『M-1グランプリ2022』準決勝進出者27組が11月17日に発表された。敗退者のなかには、見取り図、EXIT、阿佐ヶ谷姉妹、Aマッソ、金属バット、ランジャタイ 、モグライダーなど人気芸人たちがふくまれていたことから「波乱」の声が続出した。
見取り図、モグライダー、EXITら人気コンビ敗退の理由
敗戦理由の考察は結果論でしかないが、それでも敗退組屈指の人気を誇る『見取り図』は、準々決勝の要所でネタを噛むことが多く、盛山晋太郎もたまらず最後に「噛みすぎやろ」と自虐的に締めくくったほど。
審査員側、鑑賞者側も噛むたびにテンポの悪い印象を受けてしまったのではないか。
SNSでも敗因として「緊張していたのか噛みすぎていたから仕方ない」「当日の出来で言えば敗退は順当」など『見取り図』本来の力が感じられなかったという感想が目立った。
2021年決勝でトップバッター史上最高得点を叩き出した『モグライダー』は、今回もまず、ともしげが「芸能人にちなんだゲーム」を仕掛け、そのゲームにともしげ自身が何度もひっかかりながら笑いをおこしていくという、彼らの王道パターン。
意外性や新鮮味に欠けたのも否定できない。2019年に「行ったり来たり漫才」で優勝したミルクボーイ、2020年に運動量とアクション性が異常に高い「コント漫才」でチャンピオンとなったマヂカルラブリーのように、近年のM-1は多くの人が見慣れていないフォーマットが有利なだけに、新たなパターンを開発する必要があったのかもしれない。
鑑賞者のなかにも、「客が一回、考えるネタ」という声があったように、喋りよりも“ゲーム性”の方が際立ってしまって、ついていけないところもあったのかもしれない。
同じく2021年決勝をきっかけにブレークしたランジャタイは、会場内のウケ方は抜けていたように感じた。ただ、おなじみの暴走漫才がさらにヒートアップしていたことから、「何を言っているのか分からなかった」との感想も。たしかにそういった点が審査に響いているようにも思え、観る者を選んでしまったのではないだろうか。
この夏『24時間テレビ』(日本テレビ系)の100キロマラソンに兼近大樹がチャレンジして感動を呼んだ『EXIT』も涙を飲んだ。ギャル男のテンションで大手コーヒーチェーンの会議を再現したが、熱烈なファンとしても今回はネタの弱さを感じたのではないだろうか。また、モグライダーの項でも触れたが、漫才のノリが事前に予想できるという点で、それ以上のサプライズが得られなかったことも敗因としてあげられる。
今年のワイルドカードは「実力」と「笑いの量」?
そんな準々決勝敗退者を対象とするシステムが、2015年から導入された「ワイルドカード」。配信中の準々決勝のネタのなかから、視聴者数で1位を獲得することができれば準決勝に滑りこめるというものだ。配信がスタートしてから各芸人のファンたちが連日、視聴を呼びかけている。
ランジャタイは、結成年数制限で今年のM-1がラストとなるが、国崎和也の新型コロナウイルス感染のため、ワイルドカードを無念にも辞退することになった。
ただ、同枠をめぐっては以前から「知名度や人気のある芸人が有利ではないか」と疑問の声があがっており、今回も「人気投票じゃなく実力と笑いの量で1組が選ばれてほしい」「どれだけファンが多いかの問題になってしまわないだろうか」といった投稿が多い。
過去のワイルドカード進出者は、ニッポンの社長、馬鹿よ貴方は、アキナ、魔神無骨(現「令和ロマン」)、金属バット、ラランド、滝音。顔ぶれをみると単純な人気投票という結果にはなっていない。
それでも年々『M-1』熱が高くなっている現状に加え、今回は見取り図、金属バットといったラストイヤー組も“充実”していることから、ワイルドカードに賭けるファンの本気度も違うのではないだろうか。
そう述べている矢先の28日、ワイルドカード枠は金属バットに決定。早口でまくしたてる王道漫才とは違う、ゆるやかな話調から、ブラックな題材のネタを繰り出す彼らは決勝でも要注目だ。
M-1審査基準の不透明さ
こういった救済措置があるとは言え、準々決勝の審査に対して不満を持つ声は後をたたない。例年以上に物議を醸しているのではないか。
問題視されているのは、審査基準が不透明なところ。
SNSでは「毎年よく分からない」「審査員の判断で当落が決められる節がある」
「ウケてる組を落とすんだったらそれなりの基準を示して」
「準々決勝の審査員って放送作家なのか、くだらない」
と辛口な意見が並んでいる。2018年王者・霜降り明星の粗品もラジオ番組『霜降り明星のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)出演時、「審査員の誰かがイキッてるんやろうな」と意味深な発言をしたほどだ。
『M-1』は、「そのとき一番おもしろい芸人を決める大会」である。ただ準々決勝は傾向として、会場でのウケ具合以上に「審査側の好み」に寄るところも大きい。もちろん、誰が審査員をやっても各自の「好み」は、多かれ少なかれ判定に響いていくもの。それは決勝も然りである。ただ粗品の発言を掘り下げて考えると、一流芸人の目で見て「自分のセンス」を誇示しすぎるような審査が成されている可能性があるということだ。
さらに近年は、コンプライアンスに触れそうなネタを披露する芸人は通過が難しくなっているようにも感じる。
以前から「賞レースでは下ネタは厳しい」とされてきた。現在はそれだけではなく、倫理観に触れそうなもの、炎上につながりそうなものも早々にシャットアウトを食らってしまう。
面白いよりも視聴者「受け」が重視
『M-1』は話題性の高さだけではなく、あくまでテレビバラエティでもあることから、年々コンプラへの意識が強くなってきた。おもしろさの「ウケ」よりも、幅広い視聴者に受け入れられるかどうかの「受け」が重視されるようになっているのだ。準々決勝の審査はその門番として篩(ふるい)に掛ける役割と化しているのかもしれない。
準々決勝敗退者のなかであれば、荒い言葉遣いを操った金属バット、下ネタで攻めまくったゆにばーすが、ウケとは別の力が働いたように思えた。一方で、シシガシラはいつも時代の流れに反したド直球の容姿いじりで笑わせてきたが、準々決勝ではそれを封印。彼らのネタを知るファンにとってはモヤモヤが残った。これは「受け」を意識したネタのチョイスだったのではないだろうか。しかし、いつもの切れ味が影を潜めて敗れ去った。
準々決勝を観る限り、ゆにばーすは過度だったかもしれないが、それでも毒性のある題材が良しとされず、テレビなど映像コンテンツ向きのネタが重視されるとなると、これから開催される準決勝でも、「おもしろい」けれど丸くおさまっていて刺激に事欠くものになりかねない。「ウケ」より「受け」に根ざした笑いへと舵を切るあまり、その芸人の持ち味が失われてしまわないだろうか。
準決勝の通過基準は、決勝=テレビに向いているか否かという印象になりかねない。『M-1』が定義する「おもしろい」とはどういうことなのか、それが問われている。