真保健児さん 撮影/齋藤周造

 コロナ禍が葬儀にも影響を及ぼす中、「エンバーミング」が今、注目を集めている。遺体に消毒、防腐を行い、きれいに修復して長期間の保全を可能にする特殊技術だ。その資格保有者のひとりであり、「葬送のプロ」からの信頼も厚い真保健児さんは、死を見つめ、遺体と向き合い、エンバーミングを通して遺族に寄り添い続けてきた。JR福知山線の脱線事故の際にも実施された、知られざる「おくりびと」の世界に迫る!

最長で50日間衛生的に保全可能

「エンバーミング」という言葉をご存じだろうか。遺体を修復し、特別な防腐処置を行うことで長期間の保全が可能になる技術のことだ。葬儀サービスのひとつで、日本語では「遺体衛生保全」と訳されている。

 通常、遺体はそのままにしておくと腐敗が進行してしまう。それを防ぐには、ドライアイスや保冷庫を使う方法が一般的だが、長期間の保全は難しい。ところがエンバーミングをすることによって、なんと最長で50日間も遺体を衛生的に保全できるという。

 一般社団法人『日本遺体衛生保全協会』(以下、IFSA)によると、エンバーミングの実施件数は近年、増加傾向にある。2021年には5万9440件に達し、2010年の2万1310件から倍以上となった。しかし一方で、故人を「きれいな姿で送ってあげたい」という思いがあっても、その方法がわからない遺族もいまだに少なくない。

エンバーミングルームで、真保さんは手順をひとつひとつ、丁寧に説明してくれた 撮影/齋藤周造

 関東地方に住んでいた高齢男性の遺族の場合も、そうしたケースのひとつ。亡くなった男性は自宅でひとり暮らしをしていた。男性の娘をはじめ家族が頻繁に会いに行ったり、連絡をとったりしていたが、たまたま連絡できない日が続いた。その間に、不幸にも男性はひとりで亡くなってしまったのだという。

「娘さんは、しばらく会いに行けなかったことを悔やんでいました。ご遺体の状態がかなり悪かったのですが、“いちばんいい方法で、きれいな状態で送ってあげるにはどうしたらいいか”と相談されたのです」

 そう話すのは、エンバーミングを行う技術者、『エンバーマー』の真保健児さん(49)だ。日本では現在、エンバーミングの資格保有者は250名前後といわれている。そのほとんどが葬儀社に勤務する中、真保さんは独立系のエンバーマーとして、これまでに1500人以上にエンバーミングの処置を行ってきた。

「亡くなった男性のご遺族はエンバーミングについてご存じありませんでしたが、詳しく説明し、ケアをさせていただくことになりました」

 故人は生前、「自分が死んでも葬式はいらない。お金をかけるな」と言っていた。その思いを酌んで葬儀は行わなかったものの、「これだけはしてあげたい」と、遺族は真保さんにエンバーミングを依頼したのだ。

「エンバーミングを行うことによって、少なくとも10日程度ならば、ご遺体をいい状態のまま保全できます。そのため時間的な猶予ができ、故人とともに自宅でゆっくり過ごしたり、故人の遺志やご家族の思いを反映した葬儀の準備が行えるようになります。

 また、遠方にいる身内や、すぐに戻れない身内を待ってあげたいということで、エンバーミングを依頼されるご遺族もいます。事故による激しい損傷や、病気による痛ましい姿を、なんとか生前の姿に近づけてほしいという方もいらっしゃるんですよ」

 真保さんが代表を務める『ディーサポート』は、「尊体(遺体)業務」に伴う葬祭分野が専門。つまり、納棺からメイク、エンバーミングまでをトータルに行い、日々故人と家族の「別れ」をサポートしている。

マイケル・ジャクソンにも施された特殊技術

 認知度が高まっているとはいえ、日本ではまだなじみのないエンバーミング。だが、土葬が主流である海外の国々では遺体の保存技術として定着し、ごく当たり前に利用されてきた。

