ピッチ上でサムライたちは皆、雄叫びを上げ、抱き合った。そのなかでスタッフが配るドリンクやタオルを“当然”のように無言で受け取る選手も少なくないところ、“殊勲”の男はスタッフらとも熱く抱擁。「ありがとう!」という言葉も添えながら――。
ワールドカップカタール大会。今大会の日本の初戦であるドイツ戦が23日行われた。前半、相手にPKを与え先制を許してしまった日本代表だが、後半30分にMFの堂安律が同点ゴール。そしてその8分後に値千金の決勝ゴールを決めたのは、後半途中から投入されたFWの浅野拓磨。前回大会は期待されながらもメンバー漏れ。今大会でもケガで稼働が不安視され、日本代表の“先輩”である闘莉王氏にはワールドカップ前最後の実戦だったカナダ戦の動きに対し、名指しで「ヘボ!」連呼の公開説教をされていた男だ。
「ドリンクやタオルを配るスタッフさんたちとも熱く抱き合ったり、お礼を言ったりしていたように、すごく仲間思いで礼儀正しい選手ですね」(サッカーライター)
試合後、浅野は決勝ゴールをお膳立てするパスを出したDF・板倉滉とお互いの殊勲を称え合うように指を差し合い抱擁。板倉は同じく大会前にケガで苦しんでいたリハビリ仲間だ。
代表のチームメイト、スタッフ。そして何より浅野が大切にする仲間。それは家族だろう。
9人大家族に生まれた浅野は…
現代では珍しいといっていい大家族に浅野は生まれた。父と母、3歳年上の兄、2歳年上の兄、2歳年下の弟、5歳年下の弟、7歳年下の弟、そして17歳年下の妹。これに本人を加えた9人家族。プロ入りしたサンフレッチェ広島からドイツへ海外移籍を果たして以降、毎日のように家族とはテレビ電話で話しているという。
小学校からサッカーを始めた浅野。転機は高校進学だった。
「浅野選手は地元である三重県の四日市中央工業高校に進みます。これまでに数十人のプロサッカー選手を輩出している強豪校ですが、公立のため学費補助などの特待生制度などはありません。全国レベルの強豪校とあれば、毎週末のように遠征があり、その費用も部員の各家庭に響いてきます。そのうえ自分は兄弟の多い大家族ということで、強豪校には進めないと考えていました」(前出・サッカーライター、以下同)
家から近い“普通”の高校への進学を考えていた。しかし小学生からの夢である『プロサッカー選手』を目指すためには、“普通”では難しい。そこに強豪・四日市中央工業高校のサッカー部顧問が浅野を説得に訪れた。
「サッカー部の監督に、“高校3年間は両親に苦労をかけてしまうけど、プロになって恩返しすればいい”と説得されたのです。そこからは浅野選手の意識として“プロ”以外の選択肢は消えたそうです。三笘薫選手など近年は大学卒業後にプロになり日本代表で活躍する選手も増えていますが、“大学に進めばさらに両親に苦労をかける”、“プロとして活躍するのを待たせる”と選択外だったそうです」
高校では2年生でレギュラーを獲得。全国高校サッカー選手権では大会得点王にも輝き、プロの道が開いた。'13年にサンフレッチェに広島に入団。サンフレッチェからプロ入りのオファーをもらった際の感情は、喜びではなく、安心。「ほっとした」だったという浅野。晴れてJリーガーとなってから、“恩返し”である両親への仕送りは今も続いているという。
今も続ける兄弟への支援
「家族への支援はそれだけではありません。高校のあった四日市市にお兄さんを店長とした高級食パンの専門店を自身がオーナーの形で経営しています。さらにいちばん下の弟である快斗さんもサッカーをやっており浅野選手と同じく四日市中央工業高校に進学。その後ドイツにサッカー留学をしているのですが、その資金も援助しています。現在は兄と同じドイツの5部リーグでプレーしています」
直前までケガに苦しんでいた浅野。ドイツ戦後に取材に応じ、批判の声などがあったことに対し、次のように話している。
「それでも僕を信じてくれてきた人のために僕は準備してきました」
浅野の“恩返し”は、家族だけでなく、日本を歓喜に導いた。