イラストレーター、絵本作家のそら(撮影/渡邉智裕)

 北海道の駅にあるポスター、IC乗車券イラスト、大型商業施設の壁、店頭のタペストリーなど……。道内のいたるところにあふれる愛くるしいキャラクターを生み出すクリエイター。

 北海道のメディアからオファーの絶えないご当地タレントとしても活躍中だ。周囲の誰からも愛される一方で、ずっと“おひとりさま”暮らしを楽しんでおり、恋愛にほとんど関心がなく、今後も結婚するつもりはないと断言する。

「独学で絵を描き始めた」という彼女の現在に至る道のりと、愛犬の死を乗り越えて気づいたこと──

北海道在住の絵本作家、観光PRキャラクターを

《小心者で、泣き虫。おとなしい性格だけど、好奇心はとっても強い》

 北海道の観光PRキャラクター『キュンちゃん』を紹介するプロフィール文には、こう書いてある。エゾシカの被り物をした、愛くるしいけどどこか孤独な雰囲気も漂わせるエゾナキウサギのキュンちゃん。

 エゾシカも、エゾナキウサギも、北海道に生息する“ご当地動物”だ。キュンちゃんが誕生したのは、'11年のことだった。

 北海道は、それぞれのご当地をイメージさせる『ゆるキャラ』であふれている。例えば、ハッカ生産の世界シェア80%以上を誇る北見市のキャラは『ミントくん』。北海へそ祭りをモチーフに誕生したのは、富良野の『へそ丸くん』。

 函館で活躍する『イカール星人』とあっては、そのグロテスクな風貌で子どもたちの人気を獲得できているのか若干の不安が残るものの、これだけの“ゆるキャラ展開”は、国内において有数の観光スポットを擁する北海道ならではの現象だといえる。

 いくつものゆるキャラが点在する中、北海道全体の観光の魅力をアピールするご当地キャラの存在を検討していたときに誕生したのが、キュンちゃんだ。道外でのイベントを中心に登場した結果、知名度は本州から広まり、やがて道内に流れていく傾向にあったという。

 '20年から、キュンちゃんがナビゲートを務めるLINEアカウントがスタート。主に観光情報を発信し、北海道の魅力を道内外にアピールする役割を果たしている。いまや札幌市をはじめ道内の主要都市を歩いていると、さまざまな店のタペストリーにキュンちゃんがいて、こちらをじっと見つめている。キュンちゃんを避けて過ごすほうが難儀するくらいだ。

 エゾナキウサギは岩間の陰などで生活する、体重150グラムほどの小動物。キュンちゃんの風貌は飄々としていながらも、ややいたずらな愛嬌がある。このすました表情の中にも個性的なかわいらしさが広がるキャラクター、誰かに似ていると思っていたら、すぐに特定できた。キュンちゃんを考案し、イラストを手がけた、そらだった。

「おとなしい性格だけど、好奇心はとっても強い」ところが、まさに彼女の素顔と一致していたことに、驚きつつも得心している。どんなにフラットであろうとしても、描き手の人物像は必ず絵に宿るのだ。

 北海道在住の絵本作家でイラストレーター。テレビ番組に引っ張りだこで、道内メディアではタレントとしても活躍。イベントも多数企画し、絵本の読み聞かせ会では2000人を集客したこともある。

 IC乗車券『Kitaca』のキャラクター『エゾモモンガ』やグリコ80周年の記念でビスコのパッケージに起用された『しろくまくん』、民族共生象徴空間ウポポイPRキャラクター『トゥレッポん』などを手がける、北海道を代表するクリエイターのひとりだ。

楽しいか、役に立つか、描きたいか

 キュンちゃんのキャラクターを売り込む際は、広告代理店に対して自らプレゼンしたという。

「PRキャラクターのお仕事は、たいてい代理店との共同作業でクライアントに売り込みますね。私、これまでほとんどの仕事をプレゼンで獲得してきたんです。普段は自宅でちまちま絵を描いているので、外出先で多くの人に語りかけるのってすごく異世界だなと思って、テンションが上がります」

