ダイエットの歴史は19世紀から!「体重計は処刑台」 摂食障害に悩む現代女性の“ストレスと心の闇”(写真はイメージです)

 いつの時代も女性にとって体重、ボディラインに関する悩みは尽きない。“やせている”のは美なのだろうか。ジャーナリストの加藤秀樹氏が現代女性のストレスと心の闇を考える。

ドラマでもかなり身近な摂食障害

 11月上旬に放送されたNHKの朝ドラ『舞いあがれ!』でヒロインのダイエットが話題になった。また、フジテレビ系の月10ドラマ『エルピス─希望、あるいは災い─』では、ヒロインの摂食障害を思わせる描写が注目されている。現代において、ダイエットはもとより、摂食障害もかなり身近になっていることが、こんなところからもわかる。

 では、世の女性たちはいつごろから、ダイエットに取り組み、摂食障害に悩まされてきたのか。

 有名なのは、19世紀オーストリアの皇妃エリザベート。172センチで50キロ弱、ウエスト50センチという体形を維持するために、毎日体重計にのり、増えていれば夕食を抜くなどしていた。

 やせたい女性のなかには、「体重計は処刑台」などとたとえる人がいるが、まさにそんな心境だったのだろう。

ツイッギーは'60年代~'70年代に一世を風靡したモデル。英語で「小枝」という意味を持つツイッギーはその名のとおり、ミニスカートから小枝のような長い脚をのぞかせ世の女性たちの美の基準を変えた。左右は当時の写真、中央は37年ぶりに来日したツイッギー('04年、当時54歳)

 また、エリザベートはスイーツの大量買いや強迫的な運動も行い、死に憧れるという心の闇も抱えていた。世界最初のダイエッターとも、摂食障害者とも評されるゆえんだ。

 ただ、昔の庶民は飢えをしのぐので精いっぱい、わざわざやせようとする余裕はなかった。

 それこそ、日本で最初の家庭用体重計が発売されたのは1959年のこと。その翌年、和田静郎の提唱するダイエット法が「皇后さまもおやせになった」という触れ込みで流行する。

 また、'67年にはモデルのツイッギーが来日してミニスカートブームが起き、'70年には歌手の弘田三枝子が自身の体験をもとに書いたダイエット本がベストセラーになった。

 '77年には、こんにゃくを使った健康食品『ハイマンナン』が「食べた~い、でもやせたい」というCMでヒット。'79年には『たかの友梨ビューティクリニック』が設立された。

 というように、日本人のダイエットは戦後になってから広まった。それも、皇族から海外モデル、歌手へ、という流れで、庶民レベルに降りてきたという印象だ。

 そして、'80年。カリスマ的な女性が画期的なダイエット法をひっさげて登場する。鈴木その子だ。

鈴木その子

 のちに「美白の女王」としてテレビに引っ張りだことなるが、その原点は「白米」へのこだわり。当時は太りやすいイメージのあった白米を食べるダイエット法を提唱して、これが支持された。

 筆者は'92年に、健康雑誌で鈴木をインタビューしたことがある。銀座にある彼女の店に出向いたところ、そのまま彼女の豪邸に連れていかれ、手を握られるなどした。といっても、変な意味ではなく、

「私は手を握っただけで、健康かどうかがわかるの。うん、あなたは健康ね」

 という、独自の健康診断だったのである。

 ただ、その態度に宗教家っぽいものも感じた。いや、現代女性におけるダイエット自体「やせたら幸せになれる」といった幻想が絡んでいることからどこか宗教的なのだが、鈴木の場合はもっと切実な背景があった。

 専業主婦だった彼女がダイエット本を書いたのは、息子の夭折(ようせつ)がきっかけ。摂食障害をこじらせ、転落死した息子のような悲劇をなくしたいという祈りに衝(つ)き動かされていたのだ。

 とはいえ、あらゆるダイエットは諸刃(もろは)の剣(つるぎ)でもある。健康や美につながることもあれば、そこから病むこともあるからだ。

ダイエットは単なる食の問題ではない

 ’83年には、米国の歌姫、カレン・カーペンターが亡くなった。

「太った子ブタちゃん」

 などとからかわれたことをきっかけに、やせることにのめり込むうち、拒食や過食嘔吐(おうと)に陥った彼女は、心臓発作により32歳で急死。折しも『週刊明星』が2回連続で拒食症を記事にしていて、そのあいだにこの訃報が飛び込んできたため、後編では彼女の死にも触れられることとなった。

