「今日は9月に控えたコンサートのため、共演者で作曲家の加藤昌則さんとリハーサルをしていたところ。当日は『もののけ姫』をはじめとした歌に、加藤さんとのトークもあって、すごく楽しみです」
日本を代表するカウンター・テナー歌手の一人として、国内外で活躍を続ける米良美一さん(51)。3年前には自身の合唱団を立ち上げ、昨年は地元・宮崎県西都市民会館の館長に就任。現在は宮崎放送のラジオ番組にレギュラー出演し、毎週元気な声を届けている。
「生きるのがだいぶ楽になった」
米良さんが映画『もののけ姫』の主題歌を歌い、一躍ブレイクを果たしたのは25年前のこと。
「ありがたいことに、未だにどこへ行っても『もののけ姫』をと言われます。でもありがたいと本当に思えるようになったのは、つい最近になってから。自分で自分に課したこだわりを脱ぎ捨てるのにずいぶん時間を要したし、自分自身と向き合う作業が必要で、いろいろな方の力も借りました。
お陰で今は大変な世の中ですけど、僕自身は生きるのがだいぶ楽になった気がします」
映画公開時、米良さんは26歳。声楽家としてデビューし、クラシック音楽の世界でキャリアを築き始めていた頃だ。運命の依頼は突然で、自身も思いがけないものだったと当時を振り返る。
「お話をいただいたのはちょうどヨーロッパに留学した時でした。“宮崎のアニメの歌を歌わないか”という依頼があると言われ、宮崎県のアニメなんだ、僕も宮崎出身だから親孝行にもなるし、恩返しできるなと考えていたんです。でもいざ蓋を開けてみたら、世界の宮崎駿監督だった(笑)」
起用の発端は宮崎監督の閃きで、ラジオで米良の歌声を偶然耳にし、新作映画の主題歌にとオファー。米良さんは東京のスタジオジブリを訪れ、宮崎監督、鈴木敏夫プロデューサーと対面した。
「初めてスタジオに伺った時はまだ3、4分のイメージ映像しかできていない状態でした。でもその映像を観たら、美しい山々にイノシシや鹿が駆け巡っていて、これは僕の故郷・宮崎の光景だと思った。
僕も幼い頃から自然の恵みをいただき、その感謝と鎮魂の儀式の中で育ってきた。まさに僕が生まれ落ちた土地の原風景がそこに描かれていて、何か大きなご縁を感じました」
映画のヒットで米良さんは時の人に。地声と裏声の狭間を行き交うその声は神秘的で懐深く、宮崎監督が書いた詩の世界観と相まって、物語の風景を鮮やかにそこに描き出す。その声域はオペラ界でも希なカウンター・テナーで、“天使の歌声”とも評された。そして、テレビや雑誌とメディアから出演依頼が次々舞い込むように。露出は日ごと増え続け、同時にその謎の出自に耳目が集まっていく。
「芸能界で突如持ち上げられ、クローズアップされていきました。でも僕には隠していることがいろいろあったから、言えないこともたくさんあって」
難病であることを隠しながら
出身は宮崎県西都市。山々に囲まれたのどかな土地に、およそ2万人にひとりといわれる先天性骨形成不全症を持って生まれた。骨が折れやすく、成長しにくい原因不明の難病で、15歳までに30回近く骨折を繰り返している。
地元の小学校に入学を拒まれ、6歳から親元を離れ、高校卒業まで養護学校で寄宿生活を送る。経済的な余裕はなく、治療費を稼ぐために、父、母ともに肉体労働に従事し、身を粉にして米良さんを支えた。
歌は子どもの頃から得意で、歌が常に支えになった。しかし特別な教育を受けたことはない。声楽家を志したのは養護学校在学中で、音楽の担当教師に教えを請い、音楽大学に見事トップ入学をする。
これら宮崎時代の想い出は米良さんにとって決して楽しい出来事ではなく、封印しておきたい昔の記憶。芸能人にとって暗い過去は必要ないと、取材で聞かれてもひた隠しにしていた。
「人間って時には触れられたくないことに蓋をしたり、なかったことにして生きていくじゃないですか。生い立ちを聞かれるたび何とかはぐらかしてきたけれど、ある雑誌に“身長150センチ足らず、この男性か女性かわからない歌手はいったい何者?”という書かれ方をして、世間はそういう注目の仕方をするものなんだと知りました。
『もののけ姫』に対しても、“このオカマみたいな声は合わない”と書かれたことがあって傷ついたり。今思えばすごく悲観的に捉えていたし、悲しみと怒りがあの頃の僕自身に最も近い感情でした」
キャリアは順調で、日本ゴールドディスク大賞のベスト・クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。世界最高峰のオペラ歌手との共演も叶え、ヨーロッパでも高い評価を得た。だが世間の関心が高まるにつれ、息苦しさは増していく。やがて“天使の歌声”にも陰りが訪れる。長いスランプの始まりだった。
「声が出なくなって、歌のお仕事に限らず、バラエティにも活動の幅を広げていきました。キレイごとで言うと、いろいろなことにチャレンジしたいから。
でも本当はそんなことじゃないですよ。芸能人にとっては、忘れられないということが大事。生きていくために仕事を選んでいる場合ではない。どんなことでもして食いつないでいきました」
自分を解放できたのは美輪明宏の歌のおかげ
