11月20日からサッカー・ワールドカップカタール大会が開幕。森保一(もりやす・はじめ)監督率いる日本代表は23日にドイツとの初戦を迎える。
「森保さんは、長崎日大高校から日本リーグのマツダ(現サンフレッチェ広島)に入り、守備的ミッドフィールダーとして活躍しました。日本代表にも選ばれ、'93年には試合終了間際に同点に追いつかれて、初のワールドカップ出場を逃した“ドーハの悲劇”も経験しています。現役引退後は広島の監督として3度優勝。昨年の東京五輪でも監督を務めました」(スポーツ紙記者)
自宅に招いて歓待を
SNSを中心に《森保は面白くないサッカーをする》《地味な試合ばかり》など批判の声が多数挙がっている。
「17日に行われた強化試合のカナダ戦で逆転負けを喫しました。大会前最後の試合でしたが、主力組を温存した選手起用にも賛否がありました」(同・スポーツ紙記者)
大会直前まで批判が続くが、森保監督とはどういう人物なのか。Jリーグ・サンフレッチェ広島公式マガジンの『紫熊(しぐま)倶楽部』編集長で、森保監督を現役時代から取材してきた中野和也さんはこう話す。
「誠実な方です。日本代表に選出されて、広島で絶対的な存在になっても、それを鼻にかけるようなこともなく、非常に謙虚。記者にも丁寧に接してくれました。悪く言う人はいないですね」
そんな魅力的な人柄を表すエピソードが――。
「森保さんに初めてロングインタビューをしたときのことです。クラブハウスで待っていたのですが、森保さんが忘れて帰ってしまいました。広報の方を通じて連絡を取ると“もし時間があるなら家に来てほしい”と。
選手が記者を自宅に招くのはあまりないことです。森保さんの自宅に伺うと歓待を受けまして、奥さまのおいしい料理をいただきながら、ざっくばらんにお話をしていただけました。30分の予定が2時間くらい話をしました」(中野さん、以下同)
あえて選手に厳しい言葉も
選手への愛情は深く、ときには涙を流すこともあった。
「広島の監督に就任した'12年の試合前日に選手の前で泣いたことがありました。リーグ戦が始まると試合に出場するメンバーを選ばないといけない。それが辛かったのが理由でした。それくらい優しい人。今回のワールドカップで代表選手26人を選ぶのは相当辛かったと思います。おそらく、発表の会見に行くまでに何度も泣いたのではないかなと思います」
ただ優しいだけではなく激情家の一面も。
「高校時代にはラフプレーでやられた味方選手を助けるために、相手選手と喧嘩をしてレッドカードをもらったことが何度かあったようです。当時から仲間思いの選手でした」(前出・スポーツ紙記者)
勝つために選手にきつく接したこともあった。
「'15年の浦和レッズとの試合のハーフタイムでした。0―1でリードを許し、腰の引けたようなプレーをしていた選手たちに対して“お前たちは何がしたいんだ”と言うと選手からは“優勝したい”と。その返答に“優勝したいのにこんなサッカーでいいのか!”と激怒。“なんしよん”(広島の方言で“何している”)や“ビビってるなら代えてやるよ”など厳しい言葉をぶつけていました。その結果、逆転勝利。熱い人だから、日本代表クラスの選手がついていくのだと思います」(中野さん)
昭和の匂いを感じさせる優しさと厳しさを持ち合わせた熱い男。日本中を熱狂させる戦いを期待したい。