King & Princeのメンバー脱退で揺れる芸能界だが、過去にグループを脱退したメンバーは今どうしているのだろうか。『U・S・A』で再ブレイクしたDA PUMPの全盛期に脱退したSHINOBUの「今」に迫る。
いずれは島に戻る、と思っていた
「16歳で上京して、16年間東京で生活して、32歳で小浜島に戻ってきました」
今から10年前の2012年、母親が始めた「民宿みやら」を継ぐため、実家のある沖縄県・小浜島へ帰ってきた宮良忍(42)。
「夏のシーズンだと、朝7時前に起きて朝食を作ります。8時にゲストさんたちにお出しして、僕はその間に船へ行って荷物を積み込んだり燃料補給をして宿へ戻るんです。皿を下げて洗い物をしてから自分も朝食を食べて9時過ぎに船に集合、僕の操船でオプションマリンツアーへ出発して、15~16時ごろに帰島して船の片づけをしたり、その日チェックインのゲストさんのお迎えのために港へ行ったりします。
夕方からは時間があれば家族と食事、その後は外へ夕食に行っていたゲストさんたちが宿へ戻ってきたら一緒にお酒を飲んでトークをしたり、写真を撮ってサインをしたりして、23時ごろまで楽しんで後片づけをして寝る、という毎日ですね」
日々の健康的なルーティンを明かす。'95年に沖縄アクターズスクールに入学した忍はKEN、YUKINARI、ISSAの4人で上京し、'97年6月にデビュー。'98年から'02年まで5年連続で紅白出場するなど国民的人気グループに。
'01年には単独で朝の連続テレビ小説『ちゅらさん』(NHK)に主人公・えりぃの幼なじみ・誠役で出演。沖縄から東京へ出た誠だが実家へ戻り家業を継ぐという役柄と同じ人生を送っていると再放送時に話題となった。
東京の街を走って走り抜けた
石垣島に住んでいた小学1年生のとき、民宿を始めるため両親が生まれ育った小浜島へ移り住んだため、「仕事の流れはガキのころから見ていたし、ひとつ屋根の下にお客さんがいる環境で育ちましたから、戻ってきてどうしようと思うことはなかったですよ」と言う。
しかし16歳でDA PUMPのデビューが決まり、沖縄から上京する1か月前、民宿を切り盛りしていた母親が急逝していたと明かす。
「当時はもう戦いに行くような、頑張らなきゃという気持ちでしたね。周りに落ち込んでいる姿を見せたくなかったので、よくひとりで東京の街を走っていました。走っている間だけ無心になれて、自分と向き合うことができたんです。それで悲しい気持ちを紛らわせていました」
東京で活躍している間、家族が担ってきた民宿を自身が引き継ぐことは「亡くなった母に呼ばれたのかな」と笑う。
「DA PUMPのころに受けた雑誌のインタビューで、いずれは島に戻って、大きな船に乗って、その上で三線弾いて歌ってるんだ、とよく話していたので、ウソはなかったかなと(笑)。小浜島へ帰ることは僕自身が決めたことで、反対する人はいなかったです」
大きな転機は“家族”ができたこと
宿の仕事を始めたころは、DA PUMP時代のファンや、東京の知り合いが多く来てくれたという。
「でも中には僕が芸能の仕事をしていたことを知らずに来てくれる人もいるんですよ。自分は見た目がこんな感じなんで、港までお迎えに行くと、『チャラい従業員だなぁ』と思われてたでしょうね(笑)。それで他のゲストさんと話していると、『この人、オーナーなの?』と気づかれたりして。
民宿ではDA PUMP時代のことは自分から話さないので、他の方から聞いて『そうだったの!?』と言われることもありますね。今は小さなお子さんからおじいちゃん、おばあちゃんまで幅広い年代の方が来てくださってます。初めてウチの民宿へ来て満足された方って、到着したばかりのときの表情と、帰り際に『ありがとう』って言ってくださる顔の筋肉の解け方が違うんですよ。そういう表情を見ると、やりがいがありますね」
そしてこの10年での大きな転機は「家族ができたこと」。
「ひとりのときはいい意味で守るものがなかったし、自分はあんまり欲もないので損得を考えずにサービスして、予約も電話で受けるだけ、宣伝もブログくらいだったんです。でもエステティシャンとして小浜島のリゾートのスパに働きに来ていたなっちゃん(妻)と知り合って2016年に結婚して、子どもたちが生まれてからは、民宿のホームページを作ったり、ちゃんとしました(笑)」
今の充実を達成するための10年だった
実は幼いころの夢が「船になりたい」だったという忍。
「どうして船だったのかなぁ……わかんないんですね(笑)。でも好きすぎて、自分の中でなくてはならないパートナーみたいな感じなんです。中1から石垣島の書店で船の情報誌を買ってたくらいですから。好きな理由ですか?
普通、陸上の乗り物だと真っすぐ行く、曲がる、バックする、車庫に入れるくらいだけど、船はその日の天候や風、潮の満ち引き、波のはじけ方なんかでどう操船するかが変わってくるし、一応航路は決まっているけど自分が思い描いたラインを進める。乗り物の中でいちばん自由で、ロマンがあるところかな」
20歳のころ、忙しい時間の合間を縫って船舶免許を取得した忍。美しい八重山の海へゲストを乗せていく船は購入から20年がたち、老朽化が目立ってきたため、新しい船の購入を考えていたところ、新型コロナによって2020年に2か月半宿を閉めることを余儀なくされた。
「その間、すっごい葛藤してましたよ……久しぶりに走ったりとかして。東京で走っていたときと、同じ気持ちでしたね。仲間内でお金を集めて買えば、という声もあったんですけど、それだとこの10年間に『民宿みやら』へ来て、クルーズを楽しんでくださったお客様に失礼になるなと思って。
それでいろいろと考えて、クラウドファンディングに挑戦してみようと思ったんです。僕は人にお願いするのが苦手な性格なので、心の整理に時間がかかってしまって……それでもうホントに文章もすげぇ考えて、納得いかないと走って。走りながら言葉を思い浮かべて、思いを真っすぐ伝えるにはどうしたらいいだろうと考えました」
目標金額は3900万円。額が額だけに、周囲から心配されたという忍さんだが、なんと期日ギリギリで見事に目標を達成!
「僕は諦めてなかったし、絶対に大丈夫と言い続けました。それで周りも応援してくれて、それがパワーになって。だから今回諦めないことの大事さを改めて感じましたね。1072人の方が応援してくださったので、本当にみんなの思いで達成したという感じですね」
今は来年やってくる新しい船のお披露目をどう皆と盛り上げられるか、といううれしい悩みを抱えているという忍。では10年間でつらかったことは?
「つらかったこと、う~ん……10年振り返って、つらかった以上に今が充実しているので、パッと出てこないんですよね、おかげさまで。今の充実を達成するための10年の歩みだったのかな、と思いますね。
今、自分の中で大事にしているのは、ルーツやこの世に誕生させてくれた親だったりといういちばん最初の始まり、今どうしているか、そして人生の最後にどうなるか……そのすべてに感謝することなんです。地に足をつけ、人としてしっかり生きていければいいですね!」
<取材・文/成田 全>