滝沢秀明、KinKiKids堂本剛

 “タッキー”こと、元『タッキー&翼』の滝沢秀明氏によるジャニーズ事務所電撃退社の余波が収まらない。

 退社から1週間後の11月7日、【冒険家】の肩書きで突如開設されたツイッターが更新されるたびに逐一ネットニュースで報じられるなど、その動向に注目が集まっている。

「一部で新会社設立と報じられると、プロフィール欄を変更して《新会社??なんの話?俺は休みたいんだょ~。朝からビビるからやめーぃ》と否定してみせるなど、まるで自身の報道を楽しんでいるよう。

 この少年のような“いたずら心”を見せるのが本来のタッキーですよ。40歳とまだまだ若いですし、これからどんな仕掛けをしていくのか、彼の“冒険”が楽しみですね」(スポーツ紙芸能デスク)

 そんな後輩のリスタートを、『KinKi Kids』堂本剛はどんな思いで見守っているのだろうか。滝沢氏が13歳でジャニーズ事務所入りした時より始まった2人の付き合い。そして剛は、グループ名にもなった“タッキー”の名付け親でもある。

 当時の事情を知る元アイドル誌・編集者によると、

「レッスン場だったかリハーサル室だったか、たまたま居合わせた剛から“タッキーくん”と呼ばれたのが始まりだそう。語呂が良く呼びやすかったこともあり、Jr.の中で自ずと広まっていった印象ですね。

 剛は人のあだ名を考えるのが好きで、またセンスあるんですよ。今井翼との“タキツバ”も、剛が2人をまとめて呼ぶ時に使っていたあだ名です(笑)」

 後に“タッキー”として知らぬ人はいない大スターになったのはご存じのとおり。滝沢氏にとって、剛はジャニー喜多川さんと並ぶ恩人に映っているのかもしれない。

滝沢氏の引退にキンキ剛が言及

 そんな剛が、滝沢氏の“退所時”に送った言葉がある。タッキー&翼が解散した2018年9月の2か月後、11月5日にラジオ『KinKi Kids どんなもんヤ!』(文化放送)に出演した時のことだ。

やっぱり人生は1回やから。ファンの人たちはね、すごく悲しいかもしれない。でも、彼らだって人の子であり、家族がいてね。自分の人生っていうものがあるわけ。で、そのタッキー&翼(として活動したこと)に対して、犠牲にしてきた時間がいっぱいあるわけ。

 これはいい悪いの話ではなくて、そういう時間がたくさん10代からあるわけ。で、ようやくこの年齢になって自分の決断というか、そういうものを大人として出したんだろうなと思うんですよ》

 言葉を選びながらも、滝沢氏、そして翼の決断を代弁するとともに、ファンにも理解を求めた剛。このラジオが収録された時はおそらく、ジャニーさんからの“後継者”指名の話が伝えられていなかったのだろう。滝沢氏からジャニーズの退社を相談されていたのかもしれない。続けてーー、

事務所去っても会いたい

今後どんな風にして滝沢と交流できるのか、翼と交流できるのかはわからないけど、事務所を去ったとてね。会える時があったら会いたいなあと思います。なんか事務所いなくなったから急にバイバイって、“(俺たち)そんな関係?”っていうね。だから、もしよかったら滝沢も翼も、このラジオにハガキ送ってください。じゃあ、『愛されるより愛したい』にしましょうか》

 最後は剛らしく笑いを交えつつも、滝沢氏に“事務所を辞めても俺たちは仲間”であると、そんな思いを伝えるような放送となった。

「タッキーが裏方に回った後、ジャニーさんは光一や剛と顔を合わせるたびに“滝沢をサポートしてほしい”と声をかけていたといいます。実際、タッキーが演出に関わった舞台に光一がサポートを務めたり、また剛が楽曲提供したりと何かと関わりを見せていました。

 もしかしたらジャニーズを辞めた今、剛はあの調子で“タッキー、元気?”とばかりに声をかけて、何らかの形でのサポートに動くことも十分に考えられると思います」(前出・編集者)

 剛が常々口にしていたというのが「人生は1度きり」。滝沢氏はそんな恩人の言葉に背中を押されたのかもしれない。

 
2022年10月下旬の午前7時、“白黒コーデ”で合コン会場のバーを後にする堂本光一と上田竜也

 

 

朝7時、合コンを終えて外に出てきた堂本光一と上田竜也(2022年)
 
朝7時、合コンを終えて外に出てきた堂本光一と上田竜也。光一は笑顔で首を傾ける(2022年)

 

朝7時、合コンを終えて外に出てきた堂本光一と上田竜也(2022年)