「アメリカやカナダでは亡くなった後、エンバーミングをするのが一般的です。一方、火葬が主流の日本では、エンバーミングの実施率は約1・7%、東京や大阪などの主要都市に限ると5~6%といわれています。ただ最近は、エンバーミングをすることで十分な保全期間をつくり、ゆっくりお別れをしたいというご遺族が少しずつ増えてきたように思います」

 海外の場合、著名人がエンバーミングされたケースも多く、マイケル・ジャクソン、マリリン・モンローなどがよく知られている。そして何といってもアメリカの歴代大統領。リンカーンは死後、エンバーミングが施された後、アメリカ全州を鉄道で回り“お別れ”をしたという有名な逸話が残されている。エンバーミングなしには不可能なことだった。

「北朝鮮の金日成総書記、ベトナムの初代国家主席ホー・チ・ミンは、現在でも遺体が保全されているんですよ」と真保さんは言う。

 エンバーミングの始まりは古代におけるミイラにまで遡る。その技術が急速に発展する契機となったのは、1860年代アメリカの南北戦争であるといわれている。当時の交通手段では兵士の遺体を故郷にかえすのに長期間を要し、遺体保全の技術が必要とされたのだ。さらに1970年代のベトナム戦争により、母国へ送る兵士の遺体のため、より一層の技術発展が進んだ。

 真保さんによれば、エンバーミングには次のようなメリットがあるという。

・衛生面の良化
・遺体の状態の維持
・消臭効果
・顔色がよくなる
・防腐処置や殺菌消毒を行うため、腐敗を防ぐドライアイスが不要(ドライアイス補充の心配がなくなる)

「なにより、衛生的に長期間の保全が可能なため、ご遺族はしっかりと故人の死に向き合い、気持ちの整理をつけることができます。悲しみを癒し、新たな人生に踏み出す足がかりになるのです」

 エンバーミングは専用の施設で施術をするよう決められている。具体的には、どのような流れで行っているのだろうか。

「依頼がありましたら、まずできる限りご遺族に会いに伺います。病院へ伺うこともあります。エンバーミングの処置内容や工程、必要事項などを説明し、ご遺体の状態をチェックさせていただきます。そのうえで依頼書に署名捺印をしていただき、細かい内容を詰めていきます。

 例えば、お顔をふくよかにする、傷痕を隠す。髭は剃るのかどうか、義歯があるならお入れするのかどうか等々、ひとつひとつ、ご要望を丁寧に確認していきます。こうしたプロセスを経て、ご遺体を搬入することになります」

 実際の施術は、葬祭場の専用施設を借りて行うこともあるが、「弊社の場合、処置室の設備がある移動車両を持っていますので、その中で行うことも多いですね」

 東京都台東区にある家族葬ホテル『葬想空間 スペースアデュー』には、エンバーミングルームがある。関係者でなければ立ち入ることのできない場所に、今回、特別に案内してもらった。

 室内に入ると、かなりゆったりした空間に施術用の可動式の金属製ベッドが2台、置かれている。その傍らには、血液と保全液を入れ替えるアメリカ製の機器が。安定した気流をつくる送風機、排水プラントも設えられている。

「送風機は保全液に含まれる低濃度ホルマリンからの被ばくを防ぐ装置なんです。プラントは保全液とご遺体から排出した血液や体液などの混合液を貯留し、化学的な分離工程で安全な排水をします。また、処置中に出た廃棄物は病院と同じように医療廃棄物として処分されるんですね」と真保さん。

 ほかにもエンバーミングに使用する薬剤や器具がずらりと並ぶ。また、納棺師の仕事に使う化粧品やメイク道具も用意されていた。

 エンバーミングではアルデヒド系の防腐薬、保湿剤、凝固した血液を緩和させる薬など、遺体の状態に応じてさまざまな薬剤を使用する。そのほとんどがアメリカ製だ。一方、シャンプーやリンスなどは日本製。これには理由がある、と真保さんは言う。