『エゾモモンガ』や『トゥレッポん』のイラストも、そらの好奇心でプレゼンに挑み、勝ち取ってきた仕事だ。

 楽しいか、役に立つか、描きたいか──。

 プレゼンに挑むときも、オファーを受けるときも、仕事ではこの3つを念頭に置いているという。それらが合致せず、どうしたらいいか悩むこともあるが、一緒に仕事をする人を信じられそうなときは、即断する。

「そうすることで、いい結果になったほうが多いかもしれません。私がいつも人に恵まれていることもあると思います。

 プレゼンが好きなのは、お客さんが求めているものを提案する側が考えたうえで出し合って、最もいい案が選ばれるから。何も決められないまま延々と会議が続くよりも、実はプレゼンって効率的でもあると思うんです。そうして目的が近しい人たちと出会うと、仕事が楽しくなって、さらに世の中に役立つものになる」

 '11年にキュンちゃんの仕事を勝ち取った際も同様だった。北海道観光振興機構で長らくキュンちゃんの宣伝戦略を担当している林麻奈美との一連の仕事も、こうした好例だ。

「キュンちゃんに両親がいるならば、私と林さんです」

 と、そらは笑う。林が当時を振り返る。

「例えば、こちらが何かお願い事をすると、必ずプラスアルファされたお返事が届くんです。アイデアにしてもデザインにしてもそう。だから、キュンちゃんのイラストを提供していただいただけでお仕事は終わらず、そらさんのアイデアからどんどん生まれていくものがありました。

 キュンちゃんの被り物は、知床ならクマになりますし、十勝はウシで、釧路だとタンチョウといったように変化します。被り物もそらさんのアイデアで、新たに描いていただきました。

 キュンちゃんの被り物を変えることで、その土地の魅力を伝えるんです。そもそも最初の代理店さんとの打ち合わせで、サラサラと下書きしたものが、ほぼ完成形のキュンちゃんだったということを後日知って、すごく驚きました」

コロナ禍がリセットのきっかけに

 新型コロナウイルスの猛威で見送ることになったのは、読み聞かせイベントとライブペインティングだ。イベント出演は、そらの重要な仕事のひとつでもある。

 子どもたちの情操教育と絵本市場の成長を目的に、道内で何度も絵本の読み聞かせイベントを開催してきた。市内中心地にある『ユニクロ札幌エスタ店』には、オープン時にそらによって描かれた絵が今も残っている。

 その場で描いて見せるパフォーマンスを積極的に仕掛けていたものの、立ちはだかった壁は高かった。リアルでのイベントが限られるようになると、ユーチューブ配信による告知や朗読を増やすようになった。

「仕事が大好きで、つい夢中になって寝食を忘れます。こないだまでは絵を描く場所のすぐ近くにベッドを置いていたくらい、生活と仕事の境界線がありませんでした。コロナ禍になって人と会いにくくなったのは残念ですけど、猛烈すぎた自分をリセットするきっかけになったとは思います。

 楽しく仕事していると、それで十分幸せだから、ごはんを作るのもおろそかになって……。当時はホリーという名前の犬を飼っていて、ペットのためにはちゃんと作るのに、私はバナナ1本で済ませていました(笑)」

自宅で保管している原画の一部。中央の絵は今年3月に亡くなった愛犬のホリー。(撮影/渡邉智裕)

 ここ10年、彼女はとてつもない量の仕事をこなしている。か細い身体にどんなエネルギーが詰まっているのか不思議に思うほど、依頼を引き受け、プレゼンで案件を獲得していた。

 絵本作家としては『パンダ星』(学研プラス)ほか約30冊を上梓。イラスト執筆、メディア出演、イベント開催や広告案件など次々と仕事が舞い込む売れっ子も、やはり相当に疲弊していたという。

「もともとひきこもりタイプで、作業に熱中しやすいんです。家で仕事する間は、身体を壊しちゃうほど続けてしまいます。

 仕事の後、ホリーに遊んでもらって癒されていたのですが、今年3月に亡くなりました。誰にでも訪れる老いや病、死のリアリティーをホリーから教わって、もう少し“生活”をしようと思ったんです」

