7月25日は「体外受精の日」。約5・5組に1組の夫婦が不妊の検査や治療を受けている。長年、患者が全額費用を負担する自由診療で行われてきたが4月からは高額な体外受精などが保険適用に。不妊治療が受けやすくなる半面、薬の量や種類が限定され、治療のクオリティーが下がる危険性も。総額800万円、950万円という費用を治療にかけている2人の当事者に話を聞いた。
不妊治療の壁だった治療費が保険適用に
7月25日は1978年にイギリスで世界初の体外受精児が誕生した「体外受精の日」。以来、技術は著しく進み、日本でも体外受精による出生数は2019年には6万598人と過去最多に。新生児の14人に1人は体外受精で生まれていることになる。
晩婚化などにより不妊治療を受ける夫婦が増える中、治療の高い壁となっているのが費用の問題だ。2004年に始まった国の助成制度は、金額・適用範囲ともに徐々に拡大されてきた。しかし、初期検査や原因疾患の治療以外は、全額自己負担である自由診療を受けざるをえなかった。
このような事態を改善すべく、今年4月に不妊治療が保険適用になった。治療費は原則3割負担に軽減。さらに医療費の支払いが一定の金額以内ですむ「高額療養費制度」が利用できることも大きい。
だがその一方で、新たな問題点も浮き彫りになってきている。その“恩恵”と“不安”の実態を、医師と治療中の女性に取材した。
高額治療のハードルが下がる恩恵は大きい
長年、不妊治療に力を入れてきた西川婦人科内科クリニック院長、西川吉伸医師は、「保険適用で不妊治療のハードルが下がり、初診の患者さんが少し増えました」と話す。
不妊治療は初期検査で原因がわかれば、その治療が第一歩。次に排卵期を確認して進める「タイミング法」、精子を子宮に注入する「人工授精」、体外で受精した受精卵を子宮に移植する「体外受精」や「顕微授精」※と、段階を追って進められる。(※顕微授精…体外で、卵子に精子を注入して受精させた受精卵を移植)
同時に排卵、着床など各段階で、必要に応じて薬やホルモンを投与し、妊娠の確率を高めていく。
「体外受精は有効な手段ではあるものの、治療費は1回につき平均50万円ほどと高額です。保険適用になり、費用面で躊躇せずに早い段階で体外受精に進める人が増えるのでは」(西川医師)
不妊治療中のAさん(40歳)も保険適用には期待を寄せる。Aさんは34歳で結婚。妊活は早いほうがよいと考え、35歳から不妊治療を始めた。
「初期検査では原因不明。タイミング法を2回、人工授精を3周期行ったあと、年齢も考えて、すぐに体外受精に進みました。引き続き凍結した卵子で体外受精を行う予定ですが、保険適用になるのは助かりますね」(Aさん)
悩ましい保険適用の壁、難しい「やめどき」
しかし今回の保険適用にはさまざまな制限があり、新たな混乱も生じている。
前出のAさんは、これまで5年間の不妊治療でかかった費用は、すでに800万円超。国の助成制度も利用したが、体外受精は1子につき6回までという制限があり、あっという間に「カードを使い切ってしまった」と話す。
第2子妊娠中のBさん(40歳)は32歳で結婚、34歳で治療を始め、35歳で体外受精に進んだ。3回の流産を経て、38歳のときに第1子を出産。再度の不妊治療を経て第2子を懐妊したが、費用はトータル約950万円に及ぶ。
「改めて夫と計算してみたらこの金額。不育症があり、入院を繰り返したせいかもしれません」(Bさん)
4月からの保険診療でも体外受精については40歳未満で1子につき6回、43歳未満で3回という上限がある。Aさんのように治療が長期化すれば経済的負担は大きい。
それでも2人が口をそろえるのは「治療のやめどきをあらかじめ費用面で想定しておくのは難しい」こと。治療を進めるうちに有効な治療がだんだん見えてくることがあるからだ。
Aさんも流産を経験したが、妊娠できた事実に希望を見いだせた。また、その後の治療で質の良い卵子を採卵できたことなど、慎重に状況を見極めながら治療を続けてきた。
その結果もあり「妊娠の希望があるのに費用の上限を決めたからと、簡単にあきらめられるものではない」という心境になっている。妊娠の可能性があるならやめられない……。
治療費は夫の口座から引き落とされるクレジットカードで支払うが、ほぼ毎月足りないので引き落とし前にAさんの口座からお金を動かしている。
両者とも夫婦共働きで、今のところ子どもの教育費や老後資金にも大きな懸念はないが、年収が少ない家では不妊治療費が家計を直撃する。
細かすぎる適用制限に、医師も患者も困惑
保険適用範囲の制限に対しては、「医師サイドもたいへん困惑している」と西川医師(前出)は話す。
「薬の量や種類、検査の回数など、保険適用範囲の規定が非常に細かい。同じ治療を続けたくても適用範囲外だと、保険診療と自由診療の混合診療はできないため、全額自己負担になってしまいます」
保険適用の薬が限定されたため使いたくても品薄になり、入手できないという事態も生じている。走り始めたばかりの制度ではあるが、今後は適用範囲を柔軟にするなど、改善の必要がある。
とはいえ、保険適用によって恩恵を受けられるケースは多い。厚生労働省は、まだ収入が少ない若い夫婦でも治療に臨めるという利点もあげる。「卵子の年齢≒女性の年齢」であるので、1年早く治療に入れば、その1年分若い卵子で治療を進められる。
「妊娠しやすい状態で始めれば、費用が軽減できます。医学的には普通の性生活を続けて1年妊娠しなければ『不妊』とされますが、妊娠を望むなら半年ほどで一度、検査を受けてみては」(西川医師)
精神面のつらさを相談できる場を
当事者にとって費用以外につらいのは不妊治療について「相談する相手がいない」こと。35歳以上の高年出産を目指すとき、子育て中の同世代の友人や同僚などには相談しにくい。特にBさんのように2人目不妊の場合は子どもが1人いることで悩みを理解されにくく、孤立しがちだ。
「治療法やクリニックの情報は病院に置いてある妊活のフリーペーパー『ジネコ』から得ましたね。自治体などが行う無料のセミナーに参加したことも」とAさんは話す。
不妊治療支援団体に加入して情報を得たり、相談したことも心の支えになったという。Aさんも「流産をした後は、子ども連れを見て心が痛んだことも。コロナ禍にオンラインで相談に乗ってもらい、気持ちが楽になりました」
西川医師のクリニックでは専門のカウンセラーが心のケアに当たっている。
「悩んだときはひとりで抱え込まず、医師やスタッフに相談してください」(西川医師)
【不妊治療支援団体】
NPO法人
Fine(ファイン)とは?
当事者の治療環境向上や、精神的サポートなどの支援を行うセルフサポートグループ。【URL】https://j-fine.jp/
お話を伺ったのは…
西川吉伸医師
西川婦人科内科クリニック院長。50年にわたり不妊や婦人科疾患治療に従事し、雑誌・テレビなどでも活躍。著書に『赤ちゃんを授かるためのママとパパの本』など。
Aさん(40歳)
35歳から不妊治療を開始。流産、2回の転院を経て、今後も凍結卵子による体外受精を予定。
Bさん(40歳)
34歳から不妊治療を始め、38歳のときに体外受精で第1子を出産。再度の不妊治療を経て第2子を懐妊中。