スランプ脱出の大きなきっかけになったのが、美輪明宏さんの歌う『ヨイトマケの歌』との出会い。家族のため工事現場で働く母を偲んで書かれた歌で、まさに自身の半生そのものだと感じた。米良さんはその曲を裏声でなく、あえて地声で歌った。勇気を振り絞り、生まれたままの声を披露し、そこで一つ殻を脱ぎ捨てた。
「ありのままの自分でいようとしたら、すごく穏やかな気持ちになれた。ようやく自分を客観的に見ることができるようになって、それまで隠してきた過去についても語れるようになりました。『ヨイトマケの歌』で再出発を切ることができた。僕の人生の第一章があのとき終わり、今は第二章を歩んでいるところです」
激動の第一章を乗り越え、穏やかに始まったはずの第二章。しかし試練はまだまだ容赦なく続く。'14年末、くも膜下出血で倒れ、長い闘病生活を余儀なくされる。
「ステージ4でした。コブが3つできていて、本当に命が危なかった。もともとうちはくも膜下の家系で、40歳を過ぎたら脳ドックを受けるようにと言われていたけれど、元気な時って聞かないんですよね(笑)。
予兆もまったくありませんでした。倒れたのは九州での仕事を終え、自宅に帰った日の夜のこと。でも帰りの記憶がすでになくて。翌日はオフで、たまたまマネージャーが発見してくれたから何とか助かったけれど、もう少し遅かったら……」
緊急手術で一命をとりとめるも、予後が芳しくなく1か月後に水頭症を発症。意識の混濁が続き、2度目の手術を受ける。復帰は約9か月後で、車椅子に乗ってステージに登場した。
「なるだけ痛々しく見えないように、演出で看護師の格好をしたスタッフに車椅子を押してもらいました。でもバレバレでしたけど(笑)」
再起でファンを喜ばせたのも束の間、再手術時に脳動脈瘤を止めていたクリップが外れ、ほどなく3度目の手術を行っている。
2年前には前十字靭帯断裂という大けがを負った。難病ゆえ骨にボルトが打てず、装具で固定してしのいでいる。日常生活にも支障をきたし、杖を手放せたのもつい最近になってからだという。
「ただお布団を準備していただけでバキッとなって。僕の場合、不慮の事故でも何でもなく、気を付けようがない。何より先天性骨形成不全症は中高年になって骨折が多発するケースもあるから、いつまでこの状態で歌っていられるか僕自身もわからないんです」
『もののけ姫』のキャッチコピーに支配されてるみたい(笑)
どんな過酷な状況も苦労もさらりと笑顔で語る。その声はどこまでも朗らかで、とてつもない精神力を思わせる。
「だって小さい頃からリハビリの連続で、努力しなければいけないことが多すぎたから。昨日まで元気でも、何かのきっかけで日常生活が一変してしまう、そんなことの繰り返し。けれどどんな状況になっても歌を辞めようと思ったことはなかったし、生き続けることを諦めようとは考えなかった。
思えば『もののけ姫』のキャッチコピーも“生きろ。”なんですよね。あの言葉に支配されているみたいで、何だかちょっと怖いくらい(笑)」
歌は自身にとって生きる糧であり、そして数え切れない人々の心を捉え続けてきた。
「この声はもともとお借りしているもの。天与の才だと思っています。だから粗末に扱ってはいけないし、きちんとまっとうしないといけない」
心身の充足が第一と、朝は6時までに起き、食事に気を配り、規則正しい生活を送る。家では愛犬と戯れ、リラックスを心がける。だがいくら日々を整えようと、避けられないこともある。
昨今のコロナ禍の影響を受け、米良もコンサートや講演会がいくつも中止に追い込まれた。しかし、もう受け入れるしかない。難病も含め、一緒に生きていく道を模索するしかないと、あくまでも前を見据える。
「生きていれば誰しも一寸先は闇。ネガティブな意味ではなく、人生って思いもかけないことが次から次へと起こるもの。それを身をもって体験してきたし、どんな時もとにかく今出来る努力をしていくしかないということをそこで学んできた。
このコロナ禍も、僕にとっては気をつけるべきことが一つ余分に増えただけ。どしっと腰を据え、すべきことを粛々としていきたい」
『もののけ姫』から25年。大ブレイク、そして長いスランプを味わった今、この曲とどう向き合っているのだろう。
「今すごく気持ちがのって歌えるようになりました。ようやく本当の意味が理解でき、歌がフィットするようになってきた。
レコーディングの時、宮崎監督から主人公のアシタカの気持ちになって歌ってくださいと言われたけれど、当時の僕は少女のサンの気持ちの方が強かった。今頃になって監督に言われたことがわかった気がします」
アシタカは一族の長となるべく育てられた物語の主人公で、サンと出会い、共生の道を模索する。サンは山犬に育てられた少女で、森を破壊する人間の存在を憎み戦う。
「僕自身ずっと悲しみと怒りの中にしかいなかったけれど、やっとそこから抜けられた。ようやく怒り狂う当時者ではない気持ちになれた。サンを思うアシタカの気持ちを別の角度から見ることができるようになった。
長い道のりでしたけど、やっとスタートラインに立てた気がして、これから大事に歌い継いでいきたい。ある意味本当に今、『もののけ姫』を歌い始めています」
米良美一コンサート情報:8/25(木)13:45出演 立川ステージガーデン(ゲスト出演)、9/14(水)14:00開演 四日市市文化会館。
(取材・文/小野寺悦子)