闘魂が、燃え尽きた――。
10月1日、アントニオ猪木さんが息を引き取った。
「'18年に発症した『全身性アミロイドーシス』という数万人に1人が発症するといわれる難病と闘い続けていました。入院ではなく自宅で療養をしており、亡くなる数日前も今後の“事業”についてスタッフと話していたそうです」(スポーツ紙記者)
最後のテレビ出演は、8月28日に放送された日本テレビ系『24時間テレビ45』。二宮和也が押す車いすに乗って、東京・国技館のステージに姿を見せた。
体調について聞かれると、
「見たとおり、必死に頑張っています。本当は起きられる状態ではないのですが、こうやって、みなさんにお会いすることで、私も元気をもらっています」
と答えていた。
「プロレスラーや政治家として“現役”だったころの姿から、だいぶやせ衰えていましたが、それでも猪木さんは闘病の様子をユーチューブやドキュメンタリー番組で公開していました。闘病生活で身長が10センチほど縮んでいたようで、今年3月には“死亡説”が流れたことも。それでも猪木さんは“元気だ!”ということを自分から伝えたくて、できるだけマスコミの取材にも応えていました」(テレビ局関係者)
弱った姿を晒すことも躊躇しなかったという猪木さん。いいことも、悪いことも、すべてオープンにするのが信条だったという。
「闘病の様子を公開したのは“アントニオ猪木だって、こんなにもろくて弱いこともある、ひとりの人間なんだ”というのを多くの人に見てもらい、治療法が確立されておらず、何の薬を飲めばいいかもわからない難病が認知されて、少しでも研究が進むきっかけになればいいとも話していました」(同・テレビ局関係者)
そのポリシーは、過去の発言からも一貫している。
「プロレスとは、それを通じて終生、大衆に尽くすもの」
そう、事あるごとに語る一方で、'14年の『週刊女性』インタビューで、こうも語っていた。
《ファンに対して虚像ではなく、あるがままでありたい。リングの上からだけでなく、客席からも自分自身を見つめられるヒーローでありたい》
数々の伝説を残しながら、まっすぐ、あるがままであることを自分に課していた。
墓石はラジウム鉱石で作りたいね
葬儀やお別れの会について事務所に問い合わせると、
「現時点では何も決まっておらず、これからいろいろと決めていく予定です」
とのことだったが、猪木さんは前述した『週刊女性』インタビューで、自分の墓について、こんなプランを明かしていた。
《墓石はオーストリアのラジウム鉱石で作りたいね。有名なパワーストーンなんですよ。猪木の墓にくれば元気になれるって話題になるでしょ?》
サービス精神という言葉では物足りない、大きな愛を貫いた人だった。