一寸先は闇、というのはよくできた言葉だ。人生がいつどこで暗転するかわからない、ということをたった五文字で表している。
昨年の12月、松田聖子(60)を襲った悲劇もまさにそれだろう。ひとり娘の神田沙也加さん(享年35)に突然先立たれ、出場が決まっていた『NHK紅白歌合戦』を辞退した。
娘の死、憔悴した松田聖子
ただ、辞退を発表する前の段階では、出場するのではという見方も小さくなかった。それだけ彼女に、超人的なものを期待するファンが多かった、ということでもある。
デビュー以来、歌やルックスはもとより、その「打たれ強さ」でも支持されてきた聖子。バッシングもスキャンダルも、なんでも肥やしにしてしまうような別格ぶりが、彼女をレジェンドにした。
その伝説のひとつが、聖子カットの流行だ。現在放送中のNHKの朝ドラ『舞いあがれ!』では、永作博美扮するヒロインの母が回想シーンでこの髪型にしている。視聴者にひと目でその場面が'80年代初頭とわからせるための「記号」であり、そういう意味で聖子はもはや「歴史」なのだ。
昨年4月には、出世作の『青い珊瑚礁』をセルフカバー。ミュージックビデオでは41年ぶりに聖子ちゃんカットを披露して、還暦目前とは思えない若々しさが話題になった。
いわば、生けるファンタジーとしての健在ぶりを示したわけだが、そのわずか8か月後、娘の死というつらい現実が襲いかかることに。元夫の神田正輝(71)と行った短い会見での憔悴した姿から、彼女も人の子、いや、人の親なのだと思わされた人は少なくないだろう。
美空ひばりさんとも通ずる“わが子への愛情”
ちなみに、聖子は1997年に『私だけの天使~Angel~』というシングルをリリース。自らの作詞で「世界にひとつの輝く宝物」である娘を命がけで「守ってゆくわ」という思いを歌った。
その3年後には、歌番組でラルク アン シエルと共演するにあたって、娘から「シェルじゃないよ、シエルよ」と教えられた微笑ましい話も明かしていた。デビュー後の娘とは確執も伝えられたが、むしろそれだけに先立たれたショックは深いだろう。
今年11月のイベントでは、娘の話をしながら泣き崩れる場面もあった。その数日後『紅白』の出場者が発表されたが、彼女の名前はなし。大舞台で歌えるほどには、まだ立ち直れてはいないのかもしれない。
ここで思い出されるのは、美空ひばりさんのことだ。彼女は弟に先立たれ、その忘れ形見を養子にした。重病を押して歌い続けたのは、10代にしてひばりプロダクションの社長となった息子の行く末を案じてのことだ。
どんなスターであっても、わが子への愛情は変わらない。ただ、ひばりは命と引き換えるようにして『川の流れのように』という傑作をひとつ残すことで、スターのまま去った。聖子にもこの悲劇をなんらかの糧にしてほしい、という期待を抱いてしまう。
もちろん、最近は、スターも人間なのだ、という方向に世間の感覚が変わりつつあり、聖子が活動をセーブしたままでも逆風が吹くことはないだろう。しかし、そんな時代だからこそ、彼女くらいはスターであり続け、その凄みを見せつけてほしいとも思うのである。実際、活動再開となった4月のライブでは、
「これからも、歌うことが好きだった沙也加と一緒に歌ってまいります」
と語った。
そのためにどんな活動を目指していけばいいのか。聖子自身、スターと生身の人間の間で葛藤しているのかもしれない。