広末涼子、42歳。1995年に14歳でデビューして、もう四半世紀以上、芸能界の第一線にいる。
現在は火曜ドラマ『ユニコーンに乗って』(TBS系)に出演中。5月にはベストマザー賞を受賞した。また、週刊女性が目撃したPTA活動や蕎麦屋でのひとり酒、他誌が報じた渋谷センター街でのマッサージからのひとり寿司など、マイペースな日常も話題だ。
とはいえ、その芸能人生には「迷走期」もあった。まずは、1999年の早稲田大学進学をめぐるドタバタだ。
一般入試ではなく、いわゆる「一芸入試」での合格だったため、出来レース説が浮上。しかも、入学から3か月近くにわたって1度も登校しなかったことが物議を醸した。
初登校日にはマスコミが集合、パニック状態に。もみくちゃにされた彼女は週刊誌で、
「ふざけるなって思った」
と語ったが、同時期に俳優・伊勢谷友介との同棲がスクープされていた。アンチからも「ふざけるな」という反応が飛び出したものだ。
“プッツン女優”の異名を戴冠
2年後には、どこまで事実かは不明だが、さまざまな「奇行」も取り沙汰された。その後の人生を暗示するようなタイトルの主演ドラマ『できちゃった結婚』(フジテレビ系)の撮影現場でのこと。「遅刻が日常茶飯事」とか「白昼、スカートのボタンが外れたまま現れた」とか「リハーサル中でも携帯を手放さず大声で話したり、携帯の電波を求めてさまよい歩いたりしている」とか。
さらに「150キロ離れたロケ先までタクシーで無賃乗車して、ドライブインでお金を借りたあげく、そのロケが中止だと知った」という文字どおりの迷走エピソードも報じられた。
このため、彼女はマスコミから「プッツン女優」と呼ばれることに。早大進学の際には当時の総長を、
「いよいよ第2の吉永小百合ができる」
と喜ばせたが、早大卒の大女優の平成版を期待させるようなイメージは一変した。
では、それまでの彼女はというと─。1996年にNTTドコモの「ポケベル」のCMで鮮烈にブレイク。新しい時代の新しい顔として注目され、翌年には歌手デビューして「紅白」出場も果たした。
同年、ヒロインを務めた月9ドラマ『ビーチボーイズ』(フジテレビ系)もヒット。小学校の卒業文集に「20年後の私」として挙げた「トップ女優になる」という夢をわずか数年で実現してしまった。
実家も裕福で、高知市内で事業を展開。中学では陸上部に入り、走り高跳びと100メートルハードルで県2位になった。学業成績もよく、クラスで1番だったこともあるという。大学受験の際には、従兄の東大生(のちに国会議員も経験)に家庭教師をしてもらった。
とまあ、強い星のもとに生まれ、連戦連勝だった彼女にとって、前述の迷走は初めての挫折。ただ、本人に言わせると、そうでもないらしい。
2004年の著書『sketch』のなかで、
《私、願いというものが悉(ことごと)くかなってしまうのだ》
と、豪語。実はこの時期、あまりの忙しさに「一時でも、仕事が少なくなればいいのに」と願っていたという。太れば干されると考え「炭酸、クッキー、ビール、ラーメン」という暴飲暴食でわざと15キロ増量したことものちに明かした。
伊勢谷友介ら“ヤンチャ系”がタイプ
また、1999年の著書『広末』では、大学を目指した理由について、
「仕事以外の場所ももちたい(略)新しい世界での出会いを大切にしたいなあと思ったの」
と、語っている。この時期、恋愛関係がにぎやかだったのも「出会いを大切に」したかったのだろうか。ただ、彼女は前出の伊勢谷や金子賢のような、やんちゃ系が好みのようで、そこを「奇行」と関連づける見方も飛び出した。
そんなわけで、周りから「落ちた時期」と受け取られても「心からよかった」と振り返る彼女。これがあながち負け惜しみでもなさそうなのは、そのあとに訪れた本物の危機について、今年、こんな告白をしているからだ。
「2006年、2007年は私、たぶん人生最悪で、いつも高い所に行ってましたね。(略)よく生きていたと思います、私も。運動神経悪かったら、落ちているなとか」(『突然ですが占ってもいいですか?』フジテレビ系)