 今春に入ったころ、心境に変化があった。ちょっとした「ミニマリスト」を目指し、部屋の中のモノを処分するようになる。

 持っているだけで使わなくなった絵筆、倉庫代わりの一室に入れていた大量の資料を手放すと、部屋がひとつ、まるごと空いた。本誌の取材の途中で、少し狭いマンションへの引っ越しも済ませた。

普段使用している画材の一部。(撮影/渡邉智裕)

 絵描きにとっては命よりも大切なはずの原画も、思い切って一部を処分した。さすがに周囲がそれを止め、原画のいくつかは知人に保管をゆだねているという。

 徹底してシンプルな生活を志すようになり、考え方もクリアになった。なにより断捨離でやるべきことが整理され、食事をていねいに作る時間が生まれた。

 かつて料理教室の先生をアルバイトでしていた経験があり、食には知見がある。北海道産の野菜を扱ったガイドブック『おいしい北海道やさい』(共著、キクロス出版)では、レシピも考案した。

 自炊の際、米は五分づき米を選び、精製された砂糖はできるだけ避けて、はちみつを使うようにしている。甘いものは控え、小腹がすいたときはナッツを食べる。

 それだけ気を使っても、忙殺されると完璧な食生活ができなくなる。忙しさは人間らしい暮らしを奪う。コロナ禍の到来と愛犬の死が、年中無休で走り続けたそらを救ったのかもしれない。

「そらさんは、北海道のために何かしたいという気持ちがとても強いと思います。朗らかでエネルギッシュ。怒る姿は見たことがないですが、企画の交渉では“お客様に伝えるにはこうしたほうがいいです”と、はっきり発言します。

 SNSにも力を入れていて、とても発信力が高い人だけど、地道な仕事もコツコツ進めることができる。たいへんな努力家ですね」(前出・林)

断捨離で一部を処分し、現在はiPadで絵を描くことも多い。(撮影/渡邉智裕)

桜木紫乃らとのタッグ

 '21年11月。1冊の絵本が道内で話題になった。そらが絵を担当した『サチコさんのドレス』(北海道新聞社)だ。テキストを手がけたのは、小説『ホテルローヤル』などの作品で知られる直木賞作家・桜木紫乃。互いに北海道在住のふたりが、ひょんなことからタッグを組むことになった。

桜木紫乃、石切山祥子とともに制作した『サチコさんのドレス』(北海道新聞社)は、道内の書店でも愛されている※記事の中の写真をクリックするとアマゾンの紹介ページにジャンプします

「サチコさん」のモデルは、北海道で活躍するスタイリストの石切山祥子(いしきりやまきちこ)。桜木は、メディア出演があると石切山にスタイリングを依頼していた。

 親交を深める中、桜木は石切山が車イスユーザーの女性向けにウエディングドレスを制作し、レンタルする活動を行っていると知らされる。桜木はそのときの衝撃をこう振り返った。

「ユーチューブで見たのが、車イスの女の子たちが美しくドレスアップして、颯爽とチャペルを進む姿だったのです。祥子さんはスタイリストの仕事で多忙な合間をぬって、夜中にドレスを作っていると聞いて頭が下がりました。

 私には、ドレスを着ているみんなが自分の娘のように思えたんです。祥子さんもきっと彼女たちの笑顔を見たい一心で活動しているんだなと思いました」(桜木、以下同)

 車イスユーザーのウエディングドレスに、健常者と同様の需要を見込めないのは言うまでもない。マーケットの発想ではなく、喜んでくれる誰かのために活動する石切山の姿に、桜木は突き動かされた。石切山の活動を絵本として表現することを思いつき、それに賛同したのが、北海道新聞社だった。

