渡辺徹さん

 11月28日敗血症でなくなった渡辺徹さん。渡辺さんの代表作といえばやはり刑事ドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)にで演じたラガー刑事役。渡辺さんは15年間続いた長寿ドラマの中でも異例の存在で、数々の伝説を残していた。

ボス・石原裕次郎との出会い

「なんじゃあこりゃ!」松田優作さん演じるジーパン刑事の殉職シーンが現在も語り継がれる「太陽にほえろ!」。熱い男臭いドラマとして人気だったが、80年代には大きな曲がり角に来ていた。

 裏番組の『3年B組金八先生』(TBS系)が高視聴率を記録し、桜中学シリーズではたのきんトリオ、シブがきトリオ(のちにシブがき隊)など生徒役でジャニーズ・アイドルが大挙出演。都会的でライトな刑事像にシフトしつつある中で、番組プロデューサー岡田晋吉氏がアイドル的人気獲得を狙って当時19歳の劇団文学座研究生だった渡辺さんを抜擢した。

そんななか渡辺さんは、解離性大動脈瘤をわずらい長期離脱中だった捜査一係の係長・ボスを演じる石原裕次郎さんとの出会いを2007年12月に出演した『お宝TVデラックス』(NHK)で語った。

 挨拶のために石原さんの入院する病院まで見舞いに行くも、石原さんはまわりに人がいるときには、「おう!」と声をかけるだけ。やがて二人きりになると石原さんはわざわざ立ち上がり、両手で手を握り「俺の分まで頑張ってくれよ。でも、俺が復帰したらライバルだからな」と目を見て話した。渡辺さんは涙が止まらず「この人には一生ついていこう」と決めたという。

伝説その1・新人刑事でただ一人太った

人間は走っている姿が一番美しい」メイン監督の竹林進氏の信念から、「太陽」の新人刑事は徹底的に走らされたという。

 演技経験がないまま大役に抜擢されたプレッシャーもあり、誰もがみるみる痩せていくというなかで、渡辺さんだけは痩せるどころか逆に太った。というのも、撮影にはファンから大量のお弁当の差し入れがあり、残らず一人で食べていたからだった。

 のちに井川刑事役で出演した地井武男さんは、バラエティで渡辺さんと再共演したときに「地井さんにはもう一生女の子からキャーキャー言われることはないでしょうね」とイヤミを言われて、悔しさに歯がゆい思いをしたというエピソードを語った。

伝説その2・明石家さんまが明かす馴れ初め

 1985年放送のドラマ『気になるあいつ』(日本テレビ系)で共演した明石家さんまが3日、『ヤングタウン土曜日』(MBS)で死去した渡辺さんについて、追悼と共に榊原郁恵さんとの馴れ初めを明かした。

 一度、渡辺さんが撮影先で食べ過ぎたためにロケが中止になり、救急車に搬送されたことがあった。そのとき、同乗していたのがまだ恋人関係でなかった郁恵さんだった。渡辺さんが点滴中に救命士に「救急車を止めてください。牛丼を食べたい」と言うと、郁恵さんは渡辺さんの頭をパンと叩いたという。

伝説その3・殉職シーンを笑いに変えた撮影秘話

 殉職シーンはそれぞれの刑事が印象的な最期を迎える最大のイベント。ラガー刑事はビルの屋上にいる狙撃犯と対決し、狙われたバスの乗客を守るため、狙撃犯と相打ちになり自らも被弾した。

 ラガーは血まみれになりながらエレベーターまで這いながら進む。殉職シーンでは「なんじゃあこりゃ」に代表されるように死ぬ寸前にセリフを言うその演技に注目が集まる。

 しかし、ラガーは仲間達がかけつけたときには既に息絶えていた。

 のちに撮影秘話では、当初はラガーが力尽きたエレベーターの前に仲間が駆け付けるはずだったのに、揺れ動くお腹を見て全員が爆笑して撮影にならなくなり、ラガーの亡骸に全員が寄り添うシーンへと変更されたと。さらに、撃たれて倒れたときにはズボンのお尻が破けてしまったという。

刑事ドラマの終焉とバラエティ全盛時代の幕開け

 渡辺さんが「太陽にほえろ!」を降板した翌年の86年5月、ボス・石原さんは再び病に侵され長期離脱を余儀なくされた。復帰を果たしたが、また体調が悪化し、ボスの降板と共に「太陽にほえろ!」は終了した。

 翌87年、7月石原さんは肝臓がんで52歳の若さで亡くなっている。石原さんは亡くなるまで渡辺さんの暴飲暴食を心配していたという。

「太陽にほえろ!」の終了と共にアクション刑事ドラマ時代は終わり、2時間ドラマ全盛時代を迎える。渡辺さんは活動を80年代末から、活躍の場をドラマからバラエティ番組に移していった。

 石原さんの甥であり1984年から「太陽」でマイコン刑事として渡辺さんと共演していた石原良純さんは、5日放送の『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)で、「新劇俳優としての経験がこれから活かされるときだったのにもったいない」とその才能を惜しんだ。その上で「太陽にほえろ!」が放送開始50周年を迎えた今年に関係者の集まりがあったが、渡辺さんは参加しなかったと語った。普段明るい渡辺さんが、体調が悪いことを心配されるのを気遣ったからではないかと推測していた。

止められなかった食欲

 渡辺さんのオフィシャルブログ「そこのけそこのけわたなべとおる」でも、ブログのネタは演劇と家族と食べ物。

 大病を経て食事制限をしていたにせよ、やはり「食べ物」への関心は忘れなかったようだ。思いっきり食べられる息子達を「うらやましい」と語っている。

 岡田プロデューサーは、「太陽にほえろ!」の回顧録でラガー刑