坂本小百合さん 撮影/北村史成

 華々しいモデルの世界から動物プロダクション経営へ。2度の結婚と離婚、息子との突然の別れを経て至った「ぞうの楽園」をつくりたいという夢。その夢は大きく育ち、今では70種類以上の動物たちと人がふれあえる場に。そんな“リアル版どうぶつの森”をつくった人の生きざまとは。

10頭のゾウを飼育する『市原ぞうの国』

 6月の平日。空はどんよりとして、時折小雨がパラつく天候にもかかわらず、『市原ぞうの国』のエレファントスクエア(広場)の観客席には、親子連れやカップルなど多くの人が詰めかけていた。

 この日は7頭のゾウが広場に登場。鼻でフラフープをしたり、タンバリンを鳴らしたり、さまざまなパフォーマンスを披露。ゾウたちが順に太い脚でサッカーボールを蹴りゴールを決めると、観客席から大きな歓声が上がった。

 ここでは、直接ゾウにエサをあげ、触れることもできる。高さ3メートル半、推定4トンのゾウが間近に迫ってくると、怖いというより感動すら覚える。優しそうな小さな目、長い鼻をクルンと上げると口元は笑っているかのよう。ゾウに触れた来園者は、子どものみならず大人も「大きいね」「皮膚が硬い!」とはしゃいでいる。

 そんなゾウとお客さんとのふれあいを、微笑みながら見守る坂本小百合さん(72歳)。この動物園の創業者であり、園長だ。

動物プロダクションでのふれあい動物園の経験を生かし、お客さんが動物にエサを与えたり、直接触れられるコーナーを設けました。動物が人間を怖がらず、攻撃せず、ふれあう環境をつくるには、その根底に飼育する私たちと動物との信頼関係を構築しないとできないことです」

 現在10頭のゾウを飼育し、その数は日本一。国内で初めてアジアゾウの自然哺育にも成功。私立の小さな動物園を日本有数の人気動物園に成長させた、その実績に裏打ちされた言葉だ。この2年半は、新型コロナウイルスの蔓延によって、日本中の動物園が苦境に立たされた。『市原ぞうの国』も例外ではない。

当初はうちも休園を余儀なくされました。県から強制されたわけではないですが、“閉めていただきたい”と説明されて。休業イコール売り上げはゼロ。“収入がなくなるんですよ、どう補償してくれるんですか”と聞いたら、“支援金が200万円出ます”と。ふざけるな、って(笑)。ゾウは1日100kgもエサを食べるんですよ、その足しにもなりません

 ユーモアを交えてポンポンと威勢よく話す小百合さん。傍らで娘の佐々木麻衣さん(43歳)は苦笑する。動物園の広報を務め、運営を支えている1人だ。

母は“絶対に閉園しない!”と大騒ぎだったんです。でも、外出自粛のあの時期に開園してもお客さんは来ないだろうし、世間に叩かれます。それに万が一、スタッフにクラスターが起きたら、大変なことになる。全力で阻止しました」

ゾウ使いとの息が合った数々のパフォーマンスを繰り出すゾウたち 撮影/北村史成

 50人以上のスタッフを抱え、400頭羽以上の動物を飼育する経営者として、小百合さんは「休園したら収入をどこから生み出すの!」と娘に問うた。

私は、母を説得するために“ネット販売に力を入れて、売り上げをつくるから”と宣言しちゃったんです。思い浮かんだのが、記念ぬいぐるみ……うちでは毎年、当園で生まれた5頭のゾウの誕生月に、それぞれの記念ぬいぐるみを作って販売しているんです。でも休園すると売店で売ることができず在庫がたまる。ホームページで“コロナに負けないぞうセール”と銘打って、記念ぬいぐるみに、ご招待入園券をつけて販売したんです」

