働く女性たちをサポートする人材コンサルティング会社を25歳で設立して以降、女性の仕事を支えることをライフワークとしてきた川崎貴子さん(50)。自らも働く女性の1人として会社を牽引してきた彼女は、44歳で右胸にがんが見つかったときも、仕事の決断をするかのごとく、迷いなく全摘手術を決めた。
命と天秤にかけたら胸の全摘なんて軽い
「家族や社員のことを考えると、第一は命、第二は仕事。優先順位は決まっていました。命と天秤にかけたら、胸は軽すぎると思ったんです」(川崎さん、以下同)
友人に“(胸がなくなることは)つらくない?”と聞かれても、なぜそう聞かれるのか不思議だったと話す。腫瘍の摘出手術と同時に行う胸の再建手術も「失った胸をもう一度作ってみよう」と、人生の経験として捉えた。
しかし、全摘手術を目前にしたとき、思いがけない気持ちが湧く。
初めてブラジャーをした日のこと、出産後の初授乳のこと。さまざまなことが走馬灯のように浮かび、胸がなくなる寂しさが込み上げてきたのだ。
「はじめておっぱいを称えてあげたい気持ちになりました。これまで頑張ったねって」
そして同時再建手術の数か月後には、乳首再建も行った。
「最初は乳首を作る必要性を感じていませんでした。しかし、実際に乳首を再建してみると、やっぱりしっくりくるというか。
家族もいいねと言ってくれて。上半身裸になって、家族の前で再建した胸を見せました(笑)」
さらに、左胸と再建した右胸の大きさの違いから肩こりが悪化していたため、左右のバランスを整えるよう、保険適用外ではあったが“おっぱいの作り直し”手術を行った。
「自分の人生で“豊胸”をする経験ができるとは思いませんでした!」
一連の手術について話す川崎さんは、つねに笑顔だ。
仕事を続けたことが気持ちのオンオフに
がんを告知されてから自分に降りかかってきたすべてのことを“人生の経験”として前向きに捉え、闘病中も会社の代表として仕事を続けてこれたのはなぜか。
「もともとの性格もあると思います。でも、今思えば、仕事モードにスイッチを切り替えるときがあったことがよかったのかなと。ずっと病気と向き合い続けるのはしんどいですが、気持ちにメリハリがつけられました」
服装を整え、メイクをして仕事へ向かっていたことが、ポジティブにがんと向き合う力につながったのではと話す。
「女性は、口紅ひとつ、ハイヒールひとつで気分が変わる生き物だから。病床でふさぎ込みそうなときも、ハレの気分にしてくれるアイテムが男性より多いので、女に生まれてラッキーだなと思いました。がんになったからこそ、改めて女性でよかったと気づけたと思います」
(取材・文/河端直子)