総務省の統計では高齢社会に伴い、ここ25年の間で配偶者を亡くした「没イチ」人口は1・5倍に。決して他人事ではない「ひとり老後」のしのぎ方、生の声をお届けしよう。
人には話しづらい死別の苦しみ
最近では、配偶者と死別した人を、離婚経験者を意味する「バツイチ」になぞらえて、「没イチ」と呼ぶ言葉も登場し、注目されている。その背景には、高齢化が進み、ひとり残されてからの人生が長くなったという現実がある。平成27年の国勢調査によると、40歳以上の「没イチ」人口は全国で958万人。その8割が女性だ。
「“定年後は夫婦でゆっくり旅でもしよう”という何げない会話が、叶わぬ夢になってしまった」、「夫の遺品を目にするたびに涙が止まらない……」
神奈川県に本部を置く配偶者と死別した人の交流会「気ままサロン」の会報には、全国の会員から寄せられた切実な言葉が綴られている。サロンの代表を務め、自身も14年前に夫を亡くした伊藤京子さんは、「伴侶を失ったつらさを口に出せず、ひきこもってしまう人は多い」と話す。
「桜の季節に夫を亡くしたある会員さんは、その後の数年間、桜の花がモノクロに見えていたと話していました。キンモクセイの香りがわからなかったという方も。睡眠導入剤や精神安定剤を手放せない人も少なくありません」(京子さん、以下敬称略)
「没イチ」とは?
「没イチ」という言葉は、第一生命経済研究所の主席研究員だった小谷みどり氏が死別経験をもとに著した著書『没イチ』が、注目されるきっかけになった。軽い響きに抵抗感を持つ当事者もいる一方、死別後の問題に社会の目が向く契機となり、死別を前向きに捉えようとする言葉として使われるようにもなった。
ひとりでいる時間がとてつもなくつらい
代表の京子さんも、当初は死別のつらさを抱えた会員のひとりだった。京子さんは22歳のときに8つ年上の勇さんと結婚。海外で大きなプロジェクトを率いる研究者だった勇さんは不在がちで、京子さんも子育てをしながら個人事業主として忙しい日々を過ごしていた。お互いの仕事についてビジネス談議をするのは楽しく、ケンカをしたこともなかったという。
ところが、1999年、勇さんに前立腺がんが見つかる。すでに難しい状態だったが治療を続け、10年後に亡くなった。享年67。京子さんは59歳だった。
「やれる限りの治療はして、10年も長らえて医師を驚かせた。夫も“後悔はない”と話していました。治療中も元気なときは海外旅行もして、夫婦として密度の濃い10年でした。“楽しかったね、いってらっしゃい”という気持ちで見送りました」
そう思ってはみても、ふたりで暮らしていた家に、ひとりでいる時間が、とてつもなく寂しい。過去は振り返るまいと、アルバムも手紙もほとんど捨ててしまった。そんなときに、新聞の社会面で見かけたのが、「気ままサロン」の記事だった。京子さんは、サロン創設の中心となり、代表だった故・佐藤匡男氏に連絡し、入会を決めた。
現在京子さんの右腕として、サロンの幹事を務める佐藤和江さんも14年前、夫を10年の闘病の後に亡くしている。
「喉頭がんでした。私自身の今後も考えなくてはいけないと思っていたときに『気ままサロン』を知り、夫を見送るとすぐに入会しました」(和江さん、以下敬称略)
おふたりが今も印象に残っていると話すのは、初めて元代表の佐藤氏に電話をしたときにかけられた言葉だ。佐藤氏も愛妻を病で亡くしていた。
「“たいへんでしたね”と、穏やかなお声で言われて、ほろっと、心が一気に癒された覚えがあります」(和江)
共感し寄り添う友人が見つかった
反対に言われてつらかった言葉もある。心の整理がついていないのに「もうひと花咲かせられるわよ」「いい人紹介するから」などと言われたり、見合い写真を送りつけられた人もいる。励ますつもりで悪意はないとわかっていても、失意の底にいる身には到底受け入れられない。外では明るく振る舞っていても、自死を選ぶ人もいるのだ。