どう最悪だったかについては、
「全然言えないですね。ちょっとキャラクター変わっちゃう。(略)信じていた存在が信じられなくなることってあるから」
と、明言せず。ただ、2003年に大学を中退した彼女は、直後にモデルの岡沢高宏と授かり婚して、2008年に離婚している。このあたりと関係しているのだろうか。
とはいえ、2010年にはキャンドルアーティストのキャンドル・ジュンと再婚。このときも授かり婚で、また、相手が全身にタトゥーを入れている人だったため、心配する声もあがった。それでも、夫婦生活は円満なようで、2015年には娘も誕生。広末は前夫との子である長男も含め、2男1女の母親となった。現夫は文字どおり、彼女の人生にキャンドルを灯したのだろう。
仕事面では、2008年に映画『おくりびと』がヒット。国際的にも高い評価を得た。
自分の中身がなくなる不安あった
ではなぜ、彼女は危機を乗り越えることができたのか。もともと、挫折を挫折と思わないような強い人だったわけだが、それでも運命に負ける人はいる。実は彼女、前出の番組でこんな発言をしていた。
「でも悩んだり、落ち込むタイプじゃないから、とにかく勉強して回避しようと思って」
また、同じく今年出演した『あさイチ』(NHK総合)でも、高校時代、哲学書を持ち歩いていたと回想。
「お仕事がすごく忙しくて。たくさんインタビューでお話しするなかで、アウトプットばかりしていてインプットしないと自分の中身がなくなっちゃうとか、そういう不安もあったんだと思うんですよね」
と、理由を明かした。
世間からは、大学進学を「早大ブランド」欲しさではと揶揄されたりしたが、ちゃんと勉強するつもりだったのだ。授業にもそれなりに出ていたことは、教育学部国語国文学科で同期だった芸人・小島よしおものちに証言している。『あさイチ』には大学時代にできたという女友達も3人、VTRで登場していた。
ちなみに、この学科を選んだのは、ボキャブラリー不足を痛感したからのようだ。当時、彼女が書いた文章(林真理子の小説『東京デザート物語』の解説)にも、自分の言葉選びが「すごく」や「とっても」ばかりで「バカっぽい」と自嘲する部分がある。
思わず「紅白」でも歌ったセカンドシングル『大スキ!』のサビを思い出したが、作詞した岡本真夜は広末の言動からヒントを得たのだろうか。
それはさておき、哲学者のソクラテスが「無知の知」を説いたように、知らないことを自覚するのは大事なことだ。そして、何かを学ぶことで、解決方法を探し、乗り越えようとする姿勢が、もともと強い人をさらに強くしたのだろう。
そんな彼女は今年『ヒロスエの思考地図』という哲学的エッセイを出版。哲学に詳しい人によれば、その造詣はさほど深くないようだが、女優が専門家になる必要はない。
若さを保つ努力を欠かさない
例えば、女性にとって大きな命題として「老い」とどう付き合うか、というものがある。広末も昨年『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で「オバサンになったら女優さんをやめようと思っていた」と語った。現在では、
「逆に積み重ねたからこそ出せる演技であったり、感情っていうものがきっと生まれてくる」
という境地にも達したようだが、若さを保つための努力もしている。2017年には『しゃべくり007』(日本テレビ系)などで「パオ」という美顔器具を紹介。顔を鍛える体操を実演してみせた。あのヒロスエの美顔術ということで、反響はなかなかのもの。筆者のごく身近にも、実践している女性がいる。
哲学で老いを達観するより、美顔器具で抗おうとする─こういうベタな姿勢も、世の女性には好感を持たれるのではないか。お高くとまらず、等身大のアラフォーらしい葛藤を見せられるのも彼女の強さだろう。
その生き方はもう「第2の吉永小百合」ではない。彼女は「唯一無二の広末涼子」として揺るぎない存在感を獲得しているのだ。