「日本人は、匂いに敏感ですからアメリカ製の遺体専用品だとキツすぎ、余計なストレスを感じるんですね。だから嗅ぎ慣れた、柔らかな香りの日本製のものが好まれます」

 スペースアデューと真保さんは業務提携し、依頼があれば出向してエンバーミングを行っている。

 スペースアデューの運営会社である『マルキメモリアル21』代表取締役の白井勇二さん(60)はこう語る。

「弊社の親会社は仏壇仏具の製造販売メーカーですが、20年ほど前から葬儀も手がけ始め、エンバーミングも導入するようになりました。弊社の会員様の8割はエンバーミングを選択されています」

 8割とは、驚くほどの受注率である。

「エンバーミングを施すと死後硬直がやわらぐので、ご愛用されていた洋服などへの着替えもスムーズにできます。遺族のみなさんは“こんなにきれいになるんだ”と驚かれていますね。気持ちの整理がついて、“ゆっくり安心して見送れた”と言っていただけると、私たちはうれしいです」(白井さん)

 エンバーミングの施術の流れやポイントは、依頼主である葬儀場によって異なる場合が多い。真保さんが運営するディーサポートの場合、エンバーミングの流れは次のとおり。

【ディーサポートで行うエンバーミングの流れ】
(1)脱衣を行いながら、もう一度身体の状態を確認する。
(2)身体の洗浄、消毒を行う。
(3)顔の表情を整え、洗顔(必要であれば髭を剃る)、保湿剤を塗布する。
(4)小切開を行い、薬剤のエンバーミング保全液を注入する。
(5)エンバーミング保全液を体内で循環させ、血液を体外へ排出させる。
(6)小切開を行い、胸水・腹水の吸引と各臓器への薬剤補填を行う。
(7)切開部を縫合する。
(8)全身を洗浄する。
(9)着付け、整髪、化粧を施す。

「ポイントとなるのは4~6の工程です」と、真保さんは強調する。

「鎖骨のちょっと上あたりを2センチ弱くらい切開して、頸動脈を確保し、そこからエンバーミング保全液を注入します。イメージ的には人工透析のような感じですね。そうして血管内に薬を循環させ、体内にある血液を頸静脈から排出させていきます」

 エンバーミングをすることで顔色が明るくなり、表情がよくなるのは、保全液が血液と同じ色合いをしているからだ。このとき、胸水や腹水があると遺体が劣化するので、お腹を2ミリ弱ほど切開し、腹膜や胸膜、肺に専用の器具を当て吸引する。その後、別の器具を使って、各臓器に防腐のための薬剤を補填する。

 一連の施術から切開部縫合までにかかる時間は、平均3時間。ただ、実際にエンバーミング保全液が細かいところまでしっかりと入っているかどうか、この時点ではわからない。そうした理由からディーサポートでは、念のため5~6時間ほど待って細部をチェックし、保全液を追加注入することもあるという。

わが子を亡くした母親の思いを叶える

 真保さんはエンバーミングを通じて、さまざまな遺族に寄り添い、対峙してきた。なかには、病院で治療を受け続けた末、息を引き取った赤ちゃんの両親もいる。

 その赤ちゃんは先天性の呼吸器疾患があり、生まれてからずっと病院の新生児集中治療室で治療を受けていた。そして生後約10か月で、短い生涯を閉じた。

 生きて帰ることのなかった自宅には、赤ちゃんのためにそろえられた新しいベビー服やベビー用品が、むなしく置かれていた。赤ちゃんの両親、とりわけ母親のショックは大きく、葬儀社から真保さんに「なんとかしてあげられないか」と相談があった。

「ご自宅で、赤ちゃんと少しでも一緒に過ごす時間が持てるようにと、エンバーミングを行いました。赤ちゃんとご両親は1週間くらい、一緒に生活することができました。お母さんからは“お風呂に入れていいか”とか、“ベビーカーで公園を散歩できないか”などと、いろいろなことを聞かれましたね。今までできなかった、普通の子育てをすべてやりたかったのだと思います」

 そう真保さんは振り返る。エンバーミングをしたとはいえ、遺体である以上、やれることとやれないことがある。それでもたった1週間とはいえ、親子の日々の記憶をつくることはできた。きっと、いくぶんかはおだやかな気持ちで、両親は赤ちゃんとお別れができたのではないだろうか。

