加山雄三。慶應大学を卒業後にデビューした翌年の本誌特写で('61年)(撮影/本誌写真班)

 1960年にデビューし俳優、歌手として活躍し続ける加山雄三(85)が9月9日、東京国際フォーラムでラストコンサートを行い、年内でコンサート活動から“引退”する。

若大将のイメージを壊さないために

「コンサートの仕事は身体に負担がかかり、3年前には軽い脳梗塞を発症しました。年齢的にも今後、健康上のトラブルで不測の事態が起きた場合にはチケットの払い戻しなどいろいろな影響が出るので迷惑をかけられないという思いと、健康的な若大将のイメージを壊さないための決断だったのではないでしょうか」(芸能レポーターの城下尊之さん、以下同)

 今年6月に“終活宣言”した加山だが、先日の『24時間テレビ』(日本テレビ系)に出演し、自身が作曲を手がけたエンディングテーマ曲『サライ』を熱唱した。

「肌ツヤもよくて声もしっかりしていてシニアには見えない。存在感がありました。

 視聴率がいちばん高かったのはマラソンランナーがゴールした後の『サライ』を歌う場面で加山さんの出演も要因のひとつだったと思います」

 映画『若大将』シリーズで人気を博し、弾厚作のペンネームで作曲した『君といつまでも』( '65年)がミリオンヒット。演技に加えて音楽でも多才ぶりを発揮。第一線を走り続けてきた。

「加山さんが50歳過ぎのときにスキー場で取材をしたことがありました。上級者コースをものすごいスピードで滑ってきても息があがっていない。カッコよくて中年のおじさんにはまったく見えなかった。映画で見たさわやかな若大将のままでした」

 順風満帆な芸能生活の一方で、巨額の負債を抱えた時期もあった。

「役員を務めていた会社が倒産したため借金を抱え、8億円とも言われました。

 東宝の期待を一身に背負ってデビューして数年後のことでしたが、『君といつまでも』が大ヒット。いまでは結婚式のスタンダード曲になり、コンサートでも欠かせない。

 借金を返すことができ、彼を救ったのは歌です」(芸能評論家の肥留間正明さん、以下同)

 上原謙さん、小桜葉子さんという昭和を代表する役者を両親に持つ。

「育ちがよくてリッチ、慶應義塾大学卒業のスマートなイメージだけど、『ちい散歩』の後番組『若大将のゆうゆう散歩』では人懐こさや親しみやすさを見せていました。

  '60年代の高度成長期に船に乗り、スキーをする姿に当時の若者たちが憧れ、目標とした。

 年齢を重ねても髪型も変わらず健康的。そういう彼の歌声に元気をもらっていた団塊世代のファンがコンサート引退をいちばん悲しんでいるんじゃないでしょうか」

慶應大学を卒業後にデビューした翌年の本誌特写で('61年)。足元やテーブルにあるのは船の模型で船好きがうかがえる。イケメンでブロマイドが人気に(撮影/本誌写真班)
三船敏郎さんと神奈川県葉山の海でくつろぐ貴重ショット('63年ごろ)。三船さんとはデビュー作『男対男』はじめ共演映画が多い(撮影/本誌写真班)

 

 

 

映画『日劇加山雄三ショーより歌う若大将』(1966年公開)ではタヒチでのプライベートショットが紹介され、そのタヒチから帰国。ウクレレを片手に飛行機のタラップを降りるスタイルに若者らしさも(撮影/本誌写真班)
7歳で始めたスキーは国体を目指すほどの腕前。1990年に新潟県越後湯沢にスキー場“KAYAMACAPTAINCOAST”をオープンしたが2011年に閉鎖(写真は'81年)(撮影/本誌写真班)
日本最大のクルーズ客船『飛鳥II』の名誉船長に任命され「若大将クルーズ」出港セレモニーを(2010年)(撮影/本誌写真班)