「サロンでは、ふと私が“寂しいのよ”とつぶやくと、“寂しいよね”と返ってくる。それでいいんです。表向きは人に心配をかけまいと明るく振る舞っていても、“寂しい”とこぼせる場があることが気持ちをラクにしてくれました」(京子)
京子さんは和江さんと入会後に知り合って以降、10年ほどの付き合い。会を通じ何でも話せる親友ができたと喜ぶ。
また、「書いて気持ちを表すこと」も大切にしてきた。心の整理になり、面と向かっては話せない人もいるからだ。サロンの会報には闘病や死別時の心境などを綴った手記も多い。読む人も「自分だけではない」と共感できる場にもなっている。
日帰りイベントを外に出るきっかけに
一方でイベントの開催にも力を入れてきた。そこには、「ひとりでも独りぼっちでなく」という、創設以来のコンセプトが受け継がれている。
「つらい話を吐露することも必要だけれど、そればかりではつらさが反復されてしまい、前に進めません」(京子)
思いを語ったり、イベントを楽しんだりできる“没イチの居場所”をつくってきた。
ホームページや会報には、何げない日常の雑感や趣味の話を投稿する人も多い。イベントは日帰りの小旅行や食事会、カラオケなどを企画。コロナ禍ではZOOMを使い、オンラインで交流を続けた。
「家でひとりでいると、どうしてもくよくよしてしまう。そこから一歩踏み出すことが難しいのですが、人と接することがきっかけになります。だから私は、ひきこもってしまう人には、“とにかく靴を履いて外に出て!”と言うんです」(京子)
泣いてばかりだった人も、イベントに参加するうちに、徐々に表情が変わる。
「泣いたほうがいいんです。涙が枯れるまで泣く! そして“時間薬”といいますが、時間も必要です。人によりますが、三回忌を迎えるくらいになると、笑顔が増えてくるように思います」(京子)
「気持ち的には“卒業”といえる方もいます。私もそう。やはり趣味や暮らしを楽しめるようになるといいですね。登山を始めて、みるみるアクティブになり、再婚した男性もいます」(和江)
ひとり世帯になり経済的な問題も
夫の死で世帯の収入が激減するケースもあり、経済的な問題も無視できない。サロンでもイベントの会費はできる限り抑えているとか。
「経済的な不安から再婚したいという女性から、ここでは男性を紹介してもらえるのかと問い合わせを受けたことも。私たちはそれぞれの自立を目的にした会であることをお話ししましたが、本当に困っているからズバリ聞かれたんだと思います」(京子)
夫婦であれば、離婚しない限り、いつか「没イチ」になる日が訪れる。そのときのために今からできることとは。
「お互いが自立することですね。財産管理でも家事でも、どちらかに頼り切っていると残されたほうは苦労します。特に家事をしない男性は、まず慣れない家事で参ってしまいます。生活能力は今のうちに身につけるべき」(和江)
また、仕事ひと筋で無趣味な人は、ムリにでも趣味を見つけておいたほうがよいと、おふたりは強調する。
「ある男性会員は、亡くなった奥様が生前に、趣味を持ったほうがよいとバードウォッチングに誘ってくれていたとか。その男性は今やすっかり熱心なバードウォッチャーになり、“妻が残してくれたものを形にしたい”と作品を一冊の写真集にまとめていらした。奥様は本当によいものを残されましたね」(京子)
お話を伺ったのは…NPO法人「気ままサロン」
伊藤京子さん(73歳)
2009年、59歳のときに夫を前立腺がんで失う。NPO法人「気ままサロン」に入会し、2021年から代表に。全国に会員がおり、総数は約100人。
佐藤和江さん(77歳)
2008年、64歳のときに、喉頭がんだった夫と死別。現在、「気ままサロン」」の幹事として、会計や会報の発行に従事。
<取材・文/志賀桂子>