エンバーミングは葬送のお別れを目的としています。なかには“このまま保全しておきたい”という方もいらっしゃいますが、それはできないのです。

 
日本ではエンバーミングに関する法律が整備されていないため、IFSAが独自に、エンバーミングした方の保全は50日というルールを定めています。そこは律して、ルールを守っていただくことが施術の条件なんです」

メスやピンセットなどの医療器具がずらり。メイク落としやシャンプーの日用品も並ぶ 撮影/齋藤周造

 そんな「50日ルール」をフルに活かしたケースがあった。

 夫婦ともに医師で、2人で切り盛りしている病院があった。あるとき、副院長の妻が亡くなった。真保さんは依頼を受けて、すぐにエンバーミングを実施。葬儀は関係者だけですませ、遺体は自宅へと運ばれた。

「副院長さんは、ずいぶんとみなさんから慕われていた方だったんですね。その病院は介護施設も併設していましたが、患者さんや入所者の方がお別れできるように、各施設に数日間ずつ、ご遺体を安置したのです。みなさん、お好きな時間に副院長さんに会いに行って、お花を供えたり、お礼を言ったり、思い思いのお別れをしたそうです」

 高名な僧侶が亡くなると、全国から多くの人が弔問に訪れるといったケースは昔からあった。腐敗が進んでも、そのままの状態で“お別れ”をしたという。しかし現代ではエンバーミングによって、生前を思わせるきれいな遺体と会うことができるのだ。

サラリーマンからエンバーマーへの転機

 日本国内でエンバーマーになるには、前出のIFSAが指定するエンバーマー養成校で必要な知識を習得し、研修を修了して、エンバーマーのライセンス資格を取得しなければならない。現在、IFSA認定の養成校は、神奈川県平塚市にある日本ヒューマンセレモニー専門学校のみ。狭き門となっている。

 真保さんが養成校に入学したのは、30歳のときだった。新潟県新潟市の出身。山形大学工学部で化学を学び、医療機械メーカーに就職。営業職として9年半勤めた。

 エンバーマーを目指すようになったのは、こんなきっかけからだった。

「医療機器メーカーなので、病院とのお付き合いがメインでした。あるとき、お世話になっていた看護師さんの息子さんが亡くなられたんです。川で溺れたという話でした」

 真保さんとは休日にバーベキューをするなど、家族ぐるみで親しくしていた。訃報を聞いてお通夜に駆けつけたが、息子さんは死後24時間を超えていたため、法律上、すぐに火葬ができる状況だったという。

「看護師さんご本人も、何をすればいいのかわからない茫然自失の状態で……。普段はこちらが元気をもらうほどはつらつとした人が、あんなに落ち込まれているのに、自分には何もできない。それが悔しくてたまりませんでした」

 エンバーミングという言葉自体は、すでに知っていた。

「私が大学4年だった1995年に、阪神・淡路大震災が起きました。その被災地で外国人がエンバーミングの措置を受けたということを現場で手伝っていた知人に後日、聞いたんです。看護師さんの息子さんが亡くなった後、改めてネットで検索して、エンバーマーという仕事があることを知りました。そうした中で、家族など大切な存在と死別して悲嘆に暮れる人を支える『グリーフケア』という言葉も知るようになったんです」

 社会人となって以来、働き詰めだった真保さんには貯金もあった。仕事は順調だったが、新たなチャレンジをするなら30歳の今しかない。そう思えた。

 そして2003年、大阪の葬儀メーカーが運営するエンバーマー養成校に入学。半年間、葬祭学や遺体衛生保全など、専門知識を習得する座学を中心に学んだ。それが終わり試験に合格すると、実技課程へ。プロのエンバーマーの処置を見学し、指導を受けながら、インターンとして技術向上を図るのだ。