 外出自粛が解除になったら、来園してくださいの願いを込めた招待状だ。

販売開始から3日目に、ネットショップの注文が2000件もきて、ビックリ!何か仕掛けたわけでもないのに。一般の人が“ゾウさんたちが収入がなくて困っているから、みんなで助けましょう”とツイッターで呼びかけてくれて、それが拡散したんです。その日からスタッフ総出で梱包作業に追われ、うれしい悲鳴でした」

 と麻衣さん。

「麻衣のおかげね。それと、やはり『市原ぞうの国』を存続してほしいという人が大勢いたのね。みなさんの愛を感じました

 と小百合さん。こうして窮地をしのぎ、2021年には数年前から計画していた園内のリニューアルを敢行。タイ料理レストランのフードコートやミュージアムを設け、隣の姉妹園『サユリワールド』と統合し、『アニマルワンダーリゾウト』として再スタートを切った。

 いまだコロナ禍ではあるが、客足は伸び「おかげさまで今年の集客は今のところ順調に増加しています」

 ソーシャルディスタンスのため人数制限したこともあり、「ゴールデンウイークは整理券を出して、30分から1時間待っていただいたほど盛況でしたね」と小百合さん。

 動物と関わる世界に身を投じて44年。実はそれ以前は、明石リタの名で、ポスターや雑誌の表紙を飾った人気モデルだった。60代以上の読者なら見覚えがあるかもしれない。

トップモデルとして活躍、そして2度の結婚

 昭和24年、日本人の母とアメリカ人の父との間に横浜で生まれた小百合さんは、高校を卒業するとモデルの道に進んだ。高度経済成長期で欧米化が進む当時の日本では、スラリと伸びた長い脚とエキゾチックな顔のハーフモデルがもてはやされ、小百合さんはまたたく間にトップモデルとなる。やがて、モデル仲間の男性と恋に落ち、20歳で結婚。翌年に長女、翌々年に長男を出産した。

雑誌などで表紙を飾るなど、華々しいモデル時代を

「産休?そんなのない(笑)。長女出産後の10日後にはポスター撮影がありましたから。あのころはニューファミリーという言葉が登場し、親と同居しない核家族、子どもを産んでも働く、といった新しいライフスタイルが生まれた時代。

 若くしてママになった私は、ニューファミリーエイジと呼ばれ、夫と共に雑誌に登場したり、仕事は順調でしたね」

 一方で、結婚生活はうまくいかなくなり、4年でピリオドを打つ。子どもの育児は同居の母に任せ、一家の稼ぎ手として仕事に邁進した。

「20代後半は、奥さま雑誌のモデルとしての需要が増えました。一度、少し太ってしまい、仕事が減った時期があったんです。モデルという仕事はいつまでできるかわからない。その不安もあって副業も。手芸店、美容院、焼き鳥屋を開き、経営していました

 大卒の初任給が5万円ほどの時代に、モデル業で年収700万円を稼ぎ、それを資金に商売に着手。実業家としての手腕は、このころから育まれたのだろう。そして29歳のとき大きな転機が訪れる。

モデルの仕事の撮影現場で、動物プロダクションを経営する坂本と出会って、再婚したのです。動物プロダクションは、テレビや映画などに出演する動物を用意する会社です。私は子どものころから猫を飼っていましたし、動物が大好き。坂本の動物プロダクションを手伝うことになりました」

 モデル業からの転身だ。

「ただ……外では立派に見えた坂本ですが、内実はお金にだらしなく、経営は火の車。お金には大変苦労しました」

 とはいえ、小百合さんは、モデル時代の人脈を生かし、持ち前の経営手腕を発揮。業界シェアナンバーワンの動物プロダクションへと押し上げる。

動物プロダクションの経営を手伝い始めたころ。経営は自転車操業で苦労したという

ゾウを飼うきっかけになったのは、バラエティー番組でゾウをレギュラー出演させる依頼があったから。毎週サーカスなどからゾウを借りてくるのは大変なので、購入して、うちで飼うことにしたのです」

