「僕はなかなか自分に自信が持てない人間なので、“本当に僕でいいのかな?”と思いました」
7月8日公開の『TELL ME ~hideと見た景色~』で映画初主演を果たす今井翼。
「でも、逆を言えばすごく光栄なこと。とても繊細な世界観、立場をしっかりと自分なりに意志をもって務めたいなと思いました」
'98年5月2日。X JAPANのギタリストであり、解散後はソロ活動(hide with Spread Beaver/zilch)をしていたhideさんが急逝。告別式には芸能人史上最多の5万人が集まり、涙に暮れた。
残された制作途中のアルバム、そしてすでに決定していた全国ツアーをどうするのか? 今井演じる実弟でマネージャーの松本裕士は、共同プロデューサーI.N.A.(塚本高史)らとともに逆風の中、動き出す……。
X JAPANとの出会いは小学生のとき
今井へのオファーは役者としての力量はもちろん、その音楽に精通していたことも大きい。中学生のときは生徒手帳にX JAPANの写真を、現在はスマホに楽曲を入れている。
「小学校のときに初めてX JAPANに出会って。“ロックって、こんなにカッコいいんだ!!”と思いました。YOSHIKIさんの美的感覚と破壊力、そして各メンバーの個性。X時代にhideさんが書いた『Joker』や、最後のほうでいうと『SCARS』なんかは、やっぱりhideさんサウンド。同時にファッションアイコンで。ライブ会場でもhideさんのファンはひと目でわかった。そのセンス、アイデア、個性がカッコいいなと思っていましたね」
終盤、本人の楽曲と映像を豊富に使ったライブシーンは圧巻だ。
「改めてhideさんの楽曲の魅力が伝わると思います。僕は、hideさんを近くに感じることができたんですよね。今聴いても色あせていないし、世代ではない方にはすごく新しいと思うんです。ぜひ、それぞれの思いで捉えていただけたらうれしいなと思います」
デビューして20年!「いい意味で塗り替えたい」
「2年くらい前に芸能活動を再開させてから、舞台や映画、ドラマなど、いろんなキャリアを積ませていただく中で、改めて仕事ができる喜び、芝居の難しさと面白さを感じて40代を迎えました」
'02年のレコードデビューから、丸20年。節目の年でもある。
「もっと言うと僕は14歳からこの世界にいるので、もう25年以上が経過しているわけですけど。幼少期、少年期、青年期……いろんな経験をさせてもらえたことは、本当にありがたくもぜいたくなことです」
大人になるにつれ、“自分がどうしたいのか?”を考えるようになった。
「ハッピーなものを届ける立場でありながらも、等身大の喜怒哀楽を表現したくなり、それがフラメンコにつながりました。そして恥ずかしいんですけど、若いころは芝居から逃げていたんです」
転機は'13年。舞台『さらば八月の大地』で山田洋次監督(90)と出会えたことだという。
「愛ある厳しさがあって。芝居に好奇心を抱くようになったのは、監督のおかげなんです。くじけそうになることがいっぱいあったんですけど、でも、純粋に人間が人間を演じるうえでの大切なこと、具体的に言えば存在すること。シンプルだけどとても大切なことを教わって。今でも教わり続けています。
芝居への意識が芽生えてまだ時間は浅いんですが、全然うまくできないんだけど、過去の自分とは違って、現場でいろんな役者さんから得ることがすごく多いんです」
とてもうれしそうに、そして誇らしそうに話してくれる。
「やっぱり見ている人に面白がってもらいたい。ぶっとんだ役、気張った役……いろいろ経験したい。いい意味で、塗り替えたい。それが役者をやらせてもらっている中で、僕が求めるところです」
オフでも役を引きずるので……
葛藤し続ける裕士役について、
「すごく難しかったです。実際にあったあの出来事の重大さは、演じる中でなかなか“よし、これだ”と見つかるものではなかった。毎シーン、監督に“本当にこれでいいですか?”と確認してしまったし、オフのときも自分が自分ではなくなっている気がするくらいでした」
今作に限らず、負荷のかかる役をやっているときは、その人格が抜けなくなってしまうという。
「もっと極端に言うと、猟奇的な役を演じているときはなるべく人に会わないようにするくらいなんです(苦笑)」
まさに役者魂――。