「私自身、子どものときから折に触れ、鉄道を利用してきましたし、小学生のころ、鉄道唱歌の一部を口ずさんだことも懐かしい思い出です」
10月6日、『鉄道開業150周年記念式典』に雅子さまとともに出席された天皇陛下は、こう話された。1872(明治5)年10月14日、新橋・横浜(現・桜木町)の両停車場で開業式が行われ、翌日から旅客列車の運転が始まって150年。皇室と鉄道の関わりを振り返る。皇室担当を長く務めた記者はこう語る。
原宿駅にあった“皇族専用ホーム”
「“皇室と鉄道”と聞いて最初に思い浮かぶのは、上皇ご夫妻ですね。両陛下のころに“お召し列車”に乗られると、駅に集まった人々にお応えになっていたのはもちろん、出発後も座ることなく沿線で待つ人々に、お手を振り続けていたそうです。侍従が“お座りください”とお声がけをしても、お座りにならなかったとか、上皇ご夫妻の“国民とともにある”というお考えを体現されていると思います」
そもそも、お召し列車とは?
「天皇ご夫妻、上皇ご夫妻、皇太后など、天皇陛下と皇后陛下以上の身分の人しか乗れない特別専用列車です。皇太子さまは乗ることができません。ヘッドマークは菊の御紋で、その下には2本の日本国旗が取り付けられています」(同・記者・以下同)
天皇陛下が国賓とともにお召し列車に乗られる際には、片方をその国の国旗に替えてもてなされる。かつてお召し列車は原宿駅の皇族専用ホーム、いわゆる“宮廷ホーム”から発着していた。
鉄道の旅は国民とのふれあいが多い
「ホーム脇に自動車を横づけできる構造なので、列車からの車へのご移動は10歩程度ですんだようです。最後に宮廷ホームが使われたのは、 '01年5月。現在もホームや線路は残っていますが、最近では使われていないようです」
時代とともに、原宿駅を通る山手線や埼京線、湘南新宿ラインなどの列車は増発され、過密ダイヤに。また他の列車がお召し列車と並走しないように調整される。そしてお召し列車の走行には特別ダイヤが組まれるという事情も。
「やはり、国民に負担をかけることは望まれるところではありませんので。令和になって、お召し列車が走行したのは1度のみ。 '19年9月、茨城での国民体育大会に向け、天皇ご夫妻は東京駅から出発されました」
上皇さまは皇太子時代、夏は必ず一家で軽井沢に避暑に行かれていた。
「軽井沢はおふたりが出会った思い出の地ですから。また御用邸でいうと、葉山へは車をご利用になりますが、那須や須崎へは鉄道を使われることが多いです。特に、天皇ご夫妻は那須がお好きという印象です。
愛子さまは小さいころ、駅に集まった人々を見てお母さまの後ろに隠れてしまわれたことも。中学生くらいから積極的に手を振られたり、話しかけたりされるようになりました。自動車や飛行機での移動に比べ、やはり鉄道の旅は国民とのふれあいが格段に多いです。この3年は(コロナ禍で)控えられていましたが、世の中がさらに落ち着けば、再び鉄道でのご移動、そして国民とのコミュニケーションが復活すると思います」
撮影/JMPA