20歳の真保青年と祖母。いつもほがらかな祖母からは大きく影響を受けたという

 真保さんはインターン時代に、100体ぐらいにエンバーミングを行ったそうだ。

「2005年に起きた福知山線の脱線事故は、今でも忘れられません」

 JR西日本の福知山線で発生した列車脱線事故は、死者107名、負傷者562名を出し、列車事故としては戦後最大の惨事となった。

「エンバーミングの実習が始まって間もないころでした。実習先の葬儀社が中心になって遺体の処置を行ったので、私もお手伝いをしたんです。

 事故に遭った方が納体袋や毛布にくるまれ運ばれてくるんですが、死亡確認後、すぐに運ばれてきたようで、身体中にガラスの破片などがくっついている状態。袋もガラスであちこち裂けていました。まずガラスの破片を取るところから処置をしていったのですが、どんどんご遺体が送られてきたので、正直、研修どころではありませんでしたね」

 養成課程を終えた卒業生はIFSAによるエンバーマー認定試験の受験資格が得られ、合格すると、晴れてエンバーマーとして働ける。

体内に薬液を注入しながら血液を排出させる装置。エンバーミングに欠かせない工程の1つだ 撮影/齋藤周造

 真保さんは資格取得後、プロのエンバーマーのもとで4年ほど働いたのち、介護施設に1年ほど勤務していた。

「もっと学ぶ必要があると思ったんです。介護施設では、入所者さんの声に耳を傾け、その気持ちに寄り添うことを学びました。それがエンバーマーになって、亡くなった方のご遺族に寄り添うことにつながっています。寝たきりの方の着替えの方法なども教わるんですが、その際の経験がご遺体の着付けに活かされています。ご家族は、自分たちが介護をしていたのと同じ方法で私がケアしているのを見ると、安心されるんです」

 真保さんが介護現場で得た大きな学びのひとつが、「尊厳」ということだった。

「お年寄りの多い現場ですから、高齢の方の認知状態を教わりながら、相手の立場に立って共感的に話を聞く“傾聴”についても学んでいきました。尊厳を守るとはどういう行為なのかを知ることができ、勉強になりました」

葬送のプロも認める真保さんの「神の手」

 京都にある葬儀会社『公益社』で専属エンバーマーとして働く竹ノ谷梨沙さん(41)は、エンバーマー養成校で真保さんと同期生だった。竹ノ谷さんが当時を振り返る。

「私たちは2期生で、同期は3人だけでした。真保さんの第一印象はポーカーフェイス。医療機器の営業職だったから理科系の知識も豊富で、いろいろなことを教えてくれましたね。結構おしゃれで、カッコつけしいのところもあって、自信満々なのに黒板に書く漢字を間違えたり、かわいいところもありました(笑)」

 実習の際、真保さんに驚かされたことがある。

「座学では真保さんと一緒の教室で学んでいましたが、実習先は別々でした。ある日、湯灌(遺体の身体を洗う施術)の実習で葬儀社に行くと、講師として突然、真保さんが現れたんです。実習を兼ねて葬儀社でバイトをしていたんだとか。まるで長年やっているプロの口上のように湯灌の説明をしていて、カッコいいと思いましたね」

 養成校の授業では、ご遺体に施すためのメイクも学ぶ。

「真保さんは化粧なんて苦手そうなのに、先生に何度も質問しながら、化粧の技術を磨いていました。自分に化粧する授業で、私よりきれいになっていて悔しかったほど(笑)。そのときの真保さん、目がキラキラして、輝いて見えましたね。なんでもスマートにこなしているようで人一倍、努力の人なんだと思います

 養成校に入学してくるのは、ほとんどが高校を卒業したばかりの若者だ。しかし、なかには真保さんと同様に、社会人経験を経て入学する人もいた。真保さんの1年先輩にあたる馬塲泰見さん(54)も、そのひとり。異色の経歴を持つエンバーマーで、現在は日本ヒューマンセレモニー専門学校で実技指導を行っている。

「以前は日本にある外国の大使館の職員でした。外国人が亡くなると、エンバーミングをして本国へ送り返すのが当たり前だったので、エンバーミングにはなじみがあったんです」

