「乳腺の専門クリニック、もしくはがん専門の病院で検診を受けるべきだった」
そう振り返るのは、7年前、乳がんに罹患し、昨年末まで抗がん剤の1つである分子標的治療薬の投薬を受けていた井出久日子さん(46)。
乳がんがわかったのは、38歳。そのわずか5か月前に、乳がん検診を受けたにもかかわらずだ。さらに、治療を進めるなかで、がんのリンパへの転移が見つかり、ステージ4と知らされる。
大きな不安を抱える井出さんに対し、主治医は治療方針を二転、三転。主治医を信頼できなくなり、転院を決意するという事態に陥ることもあった。
手術不可のステージ4、自分の人生を恨んだ
「転院先でも、全摘手術の意味がないほど進行していると言われました。副作用が大きい抗がん剤治療に耐えて、がんが小さくなれば取ることができる。それを希望に治療を続けていたのに。手術ができるなら、胸なんてなくなってもいいのにと思いました」
抗がん剤の副作用は脱毛やむくみだけでなく、肌が乾燥して性行為時に濡れなくなることも。CAとして華やかに働いていたころの自分と比べて、女性としての魅力が失われていくように感じた。
「周りの同世代はキラキラ輝いて見えましたし、子どもがいて幸せそうな人を見るたびに自分の人生を恨みました」
闘病を支えてくれる夫が息抜きに銀座へ飲みに行くことにもイライラが募った。「“生きている意味があるのかな”と何度も思った」と話す。
諦めなければ、50代、60代でも輝ける!
そんな絶望のなか、井出さんを救ったのは、女優の故・樹木希林さんの「おごらず、人と比べず、面白がって平気に生きればいい」という言葉だった。
「この病気と一緒に仲良く生きていくしかない。人をうらやましがっても仕方がないと思えるようになりました。
脱毛したことを悲しむのではなく、せっかく髪がないんだから、金髪のウィッグをつけちゃおうとか(笑)」
がんサバイバーの女性が出演するファッションショーへの参加やミセスコンテストへの出場という挑戦も行い、閉ざしていた心がどんどん解放されていった。
「がんの当事者でなくても、女性が40代、50代になれば、みんな家族や健康などさまざまな悩み事がある。周りが全員幸せに見えて、誰にも会いたくないと思っていたけれど、たくさんの人と話しているうちに、お互いに励まし合える存在だとわかりました」
今、井出さんは46歳。これからが楽しみと語る。
「30代で輝けなかったぶん、50代、60代でも輝いていける女性になりたいです。ステージ4のがんを経験した私が年齢を重ねても輝いていたら、プラスのメッセージを発信できるかな。がんになって、諦めなければ誰でも輝けるということがわかったから、年齢を重ねるのは怖くないんです」
(取材・文/河端直子)