「ヤバい女になりたくない」そうおっしゃるあなた。有名人の言動を鋭く分析するライターの仁科友里さんによれば、すべてのオンナはヤバいもの。問題は「よいヤバさ」か「悪いヤバさ」か。この連載では、仁科さんがさまざまなタイプの「ヤバい女=ヤバ女(ヤバジョ)」を分析していきます。
78回 ryuchell
タレント・ryuchell(りゅうちぇる)とpecoが結婚を解消したものの、同居をしながら、お子さんを育てていくというニュースを聞いたとき、まぁ、そういうこともあるだろうなぁと思ったのでした。ryuchellは離婚を発表する前に、息子さんにryuchellが「男の子だけど男の子を好きな人」であることを打ち明け、「あなたは紛れもなく、愛し合ってできた子なんだよ」と説明したそうです。
このニュースはやや炎上したようですが、夫婦という形ではなくなっても、二人で協力して子どもを育てていくことは、夫婦もしくは家族の「新しい形」であり、家庭内ジェンダーレスや、多様性を訴えてきた二人らしいと私は思いました。ですから、離婚もアリだし、離婚しても同居して、お子さんを育てるのもアリでしょう。
「結婚してからそんなこと言われても・・・」という意見もあるようですが、お子さんが出来てから、自分は男性が好きなんだと気づく人もいます(私の友人にもいました)。タレントryuchellとpecoの魅力は「仲良し」であること。私はよく芸能人のインスタを見るのですが、仲良しウリしている夫婦のインスタから徐々に配偶者の姿が消え、まもなく離婚を迎えたというケースは実際にあります。口で「夫婦円満だよ」と取り繕うことはできても、行動は嘘をつけないというべきか、興味の無さが現れてしまうのでしょう。ですから、ryuchellとpecoが仲良しなふりをしてもいずれバレると思いますし、結婚したまま、恋愛をしたら不倫となってしまいます。そんなことが露見したら、彼らのタレントイメージは地に落ちてしまいますし、お子さんにだって悪影響でしょう。今回の決断は、外野から見ても、いろいろな意味でよかったのではないかと私は思います。
離婚直後に「はしゃぎすぎ」では?
しかし、離婚して世間サマにも報告を済ませたからすべては解禁!とばかりに、ryuchellが上目遣い、赤い口紅を塗って舌を出す口の端に出す80年代に松田聖子がよくやっていたポーズや、マツエク240本装着の報告など解放感あふれる画像をインスタグラムにアップしているのを見ていると、ちょっとはしゃぎすぎというか、なぜか首をかしげたくなるのです。
どうして、私はryuchellに疑問を感じるのか? その謎は10月23日放送の「サンデージャポン」(TBS系)に出演し、離婚について話していたryuchellを見て解けた気がしたのでした。
同番組で、ryuchellは「夫婦っていう形ではなくなったんですけど、何も変わらず」と離婚という手続きをしたものの、実質的な変化はないと説明していました。離婚を発表したことに対する心境の変化について聞かれたryuchellは「上から水も落ちてくるみたいに、愛も上から落ちてくるんだな」「自分たちがハッピーになって、そういう空間を作って、やっぱり息子の笑顔を守れるというか、それを絶対に守るために勇気を振り絞ってした選択ではあった」と、ここまでの道のりが平たんではなかったことを明かしています。ここで私はryuchellに対する違和感の正体に気づいたのでした。
ryuchellは「自分たちがハッピーになって」と言っています。この自分たちというのは、ryuchell本人とpeco、お子さんを指すのでしょう。ryuchellは離婚をしたかったわけですから、それが叶ってハッピーでしょう。しかし、pecoまでも一点の曇りもなくハッピーと言い切れるのでしょうか。pecoはryuchellの気持ちを受け入れて、今も子育てのよきパートナーとして過ごしているのでしょうが、インスタグラムを見ると大分痩せたようですし、少なくとも、ryuchellのインスタグラムから感じたような解放感は感じられません。
Pecoはryuchellの告白を「正直、墓場まで持っていってほしかった」と自身のインスタグラムに書いていましたが、ryuchellの提案を戸惑いながら受け入れたことは想像に難くなく、もしかしたら今でも受け入れ切れていないところがあるかもしれません。
ryuchellにとって離婚は「もう終わったこと」
それに対し、ryuchellは、pecoの受容と離婚イコール解決でみんなハッピーというふうに、ちょっと安易に片づけてしまっている気がしてならないのです。私が抱いた違和感の正体は彼らの離婚でもセクシュアリティでも同居して子育てを続けることでもなく、ryuchellが離婚を「もう終わったこと」と考えているように見えることでした。
どう考えてもフラれるほうがつらい
恋愛で別れを切りだす人が「フるほうだってつらい」と言ったりしますが、いやいや、どう考えてもフラれるほうがつらいでしょう。フッた側は新しい恋人のところにいくのかもしれませんし、一人になって静かな時間を取り戻したり、まだ見ぬ恋に備えて自分磨きに精を出すのかもしれません。しかし、フラれた側は別れに表向き納得しているように見えても、恋人を失った喪失感や、どうして恋人が自分から去っていったかなど、正解のない問いを延々と一人でして眠れぬ夜を過ごすこともあるわけです。将来的には立ち直ると思いますが、フったほうとフラれたほうが同時期に等しくハッピーということは、ないように思います。
だからといって、私はryuchellに配慮がないと責めたいわけではないのです。ある時まではある人のことで頭がいっぱい、ある人を最優先にしていたのに、ある時から「言われたら思い出す」くらいの存在になっているなんて経験は、誰でも一度くらいあるのではないでしょうか。それが人と人とが別れるということだと思うのです。
ryuchellが「自分たちはハッピー」と本気で言っているとしたら、それはpecoがryuchellを暖かく受け止めているからだと推測します。もしそうなら、pecoは無理をして相手を理解しているフリをしていないか、ryuchellはpecoに甘えすぎていないかを考える必要があるのではないでしょうか。
離婚はもちろん、卒婚、卒母など家族の多様化が進んでいます。決められた役割を下りて、自由になる人が増える一方、別れも格段に増えていくことが予想されます。人生に別れはつきものですが、これからの私たちは「別れ方」と「別れからの立ち直り方」を学ぶことが必須の時代になるのかもしれません。