ジャニーズの歴史の中で繰り返されてきた「脱退」「退所」。それでもデビュー後のグループにメンバーが追加されることがない理由について、ジャニーズに造詣の深い霜田明寛さんによる緊急寄稿ーー。
アイドルの世界にあって、ジャニーズの世界にない言葉がある。それが「新メンバー」「2期生」といった類の言葉である。モーニング娘。をはじめとするハロー!プロジェクトやEXILEを擁するLDHのグループには通例としてあるメンバーの追加。それがジャニーズのデビューグループでは一切行われないのである。
仮にメンバーの数が減少しようとも、追加募集などが行われることはない。なぜなのだろうか。結論から言ってしまえば、ジャニー喜多川はデビューグループを“完成品”として世に送り出しているからである。どういうことなのか。詳しく説明していこう。
国分太一は、ジャニー喜多川のことを「2軍の監督」と評していた。若手を2軍で鍛錬し、1軍としてデビューさせる。国分は「若い子、ジュニアをどうやって世に出すかということに命をかけていた人」と語っている。
ジャニー喜多川は、ジャニーズJr.を世に出すことに命をかけていた。世に出す=CDデビューに関しては、メンバー・タイミング・デビュー曲の中身に至るまで、熟慮を重ねていた。あの山下達郎ですらKinKi Kidsのデビューに際して候補曲を却下されたこともあったというからその本気度がうかがえる。
デビュータイミングに関しても、嵐やSexy Zoneのように結成してすぐデビューさせるグループもあれば、KinKi Kidsのようにジュニア時代に結成し、数年ものあいだ様子を見続けるグループもある。仮にテレビ出演などを果たしていても、グループのメンバー変更やグループ自体の消滅もよく行われるため、ジュニア時代は実験段階と言っていいだろう。
それらの試行錯誤を経てCDデビューという形で放たれるグループは“完成品”である。ジャニー喜多川にとってデビューに関することは聖域であり、デビューするグループは彼のアート作品と言ってもいい。
一度世に出したアート作品に関して、その後誰かが手を加えたりすることは許されないのである。その感覚が超越したものであることは、KinKi Kids・嵐といった数多のグループの成功が証明している。
ジャニーさんが平野に託した格言
一方でジャニー喜多川は、「答えを導き出すことをタレント自身に委ね、後ろから背中を推してくれる人」だったと堂本光一は語っている。
平野紫耀も「『自分のやりたいことを考えなさい、それを行動に移しなさい、その思いを貫きなさい』と言われ育てられた」という。ジャニー喜多川は天才的な感覚を持ちながらそれを押し付ける独裁者だったわけではなく、タレント本人の意向も尊重する民主性も兼ね備えていた。
そしてそれは近年、聖域であるデビューにも及んでいた。NEWSは山下智久が高校生のうちにデビューをしたいと言ったことで結成に動いたというし、A.B.C-Zも長い下積みを経た上での直談判によりDVDデビューが決まり、ジャニーズWESTに関しては既に4人組でのデビューを発表したにも関わらず本人たちの進言で7人組となった。
しかし、NEWSは9人から3人になり、A.B.C-ZとジャニーズWESTも他のジャニーズグループに比べ、初期の売上が芳しくなかったことを鑑みると、本人たちの意向を汲むことが、必ずしもよい結果を生み出すわけではないことがわかる。ジャニー喜多川の感覚で作られた“アート作品”には仮にタレント本人だったとしても手を加えないほうがいいのはないか――という仮説もよぎる。
実は今回、3人が脱退することが発表されたKing & Princeのデビューも、平野紫耀の直談判がきっかけになっている。だが最初は「ソロデビューの可能性も考えてみたら?」と突き返されている。それでも6人でのデビューを望み、今度はメンバー全員で直接訴えた。
温厚なジャニーさんがブチギレた理由
そのときのことを振り返り平野は「今思い出しても直談判は地獄でした。ブチギレる社長と、しどろもどろに話す僕。めちゃめちゃ怖かったです」と語っている。結果、デビューは認められたが、ジャニー喜多川が“ブチギレ”るエピソードはなかなかない。しかも相手は、舞台の主演に抜擢するなど、当時から大きな期待をかけていた平野である。
もしかしたら、ジャニー喜多川はこうなることを予見していたのではないか、とすら思う。本人たちの意見を尊重することは、優しさに感じられる。だが、その一瞬の優しさが、長い目で見れば本人たちに必ずしもよい結果を生み出すわけではないことをジャニー喜多川は気づいていたのではないだろうか。
結果的に、King & Princeはジャニー喜多川が最後に世に送り出したグループとなった。自分がいなくなった後の彼らの幸せを考えて、平野の直談判を突き返し、さらに“ブチギレ”たのでは――そう考えると、ジャニー喜多川の考えた通りの形でグループをデビューさせることは決してエゴではなく、タレントたちのことを考えた本当の優しさなのではないか、と思う。だからこそ、その優しさの塊の作品に、メンバーを追加するといった形で手を加えたりすることは、ご法度なのである。(文中敬称略)