「友果さんを、誘拐しました」「警察に通報した場合、友果さんを、殺します」「警察に、通報しましたね─」
「えぇ、機械の音声だと思ってた!」
4月クールのドラマ『マイファミリー』で話題を呼んだ、誘拐犯のメッセージ。愛娘を誘拐された主人公のもとに、犯人から音声が次々届き要求を告げる。その声はどこまでも無機質で、ぞわりと恐怖をかき立てた。この犯人の“声”を担当していたのが、ナレーターで声優の一龍斎貞弥さん。
「いかにも“機械で編集しています”と聞こえるように、言葉の区切る位置などかなり細かく計算していきました。ドラマを見ていた仕事仲間は、誰も私の声だとは気づかなかったらしく、後で驚かれたくらい(笑)。そういう意味では成功したと言えるのかもしれません。ただ犯人の声を担当した私自身、誰が本当の犯人なのか最後まで教えてもらえず、オンエアを見て初めて知りました(笑)」
最終回の放映後、番組公式ツイッターが「実は犯人の声はこの人でした」と一龍斎さんの収録風景を紹介。“えぇ、機械の音声だと思ってた!”“あの人の声だったんだ!”と大反響を巻き起こした。
「犯人の声をどんな音声にするか、当初かなり迷っていたようです。AIの読み上げる合成音でいくか、Siriのような音声にするか、いろいろなアイデアが出てきた中で、カーナビの声はどうだろうという話になったらしく……。そうした音声でということだったのでやりやすくはありましたね」
機械音声のベテランで30年近くのキャリア
一龍斎さんといえば、知る人ぞ知る機械音声の第一人者。日産自動車のカーナビの音声を長く務め、その実績から今回白羽の矢が立ったという。
「私がこの世界に入ったころはちょうど機械音声の黎明期で、もう30年近いキャリアになります。昔はメモリ容量が少なかったので、多くの言葉を収めることができず、同じ言葉を編集して使い回していく必要がありました。さらにアナログをデジタルに落とし込んでいたので、その過程でどうしても音が劣化してしまう。
音の劣化を防ぐために何が大切かというと、話す人と機械の相性。アナログからデジタルに変えたときあまり変わらない声質というものがあって、どうやら私の声は機械と親和性が高かったようです」
初めて担当した機械音声は留守番電話の応答音で、あまたいる候補者の中からオーディションで見事仕事を勝ち取った。以降機械音声の依頼は増え、いつしか「デジタルの女王」の異名を持つようになる。代表作は、カーナビの音声に、全日空予約案内センターのガイダンス、そしてパロマ給湯器のお知らせ音。
「お風呂が沸きました」のあの声で、日々耳にしている人も多いはず。
「給湯器の音声を収録したのはもう10年以上前のこと。私の中で機械音声はあくまで裏方の仕事だと考えていたので、当初はプロフィールにものせていませんでした。こんなふうにみなさんに喜んでいただけるようになるなんて、全く想像だにしていなかったですね」
声優事務所の養成所を経て、'90年より声のプロとして活動をスタート。機械音声のほかナレーションに定評を得て、『さんまのスーパーからくりTV』『どっちの料理ショー』など人気バラエティーのナレーターも務めてきた。だが自身の中では模索の日々が続いていたと振り返る。
講談との出会いで新たな表現を広げる
「声のお仕事は順調でした。でもどこか物足りなさを感じている自分もいて。もっと自分にしかない表現をしたい、という気持ちがありました。どうしたら表現の幅が広がるだろうと考え、演劇や伝統芸能などさまざまなワークショップに参加しては、何かヒントがないか探っていました」
転機となったのが講談との出会い。現在の師匠である一龍斎貞花の講談セミナーに参加し、入門を決意。声の仕事と並行して講談の修業を始める。キャリア17年目のことだ。
「講談というのは読む話芸なんですよね。読むことだったら私もキャリアがあるし、もしかしたら自分の経験を生かしつつ新たな表現を見つけられるのではないかとピンときて。でも当時は娘もまだ小さく、講談の修業に入ると夜も留守がちになるので難しい。まずは師匠のもとへ稽古に通い、3年後に満を持し正式に入門しました。声のお仕事は持っていたレギュラーだけで当時は新たなレギュラーは入れないなどして講談の修業に集中できるようにしました」