 と、さらりと語るが、相手は巨大な生き物。犬や猫の飼育とは次元が違う。

「家から10メートルほど離れたところにゾウ舎をつくったのですが、ゾウが来た翌朝、バォーンと怪物のような鳴き声が響いて、飛び起きましたね。最初は手探りでした」

 こうした環境で育った子どもは、ごく自然に動物とふれあい、心を通わせる。やがて長男の哲夢さんが、「ゾウ使いになりたい」という夢を抱く。

「星になった少年」息子との別れ……

 2005年に公開された映画『星になった少年』。前年に、カンヌ国際映画祭で主演男優賞に輝いた柳楽優弥の受賞後第一作ということで話題を集めた。柳楽が演じた、ゾウ使いを目指してタイに渡る少年、そのモデルとなったのが哲夢さんだ。

 ゾウ使いとは、ゾウを調教し、ショーなどではゾウの芸をサポートするパートナーのような存在。古くからゾウが身近な動物であったタイには、ゾウ使いになるための訓練や教育が確立されており、現在日本にいるゾウ使いもほとんどがタイ出身。哲夢さんは小学校を卒業するとゾウ使いを目指してタイの学校へ留学する。

「ゾウがうちに来たころ、私は飼育員の人と一緒に四苦八苦しながら世話をしていたの。夫は飼育にノータッチでしたから。そんな私の様子を見て、“ママがこんな重労働をして大変だ。男の僕が頑張らなければ”と思ってくれたのがきっかけだったようです」

 と小百合さんは、優しい息子に思いを馳せる。タイ留学から帰ってきた哲夢さんは、家業の大きな戦力になった。

「ショーやイベント、映画出演など、ゾウの仕事は息子におまかせ。タイ語もマスターしていたから、うちで働くタイ人スタッフとのコミュニケーションもスムーズになって。頼りになる子でした……」

タイのチェンダオでゾウに乗る哲夢さん。動物園経営でも小百合さんを支えていくはずが……

 だが、哲夢さんは20歳の若さでこの世を去る。交通事故による突然の別れだった。

 当時の家族の様子を、麻衣さんはこう振り返る。

「うちの仕事はお兄ちゃんがいるから心配ない。子ども心にそんなふうに思っていたのが、突然いなくなって。心の準備もなく、何がなんだかわからない……心がガタガタになりました。

 兄と双子のように仲がよかった姉も、心のバランスを崩し、結婚する予定だった人とうまくいかなくなったり。あのころは、みんなの心が不安定で、家族がバラバラになっていく感じでした

 わが子に先立たれ、深い哀しみに沈む小百合さんには、バラバラになる家族をつなぎとめる気力もなかった。

哲夢の継父である夫とは哀しみを共有することはできません。というより、もともと坂本とは、動物への愛情や扱い方、仕事に対する考え方が大きく離反していき、仮面夫婦だったのです」

 '80年代後半から動物の撮影にもCGが用いられるようになり、小百合さんは、動物プロダクションの仕事に疑問を持つようになった。

私はやはり動物とのナマのふれあいを大切にし、それを伝える仕事をしたいという思いがあって。それに、スター動物はしょっちゅうお呼びがかかるけれど、人気のない動物はほとんど出番がありません。そういう動物たちにも人とふれあう機会をつくってあげたいと、以前から飼育場で2000坪ほどの小さな動物園もどきをやっていたのです。

 私の関心は次第に動物園事業のほうに傾き、もっと広い場所で動物たちが生涯をまっとうできる環境をつくりたいと、平成元年に、この地で動物園を開いたのです

 結局、夫とも袂を分かつ。

「会社をやっていると財産分与は大変ですよ。慰謝料をもらうのではなく、こっちがお金を支払った感じですね。前の夫のときもそうでしたけど(笑)。でも、これで私は新たなスタートを切ることができ、気持ちは前向きでした」