 10代に交じり切磋琢磨した級友について、馬塲さんは「真保くんは、よくも悪くも細かい」と笑い、さらにこう続ける。

研修生として遺体の対応にあたった福知山線脱線事故を振り返り、「壮絶な状況だった」と真保さん 撮影/齋藤周造

「彼は早くから独立・開業したので、葬送業界の事情に詳しく、いろいろな情報や知識を持っています。移動式のエンバーミング車両を作るなど、新しい取り組みにチャレンジしていく姿勢は見習いたいですね」

 関係者の誰もが、真保さんのまじめさ、理論的なところや、確かな技術を口にする。

 東京都大田区で3代続く『明進社金子葬儀社』の金子直裕さん(52)は、真保さんとは12年以上もの付き合いになる。

「うちは真保さんにしか仕事は頼みません。技術がほかと全然違うんですよ」と、金子さん。特に、「修復する技術がすごい」と絶賛する。

「ご遺体の欠損などを驚くほどきれいに修復してくれます。業界ではこの人だけでしょうね。僕らは“神の手”と呼んでいますよ」
(金子さん、以下同)

 あるとき、金子さんのもとに、電車で轢かれた遺体が運び込まれた。

「ご遺体は頭部が半分ない状態でした。真保さんは頭蓋骨の中に櫓を組んで修復、見事に元の状態に作り上げた。ご遺族も感激していましたね」

 山梨県の山中で見つかったという、首つり自殺で命を絶った20代男性のエンバーミングも、金子さんは忘れられない。

「夏場だったので全身に虫がついていたんです。納体袋に殺虫液を流し込み処理しましたが、虫は駆除できたものの、身体中に小さい穴が開いてしまった。真保さんは、その穴をすべてきれいに塞いでみせたんです。どうすればご遺族といい対面ができるか、徹底的に考える人なんですね」

 遺族は警察で、すでに悲惨な状態の遺体と対面していた。だからこそエンバーミング後にきれいになった遺体を見て、より感激したという。

 エンバーミングを使った葬儀を推奨する『アイフューネラル』代表の寺中毅頼さん(52)は、真保さんとは親しい間柄だ。

「事件や事故のご依頼を受けて、真保さんと一緒に立ち会うこともあります。

 驚いたのは、電車での人身事故のご遺体でした。僕なんかからすると“修復なんて、とても無理”と思えるような状態だったんですが、真保さんはご家族が対面できるよう根気よく、丁寧に修復していくんです。感心しましたよ」

どんな環境で亡くなっても尊厳ある最期を

 真保さんによれば、ここ数年、日本で暮らす外国人からエンバーミングへの需要が増えているという。

「外国の方が日本で亡くなられた場合、日本の葬儀社を利用することになるのですが、日本の葬送文化になじめず、困っていたようなんです」

 4年ほど前、イスラム圏であるパキスタン出身の外国人が、働いていた飲食店で死亡する事故があった。イスラム教では、人が亡くなると、教会(モスク)に遺体を運び、参列者がお浄めをする。その後、お祈りをして弔うのが習慣だ。

悲しみをやわらげ、ゆっくりとお別れができるよう、真保さんはエンバーミングの普及に期待を寄せる 撮影/齋藤周造

「かつてはパキスタン航空が日本へ直通便を飛ばしていました。そのためパキスタン大使館は、自国民が亡くなると無償で本国へ空輸していたんです。亡くなってすぐにドライアイスを詰めれば、翌日には飛行機に乗せ、運ぶことが許されていました。ところが、すでに4年前には直通便がなくなっていて、煩雑な手続きや高額の費用も必要になってしまった。おまけに航空会社が遺体を運ぶ条件として、必ずエンバーミングを行うよう定めているんです」

