あの“平成の一発屋”鼠先輩(49)が、久しぶりに新曲をリリースした。歌謡曲テイストの『ありがとさん』、子どもも一緒に歌って踊れる『ピピポ体操』、海外進出をもくろんだ『ピピポ体操(英語バージョン)』と、なんと3曲同時リリースである。
いずれの曲にも、大ヒットしたデビュー曲『六本木~GIROPPON~』の「ぽっぽぽっぽ〜」を彷彿させるような「ピピポピポパポピー」というフレーズが入り、一度聴いたら耳から離れない。
しかしなぜ、ここにきて精力的な歌手活動を再開したのか、本人に直撃してみた!
造園業のバイト中歌詞が浮かぶ
「一度、ねずみ年だった'20年に復活プロジェクトが立ち上がったんですが、その数か月後にはコロナ禍に突入。イベントを行うことができなくなったため、復活の話は一切なくなりました。そしてコロナ禍を経て、このタイミングでの復活になったんです。
コロナはエンターテイメント業界に大打撃を与えました。私も決まっていた営業は全部なくなったし、経営していたバー3軒はすべて閉店。収入がゼロになったので、知り合いの造園業者のところでアルバイトを始めたほどです。でも、剪定しているときにメロディーや歌詞が浮かんでくるし、『やっぱり自分はやりたいことをやろう!』という結論になり、曲と歌詞とミュージックビデオまで、すべて自分で作りました。家計から持ち出すお金が増えたので、妻からはものすごく怒られましたが」(鼠先輩、以下同)
実は、メディアの露出は減っていたものの、コロナ前の鼠先輩の活動は順風満帆だった。主にイベント出演などの営業とバー経営の両輪で、専業主婦の妻と中学生と小学生の2人の娘を養っていたのだ。
現在は、東京・東村山にあるバーにプロデュースという形で関わっているものの、それ以前は池袋と新宿にも出店していた。鼠先輩といえば、2008年のデビュー曲『六本木~GIROPPON~』が大ヒットしたわけだが、なぜ六本木には出店しなかったのだろう?
「人生を変えてもらった街なので言いにくいですが、実はあんまり六本木の水が合わないんです。もちろん、六本木に感謝はしています。でももともとは『バンドで有名になるぞ!』と岡山県から上京してきた人間ですから、どうも敷居が高くて。高円寺あたりのほうが落ち着くんです」
鼠先輩の憧れミュージシャン「甲本ヒロト」
同郷のミュージシャン、甲本ヒロトに憧れていた鼠先輩。地元では友人と結成したバンドで『BSヤングバトル』(NHK・BS)の岡山大会で優勝するなど、根はゴリゴリのバンドマンだった。
「ロック歌手になりたかったんですけど、気がついたらパンチパーマで『ぽっぽぽっぽ』歌っていました。でも、これはこれでよかったのかなあって。これもひとつのロックの形だと僕は思っています」
2008年に一躍ブレイクした鼠先輩には、殺人的なスケジュールの日々が待っていた。平日はテレビ局をはしごし、週末は営業に精を出し、その合間にはメディアの取材が挟み込まれた。
「でも、鼠先輩でデビューしたのは35歳になってからで、社会人も経験していたので、自分のブームについては『一過性のものだろうな』と、非常に冷静に捉えていました。舞い上がることもなかったし。そもそもこの格好で偉そうにしていたら、ただの嫌われ者ですよ(笑)」
山本譲二と交わした杯
そのころから現在も、大変お世話になっている人物がいる。
「全盛のころ、地方でディナーショーをやらせていただく機会がありました。そこには、僕以外に山本譲二さん、鳥羽一郎さん、角川博さん、香西かおりさんという、大御所ばかりがそろわれていたんです。そんななか、スケジュールの都合で僕は最後に到着してしまったんですね。
みなさんが集まっていらっしゃる場所に恐る恐る行くと、すでに譲二さんがワインでベロンベロンになっていて。そこで『初めまして、鼠先輩と申します』と挨拶したら、『おまえは一番後輩のくせに俺に“先輩”と呼ばせるのか!?』ってすごんできて、もう、生きた心地がしなくて、『いえいえ、僕のことは好きなように呼んでください!』としか言えませんでした(苦笑)。
その後、高いワインを注がれて『飲め』『はい!』……って。それで杯を交わしたようなものです(笑)。そこからは『歌手とは』『芸能界とは』と深〜く教えていただきましたね。でも、その翌日にはケロッとされていて、お小遣いをくださいました。それからは何かと可愛がってくださっていて、今に至ります。
今回の新曲のPRのクラウドファンディングにも、譲二さんから応援コメントをいただきました。男気もユーモアもあって、本当に尊敬する方です」
妻・2人の娘の大きな支え
大先輩だけでなく、家族の支えも大きい。妻は10代のころ、地元のアルバイト先で出会った、中学の先輩だ。
「妻の支えは大きいです。夫がパンチパーマにしていても咎めるわけでもないですし。浮気だって何回もバレてます。今はしてないですけど」
ちなみに、2人の娘たちは父が鼠先輩であることを知っているのだろうか?
「中学生の長女は早い段階からわかっていたんですが、小学生の次女には、彼女が小1のころまでは『パパの仕事はシステムエンジニア』と伝えていました。でも、2~3年前にテレビで僕の写真が出て『これ絶対パパだ! なんで隠していたの!?』となり、そこで正体がバレました。
だってこんな頭してる人、今いないでしょ? パーマ代は数週間おきに1回1万円くらい。衣装と一緒ですから、経費で落とせます。でも面倒くさいですし、やめたいんですよね(笑)」
そんな愚痴をこぼしつつ、「鼠先輩をこのまま続けていくことがいいと思っている」
と、本人は口にする。
「歌で救われてきたし、勇気づけられてきたし、歌が持つパワーって絶対にあると思っています。だから、それを見せつけたいですね」
今回リリースする3曲について、「パ」行の連発が続くため“究極の飛沫ソング”と呼んでいる。
「『飛沫を飛ばしても気にならない、以前の世の中に戻ってほしい』という思いも込めました。あと、この新曲で『紅白歌合戦』の大トリを目指していますから。譲二さんと出場できたらうれしいですよね。そして、『ピピポ体操(英語バージョン)』では世界進出を狙っています。ピコ太郎さんみたいに」
『ありがとさん』『ピピポ体操』どちらにも登場する「ピピポピポパポピー」という歌詞は、レコーディング時の仮歌で適当に入れたフレーズだそう。それを耳にした次女もいつしか「ピピポピポパポピー」と口ずさむようになった。「これはウケる!」と確信した鼠先輩。そのまま、歌詞として採用したそうだ。つまり、家族一丸で生み出した楽曲である。
「『ピピポ体操』は小さい子も楽しめる曲だと思いますから、今回の3曲は、家族みんなで聴いてほしいですね。そしてカラオケに行って、楽しく歌う。そんな普通の日々が早く取り戻せたらなあって、考えています。もう次女にも正体がバレましたしね。心おきなく営業もできます(笑)」
『ありがとさん』『ピピポ体操』『ピピポ体操(英語バージョン)』。デジタルシングルとして同時リリース。現在、これらの宣伝費をクラウドファンディングで募っている。
<取材・文/寺西ジャジューカ>