亡き2人に見守られ、不思議な縁に導かれる

 小百合さんには、もうひとつ、悲しい別れがあった。

たった1枚しかない、小百合さんと父親とのカット。父親のことは記憶にないという

10代で出会い、結婚の約束までした人がいて。親の反対や、一方がひとりのときは一方が結婚、とすれ違いが続き、一緒にはなれませんでした。でも、つかず離れずの友達関係は続き、折に触れて相談に乗ってもらっていたの。

 私の末娘と彼の娘さんが同い年で、“娘が20歳になって親の責任から解放されたら一緒に暮らそう”と言ってくれていたんです。秘かにその日を夢見ていたのですが……その前に彼は心筋梗塞で突然亡くなってしまいました

 しかし、その後、小百合さんの周りで、いろんなことが動き始める。

彼が哲夢と2人で夢に出てくることが何度もあって。そして現実でも、2人が“僕たちがついているよ”と後押ししてくれているような力を感じることが度々あったのです」

 そのひとつは、アメリカで妹を見つけたことだった。

アメリカ軍人だった父は、母と私を置いて帰国したため、私には父の記憶がなく、どんな人かも知らなくて。2002年にテレビ番組の企画で、生き別れの父を捜し出す旅に出たのです。残念ながら父は亡くなっていたけれど、父の再婚相手の娘、つまり私の妹を見つけることができたんです。

 さらに父の弟、妹、私にとっては叔父や叔母を発見。それまで自分に妹や叔父、2人の叔母がいることを知らなかったから、もやもやしていた私の半分のルーツがわかって、うれしかったですね。叔父は4年前に亡くなりましたけど、生前には麻衣の結婚式にも来てくれて。交流できたことは幸せでした」

アメリカで捜し出した妹とのツーショット。裁判官の職に就いていたという

 さらに、かねて「ぞうの楽園」をつくりたいと思っていたところ、勝浦に土地が見つかり、ある動物園から「老齢のゾウを引き取ってほしい」との要請もあり、『勝浦ぞうの楽園』をオープンさせた。

「それで『ぞうの楽園』がメディアで紹介されたことで、出版社の方から“本を出しませんか”と声をかけていただいて。それが『星になった少年』の原作となった本です。出版されると反響を呼び、すぐに映画化の話が持ち上がったんです

 まさに、とんとん拍子に事が運んでいく。

「ちょうどそのころ、カンヌで主演男優賞を取った柳楽くんの第一報がテレビで流れていたの。彼の目力に惹かれ、“哲夢の役は、この子がいいわ!”って。すぐに映画のプロデューサーに電話をかけたら、“僕も今、見ていました”と意見が一致。配役が速攻で決まりました。

 これだけ偶然が続くと、やっぱり天界で哲夢と彼が手を組んで、私のために動き回っているとしか思えないんです

2頭のゾウの死、後追い死さえよぎって

『アニマルワンダーリゾウト』には、2011年に開園したもうひとつの動物園『サユリワールド』がある。

映画『星になった少年』で哲夢さんを演じた柳楽。タイでの海外ロケでのひとコマ

ずっと前から、大人が楽しめる動物園をつくりたいと思っていたんです。

 
もっと言うと、自分の庭ね。自分の家の庭にキリンがいたらステキだな、っていう発想が原点。そしたら運よく『市原ぞうの国』の、すぐ隣の土地が売りに出て、即決で買いました」

 このときのことを麻衣さんは、こう証言する。

母から内線電話がかかってきて、“土地、買っちゃったよ”って。まるでスーパーで、ニンジン買ったよ、というのと変わらない言い方(笑)。母ってそういう人なんです」

 ハハハと笑いながら小百合さんは、こう続ける。

でも即決したあとで大変な思いをするの。購入した土地は、草ぼうぼうの竹やぶですよ。スズメバチはブンブン飛んでる。防虫ネットをかぶって入ると、穴はあるし、転ぶし……。そこを更地にするだけでも、半端なく大変だったわよ」