 石切山は絵本化を快諾。作画担当には、長い友人である、そらの起用を思いついた。桜木も北海道で活躍するそらに絵を描いてもらうことを望んだ。

「普段はご自身で“作”と“絵”を担当するそらさんに、絵だけをお願いするのは失礼かもしれないとオファーのときは迷いましたが、そらさんは即答で引き受けてくださいました。なにより、お仕事が速いんです。

 あっという間に水彩のすてきなサチコさんが描かれました。周りを明るくして、希望のある空気感をまとわせる、サチコさんらしさが表現されていて、すてきな絵になっていました」

 桜木とそらは相性がいい──。石切山は、そう直感していた。それぞれに面識はなかったが、石切山はふたりのスタイリングを何度も引き受け、その人間性をよく知っていた。互いにクリエイティブで、女性らしさの中に強い芯がある。

 それでいて思い切り繊細な部分も持ち合わせているふたりが仕事を共にしたら、これまでにない化学反応が生じ、オリジナリティーにあふれる絵本が完成するはずだと、石切山は確信した。

「実際にご紹介したら、思った以上に意気投合していて、私が驚きました(笑)。桜木さんや北海道新聞社で編集を担当する加藤敦さんと話し始めた段階から、今度の絵本はそらちゃんの絵がいいと思っていたんです」

 '21年の春に企画された絵本が、その年の秋に発売されるというのは、類例を見ないほどのスピード刊行だ。とりわけ、絵本は関わる人が多く、数年をかけて新作を手がけることも珍しくない。そらは、後日談をこう語る。

「桜木先生のテキストを読んで、本当にフッと“水彩で描きたい”と思ったんです。そこから筆を進めていく作業では、確かに手が止まりませんでした。でも、私の仕事が速いというより、桜木先生の素晴らしいテキストがあったから、迷うことなく描けたのだと思います」

段取りのほとんどを自力で

『サチコさんのドレス』刊行後、著者たちが登壇するイベントも開催された。'22年を間近に控え、緊急事態宣言が解かれて、自粛一辺倒だったムードも全国的に潮目が変わり、誰もがコロナ禍との折り合いをつけようとしていたころのことだ。イベント後の打ち上げで一同が集まった日を、桜木は振り返る。

「なにより驚いたのは、そらさんがイベントで照明や音響の操作、司会進行の段取りのほとんどを自分で手がけていたこと。最初は彼女の美しさに見惚れていましたが、会うたびに頼もしい一面に気づかされる。

 
打ち上げのときも、そらさんの話術でそこにいるみんながいい気分になり、私は酒量が増えました(笑)。なのに、本人は解散後さっと姿を消してしまう。底知れぬパワーと、しなやかさがある人です」

 車イスの人も楽しめるユニバーサルドレスの活動は、道内にとどまらない。今年5月、東京・錦糸町の一角で『インクルーシブパレード2022』が開催された。石切山も同イベントに参加し、街を練り歩いた。石切山が話す。

下積み時代。料理教室で先生のアルバイトをしていた(撮影/渡邉智裕)

私は20年近く前から、そらちゃんを知っているんです。そのころ私が関わっていた北海道のファッション誌で、そらちゃんはイラストの仕事を始めていました。まだ駆け出しだったけど、すごくかわいい子がいるなと思っていました。

 当時から一生懸命に取り組むタイプでしたね。やっぱり、すごく努力したんだと思います。それから彼女が出演する旅番組でスタイリングを担当するようになり、今回の絵本もあり、すてきなご縁が続いています」

 '97年には北海道拓殖銀行が経営破綻に見舞われ、'07年は夕張市が財政再建団体として指定された。北海道経済は、今もその地続きにある。地方自治体としての北海道は、クリアすべき課題があまりに多すぎるが、道民にはフロンティア精神に基づくパワーが備わっているのだろう。

 北海道日本ハムファイターズの招致や、TEAM NACSの大泉洋らが全国区へと人気を拡大するという出来事も、北海道を活気づけている。

 一方で、北海道出身のタレントやアーティスト、地域密着型で活動する人たちをあたたかく見守る風土も残る。これほど“地元愛”が明確な自治体も珍しいのではないか。『サチコさんのドレス』も道内の書店で愛されているようだ。北海道新聞社の加藤敦が次のように話す。

