「8月6日、NHKの音楽番組で、肥後克広さんと寺門ジモンさんが歌謡コーラスグループ『純烈』とコラボし猿岩石のヒット曲『白い雲のように』を熱唱。2人でもダチョウ倶楽部を続けていくという強い決意のようなものを感じました」(テレビ誌ライター)
上島竜兵さんは5月11日の未明に自宅で倒れているところを、妻の広川ひかるが発見。救急搬送されたが、病院で死亡が確認された。
「竜兵さんと広川さんは10歳差。おふたりの間にお子さんはいませんでしたが、夫婦仲は良好のようで死の直前も近所で一緒に散歩しているところを何度も目撃されています」(スポーツ紙記者)
ダチョウ倶楽部はバラエティー番組で活躍。「聞いてないよォ」は1993年の流行語大賞にも選ばれた。
「“絶対に押すなよ!”や“どうぞ、どうぞ”といったギャグが有名ですね。上島さんはもともと役者志望。最近でもフジテレビ系の『やんごとなき一族』などのドラマに出演していました」(前出・テレビ誌ライター)
ベテランでも威張ることはなく、後輩芸人から慕われた。
「上島さんを中心にした『竜兵会』は、肥後さんや劇団ひとりさん、有吉弘行さんなどが参加。草野球や飲み会を定期的に開いており、上島さんの面倒見のよさがわかります。有吉さんの低迷期には、お小遣いをあげたりして援助していたこともありました」(前出・スポーツ紙記者)
本当のところは誰にもわからない
仕事もプライベートも充実していたはずの上島さんの死は衝撃的であり、さまざまな臆測を呼んだ。
「慕っていた志村けんさんが新型コロナで2020年3月に亡くなり落ち込んでいたのは事実。同時に身体を張った芸がやりづらくなり、大好きな飲み会が激減。環境の変化が影響したともいわれています。ただ、本当のところは誰にもわかりません……」(テレビ局関係者)
上島さんの死から3か月。彼が通っていた神戸村野工業高校で担任を務めていた柏木富士男さんは、まだ実感が湧かないという。
「2020年11月の夜中に電話がかかってきたときに、“学校の創立100周年祝賀会に卒業生として出席してほしい”と伝えました。承諾してくれましたがコロナ禍で実現できず、もし会っていろいろ話ができれば違う結果になっていたかもしれません……」
『今宵の月のように』をリクエスト
彼が行きつけだった都内のバー『ルーキーs』のマスターである伊藤実氏も当時を懐かしむ。
「以前は、芸人仲間を連れてきてくれて、夜12時過ぎから朝まで飲むのが恒例でした。カラオケも好きで、よく昭和歌謡を歌っていましたが、エレファントカシマシの『今宵の月のように』と杏里の『オリビアを聴きながら』が好きだったのか、何度もリクエストしていたのが印象に残っています。一緒にいて本当に楽しかったから残念ですよ」
今も続く残された側の悲しみ。一方、上島さんと同じお笑い芸人たちは、異なる心持ちで乗り越えようとしている。
「あまりにショックな出来事だったので、どうしてもしんみりしてしまいがちなんですが、そんな雰囲気を上島さんは望んでないと思うんですよ。なので『竜兵会』のメンバーたちは、上島さんの思い出話をするときは“湿っぽくならずに、ギャグやボケをいつも以上に飛ばして明るくしよう”という誓いを立てているんです」(上島さんと親交のあった後輩芸人)
仲間たちが常に笑顔でいることが、彼にとっていちばんの供養になるのかもしれない。