'07年10月、五代目一龍斎貞花に入門。'08年3月に前座となり、'11年10月には二ツ目に昇進。芸名をデビュー以来親しまれてきた原亜弥から一龍斎貞弥に変え、新たなスタートを切った。
講談の話法は修羅場読みといわれ、軍談で武将が激しく戦う姿を息つく間もなく畳み込むように語り上げる。ナレーションの穏やかな響きとはまた違い、凜として力強く、独特の節回しが耳に心地よい。
「やはり声の仕事は講談の役に立ったと思います。それに講談のリズムは読経とどこか似ている気がして、だから修羅場読みも初めから全く違和感がありませんでした。というのも、実家は禅宗のお寺なんです。私自身小さいころから当たり前のように経本を読んできたので、知らず知らずのうちに鍛えられていたのかもしれません」
芸能界を目指すも父からの猛反対
実家は大分県臼杵市にある臨済宗の寺で、物心つく前から父のそばでお経を読んで育った。葬式があれば父に同行し、中学生のころには毎年お盆になると棚経をあげにひとりで檀家をまわっていた。大学時代に放送研究会へ入り、声の仕事に魅力を覚えるも、外資系ホテルに就職。
しかし「本当に自分が一生かけてやりたい仕事なのか」と自問自答の末、1年半で退職し、声優事務所・青二プロダクションの付属養成所に入所している。改めて声のプロを目指すが、父からは「芸能界に入るなんて」と猛反対にあった。
「父を説得するため、なぜ声の世界に進みたいのか、レポート用紙に書いて提出しました(笑)。あとこれはずいぶん後になって知った話ですが、心配した父がこっそり俳優の山田吾一さんに電話で相談していたようです。うちの実家のお寺は吉四六さんの菩提寺で、山田さんが映画の撮影で1か月間ほど逗留していたご縁があったんです。恐らく山田さんには、“青二プロダクションならきっと大丈夫でしょう”と諭されたようですけど(笑)」
自身も僧籍を持つが、これは講釈師として高座に上がるようになってからのこと。
「講談の世界に入ったら、いろいろなお寺さんへ行って公演をすることが多くなって。ならば私も僧籍を取ろうと考えて、京都のお寺へ修行に行きました。講談にしてもそうですが、きっと私は修行をするのが好きなんですね(笑)」
二ツ目昇進から11年がたち、この秋真打に昇進。10月からお披露目公演を行う。
「真打に昇進させていただくことで、やっと師匠とおかみさんに“ありがとうございます”と言うことができ、ちょっとひと安心といった気分です。とはいえ真打になったからといってこれが終わりではなく、新たなスタート。やはり私たち演芸の世界にいる身としては、真打を通らないといけないし、その先に向けてまた覚悟を決めていくつもり。いろいろ大変ではありますが、私自身楽しみ、そしてとにかくお客様に喜んでいただけるような真打披露にしたいと思います」
真打昇進はひとつのステップとし、精進を欠かさず上を目指し、声の仕事にこれまで以上に力を入れる。
「私はやはり表現するのが好きで、声の道に進んだのも、講談の世界に入ったのもそう。自分にしかできない表現があるならば、それを模索したい。最近は技術が進み、AIが何でもできるようになってきました。つい先日AIのナレーションを聞いたら、これがなかなかうまいんです(笑)。この先、人の声は必要なくなるかもしれない。
でも心や感情が伴うことで出てくるもの、コツコツ努力したその先にあるものをお見せするのは私たちの仕事で、そこは諦めたくない。“この人の声だから聞きたい”と思ってもらえたら、そこにひとつ価値が生まれるはず。講談でもナレーションでも、お客様に“一龍斎さんの声で聞きたい”と言われるようになれたらと思っています」
一龍斎貞弥さん 声優、ナレーター。カーナビなどの機械音声、テレビ番組のナレーションのほか、講談師としても活躍。10月から始まる〈一龍斎貞弥真打昇進披露興行〉の詳しい情報は、講談協会公式ホームページで確認を
<取材・文/小野寺悦子>