「札幌市内では、刊行から半年以上を過ぎた今でも、大きな面で陳列してくれる書店があります。そらさんが“絵本大国北海道”というキャッチフレーズを使って活動されていること、さらには読み聞かせや映像配信といった絵本作家の枠にとどまらない活動が、道民の幅広い層の心に届き、本書を支えてくれているのだと思います」

 そらと、とある書籍の企画を考案したことがある。彼女のポジティブな考え方を1冊にまとめられないかと思案し、何度か打ち合わせを重ねた。

 あいにく企画はもう少し練り直しが必要で、今も水面下で計画中なのだが、そらが企画立案当初、サンプルとして描いた絵に《おひとりさま43さい》と添えられていたことがどうにも忘れられない。

 どんな言葉をかけるのがベストなのか少々悩んだが、本人はなんの気なしに「おひとりさま」を楽しんでいるらしい。

幼少期の姿。当時から空想やモノづくりが得意だった。(撮影/渡邉智裕)

 結婚や出産といった、女性の幸せとして安易に持ち出されがちなライフイベントについて、彼女は否定も肯定もしないが、一般化された古風な志向と、そらは距離を置いている気がする。ただ、この手の話をするときのそらは、少しニヤつきながら、生き生きとし始めるから不思議だ。

 そんな話題にならなくても、彼女は常に笑顔だ。知り合った当初から、フレンドリーだった。一方で、そう簡単には相手に胸の内を明かさないという、ドライな部分も矛盾なく持ち合わせている彼女に、絵本作家としてだけでなく、取材対象としての関心を抱いた。

 私たちは取材を通じて交流を深めているのであり、あくまで「取材者」と「取材対象」の関係性を端緒としていることは自明だ。

 けれども、彼女の発する人懐こさは、筆者が「ライターとしてあるべき姿」を優先するあまり、勝手に作り出していた壁をたやすく溶かしてしまう。なおかつ、彼女の大切な部分はきわめて強固な“個”で守られている。

 石切山も、彼女についてこう語る。

「本当は、常にひとりでいたい人なのでしょうね。ずっと机に向かって絵を描いていたいんだと思う。

 人付き合いのよさ、他人を大切にするところも、そらちゃんの本質だと思うけど、思いやることで疲れてしまうときもあるんじゃないかな。自分と向き合っていくことが好きでなければ、あれだけ絵を描き続けることはできないと思います」

『そら』というペンネームは、空に浮かぶ雲を見るのが好きな子どもだったことからつけた。文字どおり空想好きな子どもだった。テレビのまねごとをするときは、段ボールで手製の疑似テレビを作り、その中に入って演じた。ひとりでモノを作ることで、自分の世界が満たされたという。

 絵本作家になりたいと思ったのは、3歳のころの思い出が影響している。ある日、父親が画用紙に色鉛筆で花の絵を描いた。君子欄だったか、シクラメンだったか、今は記憶がおぼろげだ。白い画用紙にみるみる花が浮かび出てくることに感動した。

「人の手って、なんて美しいものを作り出せるんだろう」

 絵を描くことを夢見るようになった。

 もうひとつのきっかけが、母親に読んでもらった絵本。毎晩、姉と弟とそらの3人は、母に絵本を読んでもらって夜を過ごした。『せんたくかあちゃん』『かもさんおとおり』『えんにち』『こすずめのぼうけん』。ワクワクして眠れなかった。

 絵本の表紙を見ていると、《さく》《え》のところに人の名前が書かれている。どういうことかわからなくて、母に尋ねた。

「絵を描いた人と、お話を考えた人の名前が載っているのよ」

 幼いそらは驚愕した。この世に、そんな存在がいたことに。彼らが物語を生み出して、自分を感動させていることに。「絵本作家になりたい!」。3歳で将来の目標が決まった。

都会にはなじめなかった

 札幌市内の私立女子中学校に入学し、中高一貫で6年間を過ごす。本人いわく「陰キャ」な女子高生を経て、調理師の専門学校へ進む。「飾り切り」で優秀賞を受賞するなど持ち前の器用さを発揮するも、退学。絵本作家を目指して、独学で絵筆をとった。

