499人――。
これは、2020年に自殺した小学生から高校生までの合計数だ。1980年以降、過去最多となり、2021年はそれに次ぐ473人に。
子どもの自殺が相次ぐが、先立たれた遺族の苦しみは想像を絶する。6年前亡くなった少年の遺族が、その思いを語った。
◆ ◆ ◆
まだ日が昇らない、夜明け前のことだった。気づかれないようそっとドアを開け、外に出た。暗闇のなか自宅の敷地内にある小屋に入るとロープを結び、その反対側を自分の首に結んだ。まだ、幼さの残る12歳の少年は、そのとき何を思っていたのか――。
2016年8月19日。青森県東北町で当時、中学1年生だった楢舘拓実(ならだてたくみ)くんは自ら命を絶った。新学期が始まる3日前のことだった。
「つい最近、近所に住む同級生の子が、若葉マークをつけた車に乗って運転しているのを見たって夫が話していたんです。生きていれば、拓実も18歳。高校を卒業して車の免許を取っていたのかな……」
拓実くんの母・江美(えみ)さんはそう話し、苦しそうに眉間にしわを寄せ、目を細めた。
「形だけでも傍に置いておきたいと思っていましたが、2019年に義父が亡くなり、拓実の骨も一緒に納骨したんです。お寺さんからは、早く入れなさいと言われていましたし、すっごく可愛がってくれたおばあちゃん、おじいちゃんも一緒だから大丈夫かなって。でも、ずっと近くにあったから、寂しいですね」
6年という月日が流れ、今年で7周忌を迎えたが、愛する息子の死を、今も受け止めきれないでいる。
いじめがなければ、もっと生きていられた
拓実くんが残した遺書にはその原因が、明確に記されていた。
《いじめがなければ“もっと”生きていれたのにね……ざんねん》
と。にもかかわらず、調査に乗り出した『町いじめ防止対策審議会』は、拓実くんの自殺について“いじめは一因”としたうえで“本人の特性”や“思春期の心性”など“さまざまな背景が複合的に関与していた”と結論づけた。
この結果に両親は絶句。
「教師って子どもが好きで、誠実な人が就く職業だと思っていました。でも、ウソばっかり。拓実が“学校に行きたくない”“死にたい”と話した言葉を聞いて、私は学校に何度も電話をして、訪問もして相談していました。なのに、なんら対応してくれないばかりか、私が相談したこと“すらなかったこと”や“ウソ”で塗り固められていました。『審議会』の聞き取り時に渡された資料にあった学校側の証言は、三者面談の日に私が拓実の前で“息子が死にたいと言っている”と相談したという内容でした。息子の前で、そんなこと言うわけないのに……」(江美さん、以下同)
遺族の反発を受け、町は、再び調査を実施。2018年3月に、調査結果を公表した。報告書では、拓実くんの自殺は、後ろの席の同級生から何度もイスを蹴られた“いじめが原因”であると認定し、学校が適切に対応していれば防げていたと非難した。
「これでも納得いく内容かというとそうではありません。“イスを蹴った”といういじめだけが認められ、ほかのことはわからないままなんです。なぜ息子が死んでしまったのか、本当のことを知りたいのに……。拓実の遺書には、いじめた子への強い憎しみが書かれていました。そうとうなことがあったはず。なのに、当事者は誰もちゃんと話をしてくれなかった……」
遺書の最後には、《クズ》という文字の横に小さな文字で《〇〇くんがぼくに言ったさいあくの言葉》と書かれていた。
「いじめていた子からは、何の謝罪もないままです。彼が結婚して子どもを持ったら、謝罪に来てくれるかなって。だから、拓実との思い出が詰まったこの家から、離れられない部分もあるんです」
いじめと自殺の因果関係が認められ、調査は終了。拓実くんが亡くなってから、約1年半という時間が過ぎていた。
だが、これで終わりではない。
「いちばん悲しまなければいけないときに、調査に時間を取られて……。張り詰めていた糸が切れたように、精神的に不安定になり、体調も悪くなったんです」
拓実くんが亡くなった日の午前2時ごろ。江美さんは、トイレに入った拓実くんに気がついた。覗き込み、声を掛けると、
「お腹が痛いんだよ」
――薬、飲む?