 物事の節目には、こうした偶然も生じやすいのだろうか。

 というのも、この12年後、筆者は個人的にこうした偶然を経験した。

 この年の春『ドキュメント摂食障害』という本を出版。その半年後、宮沢りえの激やせが世の関心事となり、筆者もテレビ朝日系のワイドショーで梨元勝のインタビューを受けたりした。

宮沢りえ

 その模様は2日後に放送されるとのことだったが、一日早まることに。筆者がまさにインタビューを受けていたころ、彼女がゴルフイベントでさらなる激やせぶりを見せて大騒ぎになり、それが翌日のトップネタに変わったからだ。

 カレンもりえも、激やせのリスクを広く世に広めた存在である。

 しかし、それによって世の女性がやせたがる流れが変わることはなかった。

 次から次と新たなダイエット法が登場。「こんなにヤセていいかしら」とか「ヤセたいところがすぐヤセる」「簡単料理でおいしくヤセル」「今度こそ、やせる」「いつまでもデブと思うなよ」「読むだけでやせる!」といった巧みな殺し文句でやせたい女心を煽(あお)った。

 ダイエット産業と呼ばれるほどの隆盛は、世の女性の願望がそれだけ強いことの反映でもあるだろう。

 その一方で、リスクを啓発しようとする動きもある。

 2007年には、摂食障害者でもあるフランス人モデル、イザベル・カーロの激やせヌードポスターが衝撃をもたらした。その3年後、彼女は日本のテレビにも出演したが、それが放送されたとき、彼女はもうこの世にいなかった。来日の無理がたたってか、帰国してすぐに病死(享年28)したのである。

 そんな光と闇とが交錯する状況を象徴する番組が『ザ!世界仰天ニュース』(日本テレビ系)だ。

「仰天チェンジ」というダイエットの成果を紹介する企画が名物だが、摂食障害についても国内外の実話をさかんに紹介している。また、最近は「やせの大食い女子」のエピソードも。いわば、やせたいけど病みたくはない、そしてできれば食べてもやせていたい、という欲張りな理想に応えようとしているわけだ。

 それにしても、ダイエットが広まってから約半世紀。そろそろ失敗しない方法が生まれてもよさそうなものだが、たとえ目標体重になれても、10年間維持できる人はほんの数%だとするデータもある。

 まして、摂食障害を患ってしまうと、簡単には抜け出せない。それはクスリ依存からの回復以上に大変なのではないか。食の場合、完全に断つわけにはいかず、ちょうどいい食べ方をしながら取り戻すしかないからだ。

 また、ダイエットや摂食障害は単なる食の問題ではない。その根底には、人間関係のストレスや承認欲求といった「心」の問題が絡んでいる。コロナ禍による休校中に、ダイエットを始め、そこから摂食障害になる人が増えたというニュースは、そのあたりを示すものだ。

 そんな現代女性の葛藤について、今後も浮き彫りにしていきたい。

【ダイエットと摂食障害の半世紀年表】

1980(昭和55)年 鈴木その子が『やせたい人は食べなさい』を出版

1982(昭和57)年 ジェーン・フォンダのエクササイズが流行する

1983(昭和58)年 カレン・カーペンターが死去

1988(昭和63)年 川津祐介のダイエット本『こんなにヤセていいかしら』がベストセラーに

1992(平成4)年 TBCのCM「ぜったいきれいになってやる」がヒット

1995(平成7)年 宮沢りえの激やせが騒がれる

1997(平成9)年 東電OL殺人事件、被害者の摂食障害が注目される

2001(平成13)年 『ビューティーコロシアム』が放送開始。無名時代の綾瀬はるかもダイエットに励む

2002(平成14)年 中国のやせ薬で死者が出る

2003(平成15)年 デューク更家のウォーキングが流行

2005(平成17)年 ビリーズブートキャンプがヒットする

2007(平成19)年 レコーディングダイエットが流行

2008(平成20)年 メタボ健診が開始

2009(平成21)年 Coccoが摂食障害を告白

2010(平成22)年 ライザップが設立される

2011(平成23)年 糖質制限ダイエットが流行

2017(平成29)年 フランスで細いモデルや細くする写真加工を制限する法律が施行される

2020(令和2)年 コロナ禍により、摂食障害が増加

 かとう・ひでき ●中2で拒食症の存在を知り、以来、ダイエットと摂食障害についての考察、その当事者との交流をライフワークとしてきた。著書に『ドキュメント摂食障害―明日の私を見つめて』(時事通信社)がある