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 兄を溺愛し、自分には目を向けない母親。差し伸べる娘の手を振り払うように、冷たい仕打ちを続ける彼女。年をとるごとにひどくなる、娘に対する金の無心と罵倒をやめない理由とは──。

兄を溺愛する毒親

「母は小さいころから、2歳上の兄ばかり可愛がっていました」

 こう語るのは関西出身の詩織さん(仮名:46歳)。彼女の母親は、詩織さんが物心がついたころから近所の人たちに兄の自慢話をしていたという。

「兄は、くりっとした目に鼻筋が通った、いわゆるイケメン。容貌だけでなく社交的な性格も母親にそっくり。でも私は父に似て和風顔。無口で、どちらかといえば慎重な性格です。母は私を“暗い”と罵(ののし)っていました」(詩織さん、以下同)

 わがままで自分勝手な母親を、寡黙な父親が見守っているという夫婦だったという。

「父は私が母親から罵られるたびに庇(かば)ってくれました。でも私は耐えられず、高校生のときに“母親から離れて実家を出る”と決めました」

 母親の冷たい仕打ちを避けたい。その一心で国立大学に合格して上京する。一方、兄は専門学校に進学し、地元で就職をするが給料を趣味のバイクや車に費やして借金まみれに。派手な女遊びで近所でも放蕩(ほうとう)息子とうわさだった。それでも母親は兄を溺愛していたという。母親の毒親ぶりが強烈になったのは、詩織さんが就職してからだ。

「東京のマーケティング会社に就職してから病気がちになった父親のことが心配でした。美味しいものを食べてもらいたくて毎月実家に5万円を仕送りしていましたが、母親は“高い給料をもらっているんでしょ、もっと送りなさいよ”と月末のたびに電話で追加をせびってくるんです。

 でも私も毎月の仕送りでカツカツ。ボーナスから10万円以上送ったこともあります。それでも足りないと文句を言うんです」

 詩織さんが送金しても、母親からお礼の言葉はひと言もなく、母親からの無心はひどくなる一方。そこで詩織さんは父親と連絡を取ると、彼女からの仕送りを知らされていなかったことがわかる。

「呆然(ぼうぜん)となりましたよ。私の仕送りは兄の借金にあてがわれていたんです……

 電話で抗議したものの母は「だから何?」と冷淡な態度。しかも「たったひとりの兄を助けてあげたくないなんて、あんたは冷酷だよ」と罵倒してくる始末。このときから母親の声を聞くのも嫌になり、電話をスルーするように。これで逃れたつもりだったのだが──。

“イヤミ” “ねだり”の電話が会社にまで

「入社して数年目に、神奈川県にある子会社のイベント会社に出向が決まったんです。引っ越しをして気分転換をすると久しぶりに晴れ晴れとした気持ちに。でも母親から突然、会社に電話があって。父親に何かあったのかも、と急いで電話をとると“イベント会社で働いているんだって?

 あんたには華やかな世界なんか合わないわよ。根暗だから”とひどい言葉を浴びせてきて……。仕事中にですよ」

 その後も母親は会社に何度も電話をして詩織さんを罵倒したり、お金をせびってきた。会社から不審の目を向けられたため、事情を説明して電話の取り次ぎをストップしてもらった。

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「3か月後に別の部署に異動になりました。母のせいです。でも異動先の部署で、2歳上の優しい男性に“結婚を前提に付き合って”とプロポーズされました。1年後に結婚しました」

 その結婚から1年後、父親が兄の結婚を教えてくれた。デキ婚だった。兄の新居に詩織さんがお祝いを贈ると、兄嫁からは丁寧な礼状が届いた。それがきっかけで兄嫁と連絡を取り合うようになった。

 兄嫁はウラオモテのある母親の性格を見抜き、兄を溺愛していることを察したうえで母を立てながら、兄をイクメンにさせたという。子煩悩になった兄はまじめに働くイクメンパパに変わったのだ。

「すると母は、兄嫁に兄を奪われたという怒りや不満の矛先を私に向けてきました

 そんな中、定年退職した父親は病弱のため、入退院を繰り返すように。すると母は入院費や生活費を詩織さんにせがむようになる。

「ちょうど同じ時期、夫が退職して念願だったWebクリエイターに転職しました。母に“夫の収入が不安定だから”と送金を断ると、夫を“役立たず”と罵ったんです。私だけでなく夫に対しても悪態をつくなんて……。ひどいですよね。もう母と縁を切ってもいいと思いました」