「もう少しトイレで頑張ってみる」
――我慢できなかったら、お母さんのところにおいでね。
これが最後の会話となった。同日の午前5時過ぎ、冷たくなった拓実くんが発見された。
「今でも朝の4時ごろにハッと目が覚めるんです。そして“今ならまだ拓実を助けられる!”と思って、急いで玄関に行くのですが、そこで夢だと気づくんです。そのあと座り込んでワンワン泣いて……。ある日は街で小さな子が“お母さん、このアイスがほしい”って言っている声を聞いて、それが拓実の声にすっごく似ていて、涙がとまらなくなったこともありました」
拓実くんが亡くなった当初は、料理すらできなかった。
抱きしめていた感触が忘れられない
「私が台所で料理をしていると、小学校から帰ってきた拓実が近づいてくるので、ハグをしていました。“今日の夕ご飯はなに~?”とか、匂いを嗅いで“今日は大根とお肉を煮たのだね”とか言うんです……台所に立つとそのときのことを思い出してしまって。拓実をギュッと抱きしめていた感触が忘れられません」
昨年、江美さんは『心的外傷ストレス障害』(=PTSD)と診断された。
「“うつ”とは診断されていましたが、感情があまりに不安定で“自分はこんなに弱かったのか、情けない……”と思っていました。それがPTSDという病気だとわかって、少し気持ちが楽になりました。でも“死にたい”という気持ちは消えません。グジグジしないように、何かしなきゃと手芸も始めましたが続かなくって……」
前を向こうと足掻くなかで、夫婦の関係も変化していた。
「妻には申し訳ないことをしたと思っています」
そう話すのは、拓実くんの父親である健さんだ。
「決して忘れられないことですが、前に進まなければいけないと思っていました。しかし、何か作業をしていても、物事に集中できなくなって。途中で自分が何をしているのか、わからなくなるんです。何か新しいことをしなくてはと思うのですが、すぐに躓いてしまい……一向に前に進めなくって」(同・健さん、以下同)
家業のたばこ農家は、2017年2月の出荷を最後に廃業。仕事をすることも、ままならなかった。それでも生きるためには稼ぐ必要がある。
いくら飲んでも罪悪感しか残らない
「貯金を切り崩しつつ、妻が単発のアルバイトをこなして支えてくれました。私もスーパーで早朝の品出しや、建設現場などで働きました。でも、なかなかうまくいかなかった。それで拓実との楽しかった思い出に浸ろうと、お酒を飲んで……。昼から飲むこともありました。でも、いくら飲んでも罪悪感しか残らないんです。暴走して、妻には本当にさまざまな迷惑をかけました」
酒に酔い、息子との楽しかった思い出に浸り、涙を流した。それが健さんにとって、心の傷を癒すということ。しかし、その方法が江美さんも同じとは限らない。
「夏休みの時期は仕事が忙しくて、あまり遊びに連れていってあげられなかったんです。だから、1日だけ休みを取って、拓実と海に行きました。当時の楽しかった思い出に触れようと、妻を車に乗せて、その海に向かったことがあったのです」
行き先を知ると、江美さんは“行きたくない!”と叫び、涙を流した。
「楽しかったときの思い出を、悲しい気持ちで触れたくなかった。拓実と一緒に行った花火大会の花火の音すら聞きたくなくて、花火大会の日は家を離れています。ドン、ドンという音が聞こえると、パニックになってしまうこともありました。だから、悲しみを昇華する方法を押しつけられるのがつらくって」(前出・江美さん、以下同)
物事の感じ方も、その表現の仕方も違うように、心の形は人それぞれ。健さんは限界だった心を少しでも楽にしたい――その一心だったが、夫婦の間には距離ができてしまった。
それでもお互いを必要としていることは、変わらない。健さんが席を外したときに、江美さんはこうも話していた。
「私もなんで“死にたい”という言葉を聞いていたのに止められなかったのかと今も自分を責め続けています。それは、主人も一緒で苦しんでいる。だからこそ、私がいなかったら主人は死んでしまうと思うんです。嫁ぐと決めたからには、最後まで一緒にいなきゃって」
そう話すと、江美さんは寂しそうに微笑んだ。
「昨年から主人は配送の仕事を、私は飲食店で働いています。少しずつ任されることも増えてきて、必要とされているんだなと嬉しく感じています。死にたいという気持ちが強くなっても、間違いを起こさないよう“ドラマをためてあるから見なきゃいけない”とか“カウンセリングに行かなきゃいけない”とか、本当にささやかな予定を入れるようにしています。猫も家族のようなものですから、この子たちのご飯代も稼がなくちゃいけませんから」
8月も中盤を過ぎ、子どもの自殺が増える新学期が、間近に迫る。
「拓実が亡くなってから、さまざまなメッセージを発していたことに気がつきました。“もう死ぬ”という言葉が自宅内にある電気のスイッチに一文字ずつ書かれていたり、拓実が大好きだったパソコンのパーツを、一緒に組み立てようと主人が買い集めていたのですが“もう買わなくていいから”と言われたこともあったそうです。メッセージを発信していたのに、なんで気がついてあげられなかったのかと今も、後悔しかありません。子どもが発している些細なメッセージに目を配り、見つけたらしっかりと受け止めてあげてほしい」
そして、
「私も命の大切さを説いたり、学校には行かなくていいとも言いました。だからこそ、子どもから“死にたい”“学校に行きたくない”という言葉を聞いたら“学校には行かなくてもいい”と強く何度も言ってあげてほしい。悩んでいる子も、親はちゃんと話を聞いてくれるから伝えてほしい。親がダメなら、近所のおばちゃんでも、第3者でもいいんです。聞いてもらえたら、きっと何かが変わるはず」
死なないで。逃げだしていいんだよ
目にいっぱいの涙を浮かべ、江美さんは、こう呼びかけた。
「死なないで。つらい場所からは、逃げだしたっていいんだよ……」
拓実くんに届くはずだったこの言葉が、苦しんでいる子どもたちに届くことを願う。