篠原ともえ

 かつて'90年代に奇抜な格好に独特なキャラで人気を博した篠原ともえが今、話題だ。

主にはデザイナーとして活動している篠原さんが、100年以上続く歴史ある国際的な広告デザインのコンテスト『ニューヨークADC賞』で表彰されたのです。受賞作はエゾ鹿の革を使った着物。革を糸で縫わずにつなげたいという篠原さんの要望に、熟練の職人さんも“無理だ”と意見が対立したこともあったぐらい、こだわった力作なのです」(ファッション誌編集者)

染料を吹きつけた革を重ね合わせ、山の稜線のような模様を表現した受賞作の着物(篠原ともえのインスタグラムより)

松任谷由実、嵐らの衣装も手がけるようになり 

 '95年、16歳でデビューした篠原は、安室奈美恵のファッションをまねする“アムラー”ならぬ、独自のセンスをアピールする“シノラー”を名乗って注目を集めた。

「カラフルな衣装を着たハイテンションの個性派キャラは、今人気のフワちゃんのような存在。'96年に『クルクルミラクル』というシングルを出して歌手活動もしており、芸能活動で多忙だった篠原さんでしたが、高校ではデザイン全般を、大学では服飾デザインを専攻するなど、学業もキッチリ修めています。衣装デザインを自ら描いて提案したり、当時つけていたアクセサリーも彼女の手づくりだったそうですよ」(スポーツ紙記者)

 明るく元気な篠原だったが、スキャンダルが報じられるとともに、テレビへの出演は次第に減少。だが、新たな道でキャリアを積んでいく。

「'13年に松任谷由実さんのステージ衣装を手がけたことを機に、『嵐』の衣装も手がけるなど、ファッションデザイナーとして活躍していきます。このころから自身のファッションも、清楚な雰囲気に変わっていきました。'18年にはアートディレクターの男性と結婚。母校の短大で学び直し、'20年にはデザイン事務所を立ち上げました」(前出・ファッション誌編集者)

世界的な賞の受賞に父親が語ったこと

 今や世界的デザイナーとしても認められるようになった篠原だが、その起点は母親にあった。10歳のとき、母親に手づくりのプレゼントを渡した出来事を新聞のインタビューでこう語っている。

《母は大喜びで褒めてくれた。それがすごくうれしくて(中略)物作りの原点はここにあると思います》

かつての篠原ともえはカラフルな服装にぱっつん前髪がトレードマークだった

 娘が評価され、両親もさぞうれしいことだろう。都内の実家を訪ねると、元寿司職人の父親が取材に応じてくれた。

 まず、世界的な賞の獲得について感想を聞くと、

「おかげさまで。ありがとうございます」

 と、少しだけ顔がほころぶ。

─デザイナーを目指したきっかけは、お母さんの影響?

きっかけは確かにそうなのかもしれませんが、親としてはただ見ているだけで。芸能界も含め私たちにはわからない世界ですから、ああしなさい、こうしなさいというのはないんですよ

─彼女が自分の力で切り開いてきた?

自分なりに考えて一生懸命頑張っていると思います。身体に気をつけて、好きなことを思う存分にやってほしいですね

 娘のことを信頼し、温かく見守ってきた家族がいたからこそ、今の彼女がある。