 5年の歳月をかけて開園にこぎつけた、小百合さんの理想郷ともいえる動物園だ。中央の広場では、放し飼いのカピバラ、カンガルー、ウサギなどの草食動物が思い思いに動き回っている。人懐っこく寄ってくるウサギもいれば、人の存在など無視してボーッと静止しているカピバラも。

 何より感動するのは、キリンを至近距離で見られることだ。下のほうは柵で囲われているが、テラスの2階に上がると、キリンと同じ目線で、キリンと顔を合わせることができ、直接エサを与えることも。

『サユリワールド』では、動物と信じられないくらいの距離感で接することができる 撮影/北村史成

違う種類の動物が共存し、人と動物も共存できる、それがテーマです。自分の庭をつくりたい、が最初の動機なので、実はこんなにお客さんが来てくれるとは思いませんでした。

 普通、動物園は集客のために、お客さんの満足度を上げることに注力します。当然です。でも、『サユリワールド』の成功で、自分の満足度とお客さんの満足度は両立することがわかりました。自分が楽しめる動物園であれば、お客さんに楽しんでもらえるんです」

 順風満帆に進んできた動物園経営。しかしその矢先に、またも悲しい出来事が起きた。昨秋、2頭のゾウが腸炎で死んだのだ。

 市原ぞうの国で3頭の子を産み、動物園では世界的にも稀な乳母で、1頭をしっかりと育てた偉大な母プーリーと、哲夢さんがかわいがっていたミニスター。思い出深い大切な2頭を失った。

「診察した獣医師によると、おそらく、草に含まれる成分が原因で中毒を起こしたようです。私、死にたいくらい落ち込んじゃったの。そもそもプーリーもミニスターも私が選んで、ここに連れてきたゾウです。

 もし私が選ばなければ、死ななかった。あの日、スタッフに草取りをさせず、それをエサとしてゾウたちに与えなければよかった、とか、とにかく自分を責めて。全部私のせい、と思ってしまったんです。

 哲夢が亡くなったときでさえ後を追うことは考えなかったのに。あの子がやり残したことを私がやらなければ、という思いがあったから。でも今回ばかりは……」

 プーリーがこの世を去り、その後を追うようにミニスターも──。そんな彼女を暗闇から救い出してくれたのは、またも天国の息子だった。

久し振りに哲夢が夢に出てきたんです、プーリーとミニスターを連れて。“ミニスターは僕のところに来たけど、プーリーは初め、違う場所に行ってしまったんだ”って。

 ミニスターは哲夢が育てたゾウだけど、プーリーは哲夢が亡くなったあとにうちに来たから面識はないんですよ。だからあちらの世界で迷っちゃったみたいなの。

 でも夢の中で息子は、“ミニスターが捜して僕のところへ連れてきてくれたよ。プーリーも僕が世話をするから大丈夫だよ”と言ってくれて。すごくリアルな夢でした。こういう夢を見られるということは、私はまだ自分の勘を信じていいんだ。そんなふうに思えて」

 小百合さんは、落ち込んだとき、何か行動を起こすことで自分を奮い立たせる。

「気分を変えなきゃと思って。『勝浦ぞうの楽園』の近くに、マンションを一室保有していたのですが、それを買い替えようと思い立ったんです。

 ネットでリゾートマンションのサイトをチェックしていたら、館山にいい物件があって。見に行くと、景色が素晴らしくてね。買っちゃったの(笑)」

 以来、動物園のイベントがない限りは週末を館山で過ごしているそう。

私の休みは金曜日の夕方から土曜日だけ。日曜日の朝には車を飛ばして市原に帰ってきますよ。ひとりでも不自由なく生活できる場所なので、いずれ終のすみかにしようと思っています。老後に、子どもたちに迷惑をかけたくありませんから」

