2020年度から大学入学共通テストに導入される予定だった英語民間試験をめぐり、萩生田文部科学相(当時)の教育格差を容認する「身の丈発言」で批判が殺到。実施直前に見送りになったことを覚えているだろうか。
高校入試でも「英語民間試験」が導入!?
しかし今、東京都では都立高校への入試における英語民間試験の導入に対して同様の問題が起きている。中学生の保護者や英語教育の専門家たちから反対の声があがり、実施直前に迫るさなか、その賛否をめぐっていまだ都議会も紛糾しているのだ。
英語スピーキングテストを推進する小池百合子都知事率いる『都民ファーストの会』からも、3人の都議が反旗を翻して除名処分を受けるに至り、さらに2人の都民ファ都議も、『英スピ議連』(英語スピーキングテストの都立高校入試への活用中止のための都議会議員連盟)に合流したのだ。
いったい何が問題なのか。『都立高校入試英語スピーキングテストに反対する保護者の会』の山田さん(仮名)、20年以上にわたり中高生に英語を教えてきた神奈川大学教授の久保野雅史さん、元フジテレビアナウンサーで、長年報道に携わるジャーナリストの長野智子さんに話を伺った。
ベネッセに5億円で発注
東京都の英語スピーキングテスト『ESAT-J』には、すでに公立中学に通う3年生の約95%が受験登録をすませている。この9月に、これまで対象外だった私立や国立中学の3年生も希望者は受験できる運用に変わった。
テストは受験生が都内の指定された会場に集められ、前後半の2組に分けて実施される予定で、所要時間は約15分。配られたタブレット端末に、それぞれが音声を吹き込んで回答する。
約8万人分の音声は、ベネッセコーポレーションのフィリピンの子会社の現地スタッフによって採点される。成績表は来年1月中旬に生徒に渡され、20点満点で調査書に記載。都立高入試に加算される仕組みだ。
この英語スピーキングテストの受験料負担はないが、都民の税金約5億円が毎年ベネッセに支払われることになる。
『都立高校入試英語スピーキングテストに反対する保護者の会』の山田さんは、「私たちは英語スピーキングテスト自体に反対しているわけではありません。瑕疵が多く、改善が見られない『ESAT-J』の結果を入試の合否判定に利用しないよう求めています」と語る。
では、『ESAT-J』の得点はどのように入試に使われるのか。
スピーキングテストのせいで志望校も変えざるを得ない?
「主要5教科の調査書点(5段階)は、日々の授業での学習活動の成果で、それが各教科23点満点で換算されます。しかし『ESAT-J』はわずか15分、一発勝負のテスト結果で20点満点。100点満点の『ESAT-J』のスコアを20点満点に圧縮し、Aならば20点、Bは16点、Cは12点……と4点刻みで成績に加点します。
倍率が高い難関校の合否ラインには同点の受験生が多数存在するため、この4点刻みの得点の影響はあまりにも大きい」と、神奈川大学教授の久保野さんは指摘する。
保護者会のメンバーからは、
「『ESAT-J』のスコアは、志望校を決める12月には間に合わず、受験直前の1月中旬に生徒に渡されるため、その結果によっては短期間で志望校を変えざるをえない事態にもなり、進路指導も混乱するのではないかと心配」
「『ESAT-J』はタブレットに向かって回答する特殊な形式の試験なので、やはり慣れの問題が大きい。酷似していると指摘されるベネッセの英語試験『GTEC』をすでに取り入れている自治体や、塾で対策講座を受けている生徒は有利になり、格差を助長することになるのでは?」
などの意見も寄せられる。かつて情報漏洩問題を起こしたベネッセに不信感を持つ保護者も多く、受験登録時にはベネッセのサイトに個人情報を入力することに躊躇する例も多かったそうだ。
不受験者には仮想点を加算。逆転現象も!
専門家が看過できないと指摘するのは「不受験者」についての問題だ。
都立高校は、公立中学校以外に在籍する生徒や都外から引っ越してくる生徒も受験するが、こういった生徒たちは基本的に『ESAT-J』の対象外。
さらに感染症などのやむをえない事情によって受験できない生徒も不受験者となるが、不受験者には筆記試験で同等の成績を持つ生徒の『ESAT-J』の平均点(仮想点)を加算するという「救済措置」がとられるのだ。
「仮想点は、自分と同点の他者のスコアに左右されます。他者の成績が自分の得点に反映されるようなシステムを入試に導入してはいけません。また、その点数次第で合否が逆転する可能性があります。
“スピーキングのスコアと学力試験結果の間に相関があるというデータはない”と都教育委員会は答弁しました。仮想点を算出する根拠が明確でないのに、こうした措置をとることは制度的に破綻しています」(久保野さん)
保護者と教育委員会の認識に格差
これに保護者からは、「公立中学の生徒の場合、特別な理由なく『ESAT-J』を受けなければ0点なのに、私立や国立の生徒は『ESAT-J』を受けるか受けないか自分で決められ、特別な理由なく受けなくても仮想点が与えられるのは不公平」という声も上がり、共感する都議も多い。
ジャーナリストの長野智子さんは、実際に『ESAT-J』に挑戦し、正解とは違っていた自身の回答例を示しながら、採点方法について、都教育委員会を取材したという。
「私が提示したいくつもの回答例については、意味さえ通じれば全部正解になることを確認しました。フィリピンでの採点は、英語教育の学位を持ち、研修を受けた専任のスタッフが担当するとのことです」
長野さんは、取材を通じて採点方法についての懸念は解消できたものの、保護者と都教育委員会の間に、周知の認識における格差があることを指摘する。
都教育委員会は「長年にわたりスピーキングテストを周知してきた。中止となれば対策を頑張っている生徒への影響は甚大だ」と話す。
それに対して、保護者の会は「生徒や保護者への周知が遅く不十分。学校からチラシを配られただけで、ほとんど何も説明されないケースもある。そもそも都教育委員会に問い合わせても返事をもらえない」と怒りの声をあげている。
「圧倒的なコミュニケーション不足を感じます。生徒や保護者にとって、高校入試が変わることは一大事です。それなのに学校現場にも情報がなかなか下りてこないのは問題ではないでしょうか」(長野さん)
「ダメだったら改善すればいい」が許されない
今回、この英語スピーキングテストが東京都で導入されると、今後は他府県にも広がることが心配される。
都議会には「全国初の試みだから、まずは始めて走りながら改善すればいい」という意見もあるが、中学3年生にとって高校受験は進学先を左右する大きな問題であり、初年度の実施は失敗だったということでは済まされない。
東京都は、指摘されている瑕疵を改善できないまま、英語スピーキングテストを強行するのか、反対する保護者も専門家たちも固唾をのんで見守っている。
お話を伺ったのは……
神奈川大学外国語学部・英語英文学科教授。筑波大学附属駒場中・高等学校などで、20年以上、中高生に英語を教えてきた。
フジテレビアナウンサーを経て、夫のアメリカ赴任に伴い渡米し、ニューヨーク大学大学院に留学。キャスター・ジャーナリストとして活躍中。