 これでは莫大な費用がかかってしまう。そこで真保さんは、通常の半額で仕事を引き受け、納棺からエンバーミングまでを行った。

 しかし、その後も日本で亡くなる外国人の数は増え続けていく。そのほとんどが、空輸できる予算が見込めないケースだった。

「空輸できないのであれば日本で埋葬しようということになり、私もそのお手伝いをすることになったのです」

 エンバーマーの真保さんにとって、埋葬は門外漢である。それでも乗りかかった船とばかりに、サポートすることを決めた。

イスラム教徒である在日パキスタン人の埋葬に協力し、贈られた感謝の盾 撮影/齋藤周造

「イスラム圏では、宗教上の理由から火葬を固く禁じています。しかし日本では身寄りのない人が亡くなった場合、行政のもとで火葬するよう法律で決められているんです。そのため日本で身寄りのないイスラム教徒の外国人が亡くなったとき、間違って火葬されたケースがあり、問題になっていました」

 日本にもイスラム教徒に対応し、土葬が可能な墓地はあるのだが、その数は少ない。そのため真保さんは、在日イスラム教徒の有志による団体『パキスタンコミュニティー日本』に協力し、多くの外国人の最期を見届けてきた。

 この団体を主宰するのは、パキスタン人のハフィズ・メハル・シャマスさん。活動はすべてボランティア。イスラム教徒の外国人が亡くなった情報を受けると、シャマスさんは真保さんとともに駆けつけている。

「もう、何十か所も真保さんと行きました。群馬、山梨、名古屋、大阪、それから九州……。真保さんは、いつも格安で引き受けてくれます。一生懸命で、私が会った日本人の中でいちばんいい人です」

 と、シャマスさん。真保さんが協力を惜しまないのは、「故人の尊厳」に対する思いがあるからだ。

「たまたま日本で亡くなって宗教や国籍が違うだけなのに、“これはできない”と言いたくないんです。亡くなった人のご家族がちゃんと癒されて、故人の死と向き合えるようにしてさしあげたい。どんな国の国籍の方でも同じように、その文化に合った、望む葬送の形でお応えしていこうと思っています。(依頼されて)ご縁があった方に、少しでもお手伝いができればという気持ちで協力しているんです」

 エンバーミングを軸に、葬送に関するさまざまな取り組みに尽力する真保さん。今年5月、衆議院議員会館でエンバーミングについての勉強会があり、これにも参加した。

「日本でエンバーミングの認知度を高めていくための勉強会で、ゆくゆくは国家資格の創設を目指そうとする動きもあります。その影響なのか、最近では自衛管の募集要項に、エンバーマーという項目が登場するようになりました」

 大規模災害時に、遺族のケアを行う『DMORT』(災害死亡者家族支援チーム)の活動も浸透してきた。

「海外では遺族の心のケアを行うだけでなく、エンバーミングをするなど遺体のケアも行われています。そうすれば、医療関係者は生存者への対応に集中できるからです」

 真保さんが経営するディーサポートのスタッフは現在、7名。そのうち1人はエンバーマーの資格試験を受け、間もなく結果が発表されるという。実は、真保さんの妻もエンバーマーだ。

今年で6歳になるまな息子と真保さん。7年前に結婚した妻も、プロのエンバーマーだ

「妻は13歳下で、7年前に結婚しました。6年前に長男が生まれてからは、ディーサポートの裏方の仕事をやってもらっています。

 妻とは私がライセンス取得後、処置に行った派遣先の葬儀社で出会いました。妻は動物介護やペットロスに関することも学んでいて、今後に活かそうと思っているようですね」

 死を見つめ、絶えず遺体と向き合うエンバーミング。この技術で得られるのは、残された遺族が、これからも前を向いて生きていくための糧となるもの。元気だったころのような色艶。ふくよかな表情─。

 遺体をきれいに修復し保全するだけにとどまらず、生きるとは何か、死ぬとはどういうことなのか、私たちに問いかけているように見える。

 真保さんが言う。

「お別れは、ご家族をはじめ、これまでに故人が出会ってきた方々と対面できる最後の機会。ですから時間をかけて、みなさんがよかったと思えるお別れのお手伝いを今後もしていきたいと思っています」

〈取材・文/小泉カツミ〉

 こいずみ・かつみ ●ノンフィクションライター。芸能から社会問題まで幅広い分野を手がけ、著名人のインタビューにも定評がある。『産めない母と産みの母~代理母出産という選択』『崑ちゃん』(大村崑と共著)ほか著書多数。