老後──後継者問題の悩み

 老後──小百合さんでもリタイアを考えることがあるのだろうか。

「もし哲夢と彼が生きていればね、今ごろ私はここにいませんよ。動物園のことはさっさと哲夢に任せて、私は彼とハワイで悠々自適に暮らしていたでしょうね」

 アハハと笑いながら、冗談とも本音ともつかない言葉を口にする。人の心の中は複雑だ。いつもいつも前を見て突き進むのは疲れる。ゆっくり余生を楽しみたいというのも、ひとつの本音だろう。実は5年ほど前、小百合さんは、M&A(企業合併・買収)による事業譲渡を考えていたという。

『サユリワールド』開園日のセレモニー。小百合さんの夢がまたひとつ現実になった瞬間だった

「後継者問題で悩んで。次男の峰照と麻衣夫婦がスタッフとして働いてくれていますが、私が退いたあと、あの子たちはちゃんと事業を引き継いでやっていけるのか、と。

 どこかの企業と統合して動物園を存続させたほうがいいかもしれないと思い、M&Aの専門家に相談したところ、2つの企業が統合に名乗り出たんです。どうしようかと迷って、飲み友達のひとり、布留川さんに相談したら、大反対されました」

 日本動物園水族館協会の会議で20年以上前に知り合ったという布留川信行さん(72歳)は、八景島シーパラダイスを設立し、社長も務めた人物だ。企業人として幅広い知識を持つ布留川さんに、小百合さんは全幅の信頼を置いている。

企業統合して譲渡するということは、坂本園長の手から離れるということ。これだけ手をかけて愛情を注いできた動物園ですから、やはり他人が手を加えると坂本園長は納得できないと思うし、きっと悔やむでしょう。

 他人が行うことは、自分が行うこと以上のものにはならないですから。それと、ここには事業継承者がちゃんといますよね。親の目から見ると、お子さんたちは物足りないのかもしれないけれど。若い人たちは必ず育つし、引き継いでいきます。何か問題があるわけでもないのに、M&Aをするのは、あまりにも損失が大きい」(布留川さん)

 と、小百合さんの性格を知るからこその反対意見を述べた。

正直、私の心の中には、譲渡して手を引いてしまえばラクなんだろうなという気持ちも。でも、動物園がこれまでと違う方向性で運営されたらイヤだなと思ったんです」

 M&Aは白紙に戻した。そして、コロナ禍で臨時休業をせざるをえない状況となり、この間に施設の発展に向けてタイ王国政府からの協力も得て、老朽化の進んでいる施設を含めてリニューアルを進め、昨年3月にオープンとなった。

「コロナの先行きが見えない中、銀行からお金を借りて再発進。布留川さんに相談役になっていただき、新たに営業担当の人にも加わってもらいました」

 バイタリティーあふれる母に対して、娘の麻衣さんは尊敬の念を抱く。

母は“やる”と決めたことはやり遂げる人。私が小さいころから“もう決めたから”という言葉をよく口にしていました。自分で決めたことに対して突き進む精神は、人として見習いたいと思いますね」

 布留川さんは、園長としての小百合さんを高く評価する。

「経営者としても優秀で、いろんな挑戦をする。飲み友達のときは、その点が非常に気が合ったんです。加えて、相談役としてここに来て感心したのは、動物の生態にものすごく詳しく、何より動物への愛情が深いことです。

 園長は、はっきりと物を言うし、細かいところまで気がついて指摘するから、スタッフの人はそれなりに大変でしょうが(笑)、みなさん優秀で、動物への接し方や愛情のかけ方は、やはり園長のマインドを引き継いでいますね。園長が面白がってやっているから、スタッフも楽しそうに働いている。そんないい関係ができていると思いますね」

まだまだ任せられないのよ

 スタッフであり娘でもある麻衣さんは、こう断言する。

母にとって何より優先すべきは動物ですから(笑)。うちは5人きょうだいで私は真ん中。私を含めて上3人は祖母に育てられたようなもの。でもまったく寂しさはありませんでしたね。

 おばあちゃんが大好きだったし、近くに動物園のスタッフの社員寮があり、みなさんにかわいがってもらいましたから」

 母に反発して家を離れ、口もきかなかった時期もあったという。

「私自身も離婚して幼子を抱えてここに戻ってきたときは、時給750円から働き始めました。娘だからと特別扱いはありません。それから15年以上働いていますが、最近ゾウを飼育することの責任をひしひしと感じています。

 ゾウが天寿を全うするのは、50歳から60歳ぐらい。2019年にうちで生まれた、子ゾウのら夢が死ぬまで、私は生きていないでしょう。つまり次世代に継承していく必要がある。その覚悟がないと、ゾウって飼っちゃいけないんです」(麻衣さん)

 継承は必ずしも家族でなくてもいいという。

「私は好きでこの仕事をしていますが、“継ぎなさい”と言われてできる仕事ではありません。家族だけでできる仕事でもない。ほんとに今まで多くの人に助けられてきました。そうそう、コロナ禍の閉園のときも布留川さんが母を説得してくれたんですよね」(麻衣さん)

『市原ぞうの国』で生まれた子ゾウ、もも夏とら夢に囲まれ満面の笑み 撮影/北村史成

 柔和な笑顔で布留川さんは、小百合さんの不思議な魅力についてこう語る。

「外部の会合などでも、私はどちらかというと優しい言葉で話すのですが(笑)、小百合さんは歯に衣着せず、言うべきことをビシッと言う。それでも仲間が多く、みんなに慕われる。すごいなと思います

 余談だが、小百合さんは最初の夫の弟さんや、元彼のお母さんとも交流が続いたという。清濁併せ呑む度量の大きさと、困ったことがあるとすぐに誰かに相談するオープンな性格、そして何より、動物園事業に対する情熱が、「なんとか力になってあげたい」と周りに思わせるのだろう。

 最近、新たに始めたことがある。

『日本のぞうさんを幸せにする研究会』を設立しました。うちは、ゾウ使いがいて、ゾウとコミュニケーションをとってケアしているからこそ、ゾウが幸せに暮らし、子ゾウが何頭も生まれたのです。それは自信を持って言えます。

 ゾウが幸せに暮らすためのノウハウをきちんとした形で発表するのがひとつの目的。そして一般の方々に、ゾウのことをもっと知ってもらい、ゾウを好きになってくださることを目標にしています」

 リタイアは遠そうだ。麻衣さんも、うなずく。

「娘としては、安心してゆっくり暮らしてほしいという気持ちもありますが……。正直、あとは任せてください、と言える自信はまだないかな。うちは長寿家系で、曾祖母は104歳、祖母は96歳で天寿を全う。

 母もバリバリ元気だし、あと15年ぐらいは大丈夫かなって思っています」

 園内のタイ料理レストランで話を伺っている間も、小百合さんは店の細部に目を配る。

「麻衣、このティーカップの皿を、白ではなく緑に変えない?」「ほら、あの椅子だけ座布団がないわよ。ちゃんと敷いといて」。そして最後に、こう言って豪快に笑った。

「常にこうなのよ、まだまだ任せられないのよね」

〈取材・文/村瀬素子〉

村瀬素子(むらせ・もとこ)●映画会社、編集プロダクションを経て'95年よりフリーランス・ライターとして活動。女性誌を中心に、芸能人、アスリート、文化人などの人物インタビューのほか、映画、経済、健康などの分野で取材・執筆。

『市原ぞうの国』で7月12日と26日、ともに11時から「ゾウを学ぶ勉強会」を開催。ゾウの身体能力や知的能力など、ゾウについてあまり知られていないことを知るチャンスです。