「寝るのは夜8時くらい。夏は、山に行くときは3時半から4時くらいに起きてました。今も、遅くとも6時には起床。暗くなったら寝て、明るくなる前に起きて、という感じで身体の調子もいいです」
関東近郊の山あいで今年3月から暮らしている東出昌大。『週刊女性』が10月11日号で報じたとおり、水道とガスは通っておらず、携帯電話の電波も圏外。住居はオーナーの厚意により家賃0円で借りている山小屋だ。猟をしたり野菜を育てたり、究極のサバイバル生活のように見える山での暮らし。1日のタイムスケジュールを聞くと、
「予定が本当に立たないんです。雨が降ると獣も出てこないし、畑もぬかるむし、外での作業ができないので、今、建てている小屋作りなど屋根の下でできることをやったり、本を読んだり。晴耕雨読の生活ですね」
いろいろな本を読むという東出。狩猟に興味を持ったきっかけも、『ぼくは猟師になった』(千松信也著)だった。今は、『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』(ロバート・ムーア著)を読んでいるそう。
水道が通っていないので、山の上方からくる沢の水をタンクに貯めて、高低差を使って炊事場に引いているという。
「煮沸や消毒とかはせずに、そのまま飲んでます。お腹を壊したりしたことは、まだないですね。山に出かけたときも川の水をすくって飲みます。ちょっとくらい濁っていても、ミネラルだと思えばいいかなと(笑)」
100年前の山の人の暮らしに近い
また、洗濯は川で。
「骨董の洗濯板をいただいたので、それで洗っています。乾燥が追いつかなかったり、雨がすごいときは里に下りてコインランドリーにも行きますけど。川で洗濯するときは、洗剤は使いません」
ガスも通っていないので、煮炊きは薪を使って。食器用の洗剤も置いていない。
「電気は通っているので、ちょっとの光はあるんですが、電気には頼らないようにしていて。たぶん100年前の山の人の暮らしに近いんじゃないかと思います」
食料は自給自足を目指す。狩猟でとった獣の肉や、育てている野菜、いただいたお米などで自炊生活だ。
「夏はトマトやナス、ししとう、万願寺とうがらし、普通のとうがらし、いんげん、二十日大根、ほかにもいろいろ育てていました。今は大豆や落花生。もうそろそろ収穫ですね。ハーブも料理で使うので、ローズマリー、バジル、タイム、レモンバームがあって。ウドとたらの芽も、山から移植して育ててます」
食材で買うものは、ショウガとにんにく。ほかはほとんど買わないという。
「自分のところでとれるものにも限界があるので買うこともあったんですけど、地元の方からいただいたりもするので。食べ物を無駄にしないように気をつけてます」
珍しいところでは、ヘビや昆虫も。
「ヘビは丸焼きにしたり、揚げたり、スープにしたり。うまいです。昆虫では蜂の子はもちろんですが、割った薪から出てくるテッポウムシはいって食べるとおいしいです。昔の子どものおやつだったそうです」
都会では想像できないような、ワイルドな暮らしぶりだ。
生き生きとした山男の横顔があった
「山のものって無駄がないんです」
生き生きと語るたくましい山の男の横顔に、素の彼が垣間見えた。
「冬に向けての準備は、ひたすら薪作り。そして、建てている小屋をなるべく早く完成させて、薪ストーブを入れようと思っています。今のところは密閉性がないので冬はけっこうしんどいんですよね」
またお風呂は山を下ったところにある温泉に行っているが、五右衛門風呂を作る予定だという。
「最高だと思うんです。山の稜線が魅力的なので、見られるところに作りたいなと。でも冬はけっこう薪を使うから2日に1回くらいしか沸かせないかな」
と、思案していると、「あ! 水がダメだ!」と苦笑い。
「山から引いている水が凍結しちゃうんです。風呂用の水を川までくみに行ったら、何往復も必要で5時間くらいかかっちゃう(笑)」
寒い中の水くみも大変そう。
「手はしびれます。でも山を歩くのは大変じゃないですよ。猟師は山の斜面を歩けないと、って狩猟の師匠や先輩方もおっしゃっているし、鍛えるために必要なこと。薪割りとか、日常での動きも全部、いい猟師になるためだったりするんですよね」
猟期は冬なので、これまでも山の冬は経験してきた。だが、
「“自分の住んでいるところに帰る”と、しっかり明言できるようになったのは、今年の春からだと思う」
“帰る家”としての山小屋で、これからさらに充実した日々が紡がれていくに違いない。
撮影/渡邉智裕