歌手デビューしたのが'91年。曲のタイトルは『伝説の少女』だった。観月ありさ(45)が当時を振り返る。
観月ありさがデビューからを振り返る
「尾崎亜美さんによる作詞作曲です。私は亜美さんの『オリビアを聴きながら』が大好きで、所属事務所のオーディションで歌ったくらい。私から亜美さんにお願いしたんです。レコーディングにも立ち会ってくれました」
ちょうど『ザ・ベストテン』(TBS系)や『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)も終わった後だった。
「“昭和のアイドルブーム”から“バンドブーム”に変わったころでした。若いアイドルといえば、私やSMAPぐらいで、少なかったですね」
歌手になる前の4歳から子役モデルとして活動していた。
「まわりは大人ばかりなので、ファッションや洋楽と洋画に早くから触れていましたね。幼稚園のころに家で聴いていたのが『Earth, Wind & Fire』とか『スタイリスティックス』。子ども向けの音楽は聴かせてくれなかったんです (笑)。
音楽をやっている近所のお姉さんに連れられて、坂本龍一さんに会ったこともありました。後藤次利さんに“おじちゃん”なんて話しかけていたみたいで。いま思うと、なんてことをしたんだって……」
6月15日に11年ぶりとなるアルバム『Ali30』をリリースした。
「レコーディングをし始めてから声帯が弱ってるなって思い、ボイストレーニングに取り組みました。コロナ禍ということもあって、あまり歌う機会がなかったんですよ。カラオケも行けないので、ポケカラというアプリで、あいみょんさんの曲とかを歌っていました」
新曲『サジタリウス』のミュージックビデオでは、14歳の自分と共演している。
「あのときは身長が164cmで、まだ小柄でしたね。今は170cm。最近は健康のために加圧トレーニングしながら、ピラティスをしています。体幹トレーニングがいちばん体形をキープできる方法だと思っています。筋トレをしすぎるとアスリートみたいな体つきになっちゃう。10代の後半、運動やりすぎて体が大きくなったことがありました」
抜群のスタイル維持の裏には、食生活の変化もあった。
「若いときは“あれ食べちゃダメ、これもダメ”ってまわりに言われていました。すぐ太ったと言われちゃって。でも、普通に考えれば、20歳過ぎてデビューした14歳のころと同じ体形なワケないんです!
そういうのを気にしながら減量していたころもあったけれど、まんべんなく食べるほうが健康にいいし、増減の波もないと思っています」
デビュー曲の評価は高く、レコード大賞新人賞に。当時、同じく人気だった宮沢りえ、牧瀬里穂と3人の頭文字をとって“3M”と呼ばれた。
“3M”と呼ばれ恐縮した時代
「デビューも年齢もバラバラだったし、私はいちばん年下でキャリアもなかったから“私が並んでいいの?”っていう感じでした。宮沢りえさんなんて、すでに大スターでしたし、先輩感ありましたよ」
歌手と並行して、女優としても活躍していた。
「劇団員みたいな訓練はしていないんです。私がやってきたトレーニングは“走れ! 芝居は体力づくりだ!”でしたから(笑)。
歌もボイトレの代わりに私が低い跳び箱の上にあおむけになって、お腹に砂袋を乗せて、さらに上から歌の先生が乗って踏む。そうなると“エー、エー”って喘ぎ声しか出ない。いま考えると、何やってたんだろうって思います」
仕事が忙しくなって、学校に行くことは難しくなる。
学業との両立が難しかった芸能活動
「芸能の仕事をやっていると目立つので、運動会や文化祭に行けなくなりました。学校からも“来るのか? 来ないのか?”とせっつかれて。私が参加すると見に来る人が出てくるから、それで学校がとる対応も変わるからって。そうなると“欠席でいいです”となっちゃって。部活もやりたかったですけどね……」
初めて出演した連続ドラマは、SMAPが本人役で出演した'88年『あぶない少年III』(テレビ東京系)。翌年に田原俊彦が主演する人気ドラマ『教師びんびん物語II』(フジテレビ系)にも出演。
「トシさんは、すごく優しかった。私がなれなれしかったからかもしれませんが、生徒たちが乗るロケバスに乗ろうとしたら“観月、おまえこっち乗れよー”って、トシさんが運転するポルシェに乗せてくれたことがありました。
そしたら、カーステで流しているのがご本人の曲(笑)。“先生って自分の曲を聴いてるの?”と言ったら“そうだよ!”って。だからどうした?みたいな。あのころも今もブレてないですよね~」
'92年『放課後』(フジテレビ系)で初主演を果たし、それ以来30年間ずっと連続ドラマの主演を務めている。
代表作『ナースのお仕事』で朝倉いずみを演じて
'96年に始まったのが、代表作ともいえる『ナースのお仕事』(フジテレビ系)シリーズだった。
「医療系をコミカルに描くドラマってなかったんですよ。テレビ局の中でも“医療モノをおちゃらけるって、どうだろう”という議論はあったようです。でも、放送されたら評判はよかった。最初は実際の病院で、本物の機材を使って撮影していました。患者さんの横でお芝居をしたこともありました」
観月は新人ナース役。松下由樹が演じた指導係との掛け合いが人気となった。
「由樹さんは女優をやりながら個人事務所の経営者で、事務所に電話するとご本人が出るんですよ(笑)。本当に技術のある女優さんで、お芝居は私と逆のタイプ。
私はそのときの感覚でやるけど、由樹さんは緻密に考えて表現される。狂わないし、適応力がバツグンで、セリフのテンポがズレない。由樹さんに引っ張ってもらって、私はついていく感じでした」
10代のころに出会った人たちとは思い出が深い。
「この間も中井貴一さんから連絡がありました。“今『じゃじゃ馬ならし』が再放送されてるの知ってる? あのドラマ、やっぱり面白いね”って。
同じ年の香取慎吾クンとは戦友のような感覚ですね。ずっと一緒の現場が多くて。今でもハグする関係です」
'91年公開の映画『超少女REIKO』で共演した島崎和歌子も戦友のような関係だ。
「4歳上ですけれど、セーラー服を着た役をやっていたころから知っているし、気兼ねしない。お互いアイドル出身だったけど、和歌子はバラエティーで頭角を現して、その道に突き進んでいくのを私は見てたし、“私たち頑張ったね”ってお互いに言える関係性です」
「今は伝説から“降りてきました”から(笑)」
“伝説の少女”としてデビューした観月だったが、
「以前は声をかけられてもスッと通り過ぎちゃうこともありましたが、今は伝説から“降りてきました”から(笑)」
と、街中で声をかけられれば気軽に応じるようになったという。
30年はひとつの区切りだが、立ち止まるつもりはない。
「'18年に『座・ALISA』という舞台をやって奥深さを学びました。今後は音楽活動を強化したいですが、ほかにも自分じゃない誰かのプロデュースも面白そうだなって思っています」。いつだって前を向いている。