三田寛子(56)が夫・中村芝翫(57)との別居を認めた。
三田寛子と中村芝翫に別居報道
芝翫は昨年12月、3度目の不倫が発覚。世間の反応は「まさか」より「またか」だったが、今回の別居には意外だとする声も出た。
2016年の「初不倫」以来、三田が「梨園の妻」らしい余裕のある振る舞いを見せてきたことから、夫婦関係は安泰に思われていたからだ。
別居の理由については、
「お隣の家がリフォームの工事中で地響きがすごくて、主人が家にいたら気持ち悪くなっちゃったみたいで」
と、週刊誌で説明。ただ、別宅に不倫相手が訪れているという指摘には「私も主人もいい大人ですし」と答えた。「離婚の予定はない」としながらも「主人が今の生活がいいというのであれば」と、別居が長引きそうなこともほのめかしている。
とはいえ、これだけでは真相はわからない。彼女はそもそも、真意を読み取りにくい芸能人なのだ。
三田は15歳のとき、ドラマ『2年B組仙八先生』(TBS系)に出演。1982年には歌手デビューしたが、中森明菜(57)をはじめ、新人アイドル大豊作の年で、彼女は一見、地味な印象だった。
が、そこからしぶとく生き残っていく。'84年からは『笑っていいとも!』(フジテレビ系)のレギュラーとなって天然ボケで笑いを振りまき、'85年度後期のNHK朝ドラ『いちばん太鼓』のヒロインにも起用された。同時期に、朝と昼の国民的番組に出ていたわけだ。
そのころ、筆者はアイドルの取材をよくやっていたが、同業者のあいだで三田はちょくちょく話題になった。
今でいう「あざとい」アイドルは誰かということになったとき、必ず本命として名前が挙がるのだ。対抗馬は、やはり天然ボケで売れた佐野量子(54)。そして、個人的に大穴に推していたのが畠田理恵(51)だ。
佐野は武豊(53)、畠田は羽生善治(51)という大物と結婚して玉の輿に乗ったわけだが、三田も負けていない。未来の人間国宝も期待される芝翫と結婚。近藤サト(54)のように「梨園の妻」になりきれなかった人もいるなか、見事に溶け込んで、確固たる地位を築いてきた。
そんな三田の結婚後の「代表作」が6年前の会見だろう。やわらかい笑顔とはんなりとした口調で、不倫をした夫に釘を刺しつつ、歌舞伎役者としてはまだまだこれからの息子たちのためにも「家族5人で頑張ります」とアピール。この対応は絶賛されたが、筆者としてはあざとさに磨きがかかった印象も受けた。
京都出身者ならではの本音を気取らせない巧さというか、それこそ「帰れ」とは言わずに「ぶぶ漬けでもどうどす?」でわからせようとするしたたかさを感じたのだ。
「梨園の妻」から「梨園の母」へ
それゆえ、別居を認めたことについても深読みをしてみたくなる。例えば、8月末、彼女はインスタに3人の子どもたちが幼少期「お芝居ごっこ」をしていたときの写真を投稿。
「感謝を忘れずに力を合わせて三本の矢で頑張って!」
と、エールを送った。
ちなみに「三本の矢」とは、戦国武将・毛利元就が息子たちに授けた教えのことだ。芝翫がかつて、NHKの大河『毛利元就』に主演していることから、コメント欄も盛り上がったが──。
実は彼女の関心も、夫の次の代、つまりは息子たちのほうに移ってしまったのではないか。
おそらく離婚までは考えていないだろうが、気持ちとしては「梨園の妻」より「梨園の母」。それこそ、息子たちの妻選びのほうが気になるのではと思うのだ。