「といっても簡単には食べていけませんでした。生きていかなければならないから、アルバイトに明け暮れて。飲食店、バーの店員、キャンペーンガールもやりました。イラストレーターの肩書で名刺を作って、いろんなところで配っていましたが、なかなかうまくいかず……。

 方向音痴なのに宅配便のアルバイトもやりましたね。いろんな仕事をしたことで、心身共に鍛えられたのは間違いありません」

 生まれも育ちも札幌だが、20代前半のころ、横浜で半年間だけ暮らしたことがある。全国区でイラストの仕事をするためには都心で活動したほうがいいと思ったからだ。しかし、慣れない場所になじめなかった。

 出版社に挨拶回りをしようにも、元来の方向音痴が発動して、なかなかアポイント先にたどり着けない。空気も合わない。早々に札幌に戻った。

 イラストレーターとして仕事を増やす契機は、地元の雑誌だった。石切山と出会うきっかけにもなったファッション誌『FAMIEE』(現在は廃刊)でモデルを務め、イラストの仕事も依頼されるようになる。それでもバイト生活は続いたが、ここでそらは自分の武器を手に入れる。

「ひとつの雑誌で、複数のコーナーに載せるイラストの仕事をもらうようになったんです。そのとき、別々の人が描いているように見せるため、編集部からは違うタッチのイラストを要求されました」

 イラストレーターとしてのそらの絵に、『サチコさんのドレス』のような水彩画はそれほど多くない。ほとんどの作品をデジタルで描き、提出する。くっきりとした絵柄からアンニュイなものまで幅広いのは、このときの依頼が影響している。

 広告案件でクライアントの目的を考慮し、さまざまなアプローチの絵をプレゼンできることも強みになっている。

「北海道でお仕事をするとなると、ひとつのタッチでたくさんやることはできないんですよ。本来は、ひとつだけある自分の絵柄で勝負するのだと思いますけど、東京に比べて、仕事量そのものが少ない中で生き抜くにあたって、そうするしかなかった部分はありますね。

 独学だったので、あらゆる描き方を試していました。だから、描き分けるのは私にとって普通のことだったんです」

 好循環で仕事をできるようになったのは、30歳を過ぎてから。バイト生活から抜け出し、自分の名前で仕事をとれるようになったのもそのころ。そうしてキュンちゃんを生み出し、今も育て続けている。

公園の大きな木に触れるそら。はだしになり、森や木とつながる『アーシング』をすることも好きだという。(撮影/渡邉智裕)

「お金」という条件はない

 そらは、お金に関してユニークな考え方を持っている。仕事を得るようになって、断わることなく引き受け続けたのも、下積み時代、お金に苦労したことが無関係ではない。けれども、妙にお金にこだわらない一面もあるのだ。

「たとえ一銭ももらえなくても、私は絵を描くと思います。そもそも好きでやっていることだし……。

 ただ、お金をもらえなくてもやってしまうことほど、きちんとお金にしたほうがいいんです。それで初めて、好きなことを続けられるわけですから」

 楽しいか、役に立つか、描きたいか─。

 そこに「お金」という条件はない。対価はきちんと得るけれど、時には二の次にしてしまうこともある。「お金だけじゃない」というところが、彼女をより聡明な存在にさせるし、楽しいか、役に立つか、描きたいかの3つの思いとも符合する。

『サチコさんのドレス』では、石切山のユニバーサルドレスの活動費に充てるため、桜木とともに印税収入分を寄付している。

 そらが憧れるのは、ふたりの『ももこ/モモコ』だ。

 ひとりは『ちびまる子ちゃん』の作者・さくらももこ。小学3年生のときに、人気漫画家が時間に縛られず、昼まで寝ていることを知り、自分もこんな暮らしをしたいと思った。

取材陣の前で、満面の笑みで絵を描いてくれた。彼女は“おひとりさま作家”を楽しみながら、これからも絵を描き続けていく。(撮影/渡邉智裕)

「おひとりさま」が楽しい

 もうひとりが絵本『ぶたのモモコはバレリーナ』のモモコ。文字どおり、ぶたのバレリーナが主人公。いっぱい食べるのが好きで、マイペースなキャラクターだ。少女時代のそらの目には、自分らしく生きるモモコの颯爽とした姿が、まぶしくなるほど自立した女性に映った。

『ぶたのモモコはバレリーナ』は、そらが初めて自分のお小遣いで買った絵本だ。大切にするあまり、なるべく本を開かないようにして読んでいた。家でひとりクレープを手作りするモモコに、そらは今の自分を投影している。

 そらは、たびたび「おひとりさま」という言葉を好んで使う。もちろん、そこに自虐的な意味はない。本当にひとりが楽しいのだという。

 適齢期のころは、それなりに結婚を望んだこともあった。だけど、本人にそれほどの情熱がなかった。恋愛も、正直に考えると第一に大切なことではなかった。なによりも絵筆を持つ時間を増やしたいという。

「みんなが恋愛や結婚をするから“自分もしなきゃ”くらいに思っていましたが、本当の自分に問い合わせてみると、全然ひとりのほうがいいんです。結婚願望はありませんし、彼氏もいらない。生涯独身だと思います。

 仕事人間なので結局、私の人生に男性が入る余地はなかった。でも、それだと本当に緊張感がなくなるから、たまにデートくらいはしたほうがいいですよね(笑)。

 もし、男性から恋愛的なことを求められたら、次第にその人を避けてしまうと思います。私が本当に求めているのは、自分の中の自由だし、創作の自由なんです」

 コロナ禍で、そらが手にした意外なものが、映画監督の肩書と、アニメーション作品での評価だ。

 監督したアニメーション短編映画『ハリネズミの愛』で、'21年の札幌国際短編映画祭でアミノアップ北海道監督賞、北海道メディアアワードをダブル受賞した。

 ハリネズミが赤い風船と出会い、恋をする。自分の針が、風船を傷つけてしまうのではないかという、恐れに似た感情が交錯する。そら自身の胸の内にあるネガティブな部分が吐露された作品だ。これまでの絵本やイラストとは打って変わって、『ハリネズミの愛』にはズシリと重い感情が横たわっていた。

 これまでも多くのハリネズミを描いてきた。ハリネズミは、いわば心に刺さった棘だ。自分の心を読み取ろうとすれば、奥底に眠ったトラウマにたどり着いてしまう。だから、うかつに手を出せなかった。うやむやにしていた本心にアクセスすると、自分が壊れてしまう気がする。

「静止画の絵本では語り尽くせない内容を、アニメーションだったら表現できると思いました。絵本の刊行もコロナ禍で延期になって、1年ほどの余裕が生まれたので、アニメーションに着手することができたんです。

 家庭のことを描いた作品でもあり、母に捧げるという意味合いもありました」

 古びた1冊の絵本がある。タイトルは『すてねこ』。小学1年生のときに描いた絵と文を、母が製本してくれたものだ。完成した本を夏休みの自由研究の成果として提出した。何冊か製本されたものは私家版で、世の中に出回っていない。

 約20年で9回も住まいを変えているが『すてねこ』はずっと手元にある。上製本とはいえ、だいぶ傷んできた。それでも、そばに置いておきたい“デビュー作”だ。今後どれだけ本格的なミニマリストになっても、彼女がこの本を手放すことはないだろう。(文中敬称略)

取材・文/田中大介(たなか・だいすけ)1977年生まれ。映画雑誌編集者などを経て書籍編集者に。演劇ライターとして『えんぶ』『週刊現代』などの雑誌や、演劇DVDのライナーノーツ、プログラムの執筆や編集に携わる。下北沢・本屋B&Bで舞台にまつわるイベントも企画・出演中。