1972年に荒井由実としてデビューして以来、常に音楽界の第一線で活躍してきたユーミンこと松任谷由実(68)。
デビューから50年にあたる今年はベストアルバムのリリースや全国ツアーが行われ、文化功労者にも選出された。
憧れの松任谷由実(ユーミン)への取材
「私のユーミン初体験は小3のとき、友達と映画館で見た『魔女の宅急便』です。『やさしさに包まれたなら』を聴き、なんてきれいな音楽だろうとうっとりしました。'90年ごろからはユーミンの新作アルバムを背伸びして買っていました」
と語るのは、ユーミンへの取材をもとに刊行されたノンフィクション・ノベル『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』を執筆した小説家の山内マリコさん。取材でユーミンに会う前は少し緊張したと話す。
「テレビで見るユーミンは、何者にも迎合しない、孤高の存在というイメージ。実際お会いしてみると、どんな質問にも真摯に、オープンに話してくださって、とても楽しく取材ができました」
3、4時間の取材を3日行い、最終日には八王子にあるユーミンの実家と家族が経営する『荒井呉服店』にも案内されたそう。
「夜抜けに使ったらせん階段や自室、ピアノが置かれていた応接間などを見せていただき、想像を膨らませました」
事実をベースにしながら、フィクションも織り交ぜられた物語は、八王子で生まれた由実の幼少期から始まる。由実の母は、若いころから派手でいわゆる“モダンガール”。幼かった由実と一緒に出かけ、芝居や歌舞伎、映画などを好んで見た。そんな母の存在が、大人になった由実の手本となるかのように影響を与えている。
「少女時代にSKD(松竹歌劇団)のレビューなどを見た経験が、のちの大規模なコンサートの演出に活かされたんだと思いました。小説ではデビューまでですが、その先の活躍の素地となる部分も描き込もうと掘り下げました。働く女性だったお母さまの存在も大きいですね」
由実の母は荒井呉服店に洋装部を設け、近くの立川基地に住むアメリカ人向けのファッションを提供した。本書には、物おじしない性格の小学生の由実が、客のアメリカ人の前でマンボを踊る場面が出てくる。
「スターの片鱗を感じますよね。マンボを踊っている写真も残っているそうです」
東京の街を自由自在に歩いていた少女時代
ピアノや清元を習っていた由実は、立教女学院中学校に進学すると音楽に目覚め、当時流行していたグループサウンズ(GS)のバンドが出演していた新宿のジャズ喫茶に通う。その後、池袋、銀座、横浜のライブハウスにも足を延ばすなど、好奇心いっぱいに回遊する中で次第に才能を開花させていく。その中で、のちに『はっぴいえんど』を結成する松本隆や細野晴臣、『YMO』を結成する高橋幸宏らと知り合う。
同級生に連れられて立川基地に入り、アメリカで発売されたばかりのレコードを入手していたこと。また、当時あまり知られていなかったインド料理のサモサを実家で作っていたというエピソードなどをユーミンに聞いたという。
「アンテナと行動力がずば抜けてますよね。ネットどころか雑誌も少ない時代に、いろんな最新情報を足で稼いで、東京を自分の庭にしていた」
アンテナの感度が高いのは、ユーミンが住んでいたのが八王子だったことも大きかったのではと、山内さんは話す。
「中央線に乗って新宿まで、毎回小さな旅を繰り返していた。ユーミンは『エトランジェ感があった』とおっしゃっていました。異邦人の気持ちなんですね。だからこそ、自由な心で動き回れる。東京の真ん中ではなく外側に住んでいたからこそ、都会への憧憬を持っていられるし、キラキラしたものとして見られる。都心と距離があったことすら、強みにしている」
一方、山内さんは富山県生まれで、これまで地方出身の女の子の都会との距離感を作品でよく描いてきた。
「ユーミンは手の届かない大スターだけれど、同時に、自分が書いてきたものの延長線上でもあるなと思いました。私が書くことで、少し違う角度からスポットを当てられる。ユーミンの出自の裕福さに気後れしている方にも、ぜひ読んでもらいたいです」
取材を通して知ったユーミンの素顔と魅力
高校時代の由実が夜中に金縛りに遭い、首から上がヤギの男に“成功”を約束されたというエピソードはユーミン自身が体験したものだという。
「人智を超えたエピソードですよね。ごく最近になって明かすようになったそうです。音楽ファンならロバート・ジョンソンを連想する逸話。桁違いに巨大な才能は、何かと引き換えに成立するのかもしれないと、妙に納得しました。畏怖の念を持って、幻想的に描いています」
イギリスのロックバンド、プロコル・ハルムが1967年に発表した『青い影』に衝撃を受けた由実は、作曲家になりたいと思うように。そして、初めて作った『マホガニーの部屋』を録音。そのテープを聴いたレコード会社の社員が「新しい」と感じたことから、思わぬ形で歌手としてのデビューが決まる。
「あまりに斬新な音楽だったゆえに、既存の歌い手ではフィットする人がいなかった。この新しいタイプの曲を歌えるのは彼女しかいないと、シンガー・ソングライターとして自分が歌う形でデビューすることになります」
その後1973年、荒井由実のファーストアルバム『ひこうき雲』が完成する。ここで物語は終えるのだが、完成した小説を読んだユーミンからの直しは、ほとんどなかったという。
「些末なことは気にせず、任せた人に委ねられる。大物の証しだなぁと思いました」
才能の賞味期限が短い傾向にある音楽界にあって、若くしてデビューしながら現在も活躍し続けているユーミンは、
「音楽ジャンルを開拓したオリジネーターであり、女性がスーパースターになるという偉業を達成した人。責任持ってユーミンというブランドの“のれん”を守り、ファンのために尽くしている」
と山内さんは感じたそう。
「執筆も佳境に入ったころ、コンサートに行かせてもらい、1曲目の『翳りゆく部屋』を聴いた瞬間、あの由実ちゃんがこんな大舞台で…と感涙。この小説を書くことで改めて、ユーミンという存在を敬愛するようになりました」
本書で由実ちゃんがユーミンになるまでの軌跡を描き切った山内さんは、そう言って微笑んだ。
『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』(マガジンハウス/税込み1980円)
<取材・文/南陀楼綾繁>