安を煽る、荒唐無稽な嘘を信じ込ませるなど経過は似ている。
子育てはときに孤独で、そんなときに気が合うだけでなくどんな相談にもアドバイスをくれる頼もしいママ友に出会ったら。
私は大丈夫、そう思っていても人の心は脆い。彼女たちもみな、自分は大丈夫と思っていたはずだから。
読売新聞社 平成15年2月4日中部朝刊、平成16年3月5日東京夕刊、3月6日大阪夕刊、3月8日配信
四国新聞社 平成16年3月6日朝刊
沖縄タイムス社 平成16年3月6日朝刊
佐賀新聞 平成16年3月6日
産経新聞社 平成16年3月6日東京朝刊、大阪朝刊、3月8日大阪夕刊、平成17年10月27日大阪朝刊
朝日新聞社 平成16年3月6日朝刊、大阪夕刊、3月7日東京朝刊
毎日新聞社 平成15年1月20日中部朝刊、平成17年9月10日、10月27日大阪朝刊
NHKニュース 平成16年4月16日
中日新聞社 平成15年3月6日夕刊、3月21日朝刊
本日の気ままな事件日記
2005年度家族法ゼミ
「殺人者はいかに誕生したか」 長谷川博一 著(新潮社)
事件備忘録@中の人
昭和から平成にかけて起きた事件を「備忘録」として独自に取材。裁判資料や当時の報道などから、事件が起きた経緯やそこに見える人間関係、その人物が過ごしてきた人生に迫る。現在進行形の事件の裁判傍聴も。
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