私も毒親になるかも不安とともに出産へ

 ようやく毒親と縁を切る決意をした詩織さん。だが結婚10年目に、母親の存在が詩織さんに再び影を落とした。

「39歳のときに夫婦で話し合って不妊治療をすることにしたんです。会社を辞め、退職金を治療費に充てて期限を1年間と決めました」

 すると8か月後に妊娠。念願が叶(かな)ったはずなのに、次第に詩織さんの心が沈んでいったという。

毒親に育てられた私が、ちゃんと子育てができるのか。母親と同じように子どもを苦しめるんじゃないかって。不安が始終つきまとい、誰にも打ち明けられず、ひとりで悶々(もんもん)と悩んでいました」

 夫は子どもの誕生を心待ちにしていた。喜びと苦しみが同居していることを隠し続ける自分は、夫を裏切っているのではないか。しかしそんな気持ちは子どもを抱いたときに消え去ったという。

「娘が可愛くて可愛くて……。妊娠中に感じていた恐れが歓喜に変わりました。“私の宝物!”と娘を抱きしめながら、苦しみを乗り越えられたことを神様に感謝したんです」

 父に電話で報告すると「孫の顔を見たい」と懇願された。そこで詩織さんは10年ぶりに帰省を決意。父も兄も兄嫁も、兄の子どもたちも詩織さんの小さな娘を歓待したが、母だけが冷淡だった。孫の顔を見ると、母も変わるのではないかという一縷(いちる)の望みも泡と消えてしまったのだ。

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母は私の娘を抱こうともしません。しかも“実家に帰ってくるのなら、お土産ぐらい持ってくるものでしょう、相変わらず気が利かないね”となじるんです。“おめでとう”の言葉もありませんでした

 兄の子どもたちばかり可愛がる母に、詩織さんはまたもや傷つき絶望した。そして、「娘を実家に連れていくのは最初で最後」と誓ったという。

 しかし数年後に病弱だった父親が脳梗塞で倒れると、詩織さんは子育てのかたわら実家に帰省して父を看病せざるをえなくなった。

「それでも母親は私の娘を抱こうとしませんでした。それどころか、父親の入院費が足りないと言っては、お金を無心してくるんです。兄も兄嫁も母親の言葉を無視していたので、父親の入院費を私の貯金から支払いました。

 そのころ私はバイト程度の仕事しかしていなかったので、貯金を取り崩すのに抵抗がありました。そんな私を見兼ねたように、兄嫁が“もう出さなくていい”と実情を教えてくれました。それは絶句するようなことでした──」

 兄嫁によると、父親が詩織さんの娘のために貯金していた預金があったという。それを母親は父が脳梗塞で倒れてから無断で勝手に解約したというのだ。そして「看病で疲れたから」と、父親の介護を付き添い人に任せ、温泉旅行をするなどやりたい放題なのだという。

「とうとう私もキレてしまいました。実家に行く気がなくなった私は、兄嫁に頼んで父親の様子を随時知らせてもらうことにしたんです」

 だが父親の病状が悪化するたびに、心配のあまり見舞いに行ってしまう詩織さん。母とはなるべく顔を合わせないようにしていたが、もし顔を合わせてしまったらと思うだけで苦しかった。しかし、詩織さんに新たな“光明”が差すきっかけが訪れる。

「娘が小学校に入学すると、登録していた求人会社からヘッドハンティングされたんです。マーケット会社で培ったスキルや経験を活(い)かして業務委託として週2回、企業と契約をして月20万円の収入を得て、子育てと両立しています」

 母親との関係に悩む中、詩織さんは心理カウンセラーに相談していた。その心理カウンセラーから、新しく仕事を始めたときに母親のことをこう指摘されていたという。

「お母さんはあなたに嫉妬しているのでしょう。高学歴で専門性を活かした仕事をし、不妊治療で子どもも授かった。願いが全部叶ったあなたが羨(うらや)ましいのです」

 なるほどと詩織さんは少し納得できたという。しかし、そうだとしても“いまさら”だ。母に期待するものは何もない。だが父親が母より早く他界したら、母の介護が自分に回ってくるのではないか。兄嫁が「義母を世話しない」と口にするたびに、詩織さんは新たな不安に襲われている。

〈取材・文/夏目かをる〉