「20年以上一緒にいて、苦楽を共にした仲ですから。自分の腎臓を差し出すことに、まったく迷いはなかったです」
肉体美を競う「ベストボディ・ジャパン」仙台大会、そのモデルジャパン部門レジェンドクラス(60歳以上)で優勝を果たしてから数日後、ゴージャス松野さんは、そう静かに口を開いた。
どんな時も支えてくれた彼女
この大会にかける一つの重大発表があった。長年、時間を共にしてきたパートナーで歌手の田代純子さん(年齢非公表)のために、自身がドナーとなり生体腎移植手術を受けると発表。「彼女にいい報告を持ち帰りたかった」、面はゆそうに少し笑う。
松野さんといえば、'95年、女優の沢田亜矢子と結婚するものの、約2年後、泥沼の離婚騒動へと発展し、渦中の人となる。連日、大バッシングを浴びせられる彼の姿を覚えている人も多いはずだ。
'00年に離婚が成立し、第一審では、「妻子への暴力」、「会社の資金横領」などは事実無根との判決だったが、時間は戻らない。お金も信用もすべて失った。そんな彼に対して、“普通〞に接してくれたのが田代さんだった。
「彼女も私と同じ福島県生まれ。話が自然に合うというか心地よかった。私も再起をはかるために、路上人生相談をはじめ、ホスト、プロレス……いろんなことをやりました。なんとかしたかった」(松野さん、以下同)
だが、'03年にうつ病で入院すると、福島県に帰郷することを決意。活動休止のような状態が続き、'08年には、精神安定剤とアルコールの過剰摂取がたたり心肺停止の状態を経験する。文字どおり、どん底まで落ちた。
「どんなときでも、私を支えてくれたのが彼女なんです」
田代さんの献身的なサポート、そして福島県が東日本大震災によって甚大な被害を受けた姿を見て、「自分に原因があるのに、私は何をやっているんだ」。目が覚めた気持ちになったという。
松野さんが肉体改造を始めたのもこのころだ。酒をやめ、身体を鍛えていくうちに、精神面も向上。田代さんや地元の仲間たちとともに避難所の慰問活動を行ったり、2年半休んでいたプロレス復帰を果たすなど地の底から光の差す場所へと這(ルビ:は)い上がる。現在は、DDTプロレスリングに定期参戦するなど、その肉体を武器に活動を続けるーーその最中、'21年1月、田代さんが倒れた。
「救急車で運ばれると、即入院でした。検査の結果、ANCA関連血管炎に伴う急速進行性糸球体腎炎に罹患していることがわかりました。20〜30万人に1人の病気といわれている原因不明の指定難病でした」
ANCA関連血管炎は、普通であれば人間がつくることができないANCAと呼ばれる自己抗体が血液中に出現し、その結果、毛細血管を攻撃して炎症を起こす病だ。
自分の腎臓を移植することに決めた理由
「毛細血管がたくさんある臓器は腎臓と肺だそうです。彼女は、血糖値が高いわけでもないし、お酒も飲まない。健康な生活を心がけていただけに、原因不明と言われ戸惑いました」
ANCAによって腎臓機能が低下する。つまり、ANCA関連血管炎と急速進行性糸球体腎炎、双方を同時進行で治療していかなければいけないことを意味する。大量の投薬に、むくみや発熱など、田代さんの負担は筆舌に尽くし難かっただろう。その後、なんとか特効薬が効き、ANCA関連血管炎は寛解し、田代さんは退院することができた。
「ホッとしました。ですが、薬の副作用で免疫力が低下して急性腸炎や尿路感染も起こしてしまって。ようやく体調が安定してきたのは、昨年の夏くらいから……といっても、腎機能の低下は続いています」
腎機能を表すeGFRという数値がある。89〜60であれば正常値。ところが、田代さんは入院時がひと桁台、今現在も15という低い数値にあり、「末期腎不全」という扱いになる。
「何度も支えてきてもらいました。自分が支える番です」
現在、松野さんのSNSをのぞくと、毎日、「備忘録〜本日の相方の朝食・昼食・夕食」と題し、写真とともに献立が掲載されている。タンパク質、塩分、カリウムの量も記載。これらの腎臓病制限食は松野さんが作り続けているのだ。
「自分の肉体改造を始めたときに自炊するようになったので、苦じゃないんです」
そう笑うが、田代さんが退院してから毎日こしらえ、
「腎臓に負担をかけないように管理栄養士さんの栄養指導を受けながら作っています」
と話す声からは、彼女への思いが痛いほど伝わってくる。
「近い将来、彼女のeGFRはひと桁に落ちるそうです。そうなると透析か腎移植をするしかない。実は、彼女が入院していたときから自分の腎臓の提供を考えていました」
透析を選ばなかったのには理由があるという。
「彼女は歌手。スケジュールはイレギュラーですから、週に何度も通わなければいけない透析よりも腎移植のほうがいいだろうと。彼女の行動を制限するようなことはしたくなかった。亡くなった方から腎臓を提供していただく献腎移植も考えたのですが、ドナー登録者がとても少ないため断念しました。それで、私自身が提供する生体腎移植を選びました」
腎移植の傷痕は「勲章」
どんなに移植の意思が強くても、レシピエント(受取人)とドナーがマッチングするかは別問題。がん細胞はないか、血液はマッチするか、提供者が術後日常生活に支障を来さないかーー。条件をクリアしなければ、生体腎移植は認められない。
「身体を鍛える以前の私はお酒も好きでしたし、中性脂肪も高かった(苦笑)。でも、彼女のおかげで健康な身体に戻ることができた。医師から『生体腎移植手術をするにあたって問題はありません』と言われたときは本当にうれしかったですね」
地獄の淵から救われた肉体が、自分を救ってくれた最愛の人の役に立つ。離婚騒動、整形、プロレスデビュー、心肺停止、そして生体腎移植――。ゴージャス松野の人生は、何が起こるかわからない。
「私の座右の銘は、『かけた情は水に流せ、受けた恩は石に刻め』です。あのとき失ったはずの守るものが、今はある。迷いはありません」
ただ、田代さんには迷いがあったと明かす。
「彼女は、私の身体にメスを入れて万が一のことがあったり、私が傷のある身体になったら、ボディビルやプロレスに影響が出てしまうのではないかと懸念していました。それに、いくらパートナーでも自分からは『腎臓移植をしたい』なんて言えないとも。日本でなかなか腎移植が広がらない理由を、私自身、この経験を通して学んでいます」
腎移植手術は、8月末から9月上旬に行われる予定だ。
「腹腔鏡手術といって、わき腹に内視鏡を入れる穴をつくって腎臓を切り離し、下腹部にメスを入れてそこから取り出します。昔のように背中を切って取り出すというわけではないので、私に大きな傷は残らない。その点も、彼女には安心材料になったようです」
地獄を見た人間は、前への向き方に説得力がある。それにしてもすごい人生ですね? そう尋ねると、「たまたまです」と松野さんは笑う。
「元気になったら再びプロレスのリングにも上りたいし、ボディビルの大会にも出たい。腎移植の傷痕は私にとって勲章ですから、堂々とパフォーマンスを披露しますので、楽しみにしていてください。そして、同じような状況で悩んでいる方に、今回の経験で得たことをお伝えしていければと思っています」
想像を絶する“ゴージャス〞な人生には、まだまだ続きがありそうだ。
【松野さんプロフィール】
ごーじゃす・まつの
1961年福島県生まれ。'86年、東宝芸能入社。マネージャーを務めていた沢田亜矢子と結婚するが、離婚騒動のバッシング報道で誹謗中傷され、失意のどん底を体験。再起を期して路上人生相談を第一歩に、講演、ホスト、プロレス、タレント活動などを行う。
取材・文/我妻弘崇