昨夏、『東京2020パラリンピック』の閉会式。熱戦を見守り続けた聖火は『この素晴らしき世界』のピアノ演奏とともに消えていき、幕を閉じた。演奏をしていたのは“7本指のピアニスト”西川悟平。
プロとしてN.Y.で活躍していたが、26歳のときに手の指が内側に曲がってしまう“局所性ジストニア”を発症。5人の医師から“今後、一生ピアノは弾けない”と宣告されるも、絶望の淵から立ち上がり、“7年かけて1曲”という気の遠くなるような壮絶なリハビリをへて、右手の指5本と左手の親指と人さし指で演奏ができるように。今では世界中で奇跡の音色を響かせている。
実は西川が起こしてきた奇跡は、これだけではない。その人生において“さすがに無理でしょ”という局面を、持ち前のマインドと実行力で切り開き、また切り抜けてきた。
泥棒とのウソのようなリアル体験が舞台に
そんな奇跡のひとつ。8年前のリアル体験が『7本指のピアニスト〜泥棒とのエピソード〜』として舞台化される。
「すごくうれしいし、幽体離脱したような気分です(笑)。“事実は小説より奇なり”っていうけど、まさに僕の人生は奇なり。こんなの、ないから(笑)。しかも、僕を演じてくれるのはEXILEの松本利夫さんですよ?」
舞台はN.Y.、ジストニア発症後、ピアニストとして再起した西川がひとりで暮らす部屋。深夜に2人組の泥棒に入られ、謎の液体入り注射器を突きつけられる。
「すごく怖くて、腕からガタガタ震えて。でも、部屋を物色する泥棒を見ているうちに、“どういう家庭環境で育つと、人の物を盗む人間になるんだろう?”と。恐怖心が好奇心へと変わっていき、どうしても聞きたくなって“どんな子ども時代を過ごしたの?”と話しかけました」
“黙れ!おまえに俺のクソみたいな人生がわかるか!”と怒鳴りながらも、泥棒は壮絶な幼少体験を話し始める。
「涙が止まりませんでした。“大したものはないけど、何でも持っていって”と言いました。また、おいしい日本茶があったので、彼らに淹れてもてなしました」
その後、8時間(!)も会話を続ける中で、泥棒のひとりの誕生日が近いことが判明。西川が『Happy Birthday to You』を弾くと、泥棒は泣いていたという。
「僕がカーネギーホールの大ホールで演奏する夢を語ると、“そのときには招待してくれるか?”と。“もちろん”と答えました。
その後、僕の部屋の鍵の壊れた窓を修理してくれて、“戸締まりには気をつけろよ”と泥棒は帰っていきました」
1年後、カーネギーホール・大ホールのVIP席に座ったジャケット姿の2人の男。それは……!
パラ開会式よりもっと大きな夢
ピアノを始めたのは15歳ながら音楽短大に現役合格。和菓子屋に就職したのに、とあるコンサートの前座で演奏すると世界的ピアニストのデイビッド・ブラッドショーらにスカウトされN.Y.へ。そして、10本指時代にはなしえなかったワールドツアーをジストニア発症後に実現。
改めて、西川に奇跡の起こし方を尋ねると、
「人間力?僕にはそんなのないです。あるのは、人が好きで、人に対する興味・好奇心です。奇跡って、どんなに自分ひとりが頑張ったところで起きない。いつだって人が運んできてくれるもので、僕に関わってくれた人のおかげなんです。だから感謝の気持ちとともに、僕は夢を恥ずかしげもなく口に出すんです」
東京2020パラリンピック閉会式での演奏もそうやって叶えたのだと微笑む。
「次の夢はもっと大きいんです。“絶対無理” “二度と弾けない”と言われた僕が、でも弾けた。この“できたよ”を日本全国の小中高、大学、養護施設、少年院……次世代を担う若者たちに届けたい。
そして“30年前、西川さんに背中を押してもらったから夢が叶えられたんです”という再会を果たしたい。それが僕の最高の夢ですね」
パラ閉会式、抜擢秘話
西川が“東京2020で演奏する”という夢を持ったのは40歳のとき。以来、どこでもその夢を公言してきた。
「例外なくロンドン公演でも。その客席にいたスコットランド人の映画プロデューサーが僕を気に入ってくれ、彼女の作品が日本で上映される際に呼ばれました。その舞台上で彼女は“悟平には夢があるのよね?東京五輪で弾きたいのよね?”と言ってくれて。たまたま、その客席には組織委員会の関係者がいて。演奏後、ロビーで呼び止められ、なぜ弾きたいのか聞かれました」
暗いニュースが多い世の中、おっさんが夢を叶えている姿を若者に見てもらいたい。“7本しかない”じゃなくて、“まだ7本ある”という考え方をすれば、必ず何かが変わる。そう力説したという。
「その後、'21年6月中旬になっても音沙汰はなくて。ダメだったなと思っていたとき、俳優の小橋賢児さんから連絡が来て。1度だけお会いしたことがあったんです。“何だろう?”と思ったら、“9月5日は日本にいますか?実はつい最近、東京2020のグランドフィナーレの総合演出を任せられることになりまして。西川さん、閉会式で弾いてもらえますか?”と。失神しそうでした(笑)。もちろん“やります!やります!”と」
小橋がまだ無関係の立場で会った際の西川は、やはり熱く夢を語り、スマホの待ち受けは東京2020のエンブレムだったそう。“この人の夢が叶えばいいな”くらいにしか思わなかったが、その役職に就いた際、西川の言葉を思い出したという。
「僕に決定したのはトップダウンではなく、組織委員会を下のほうから支えている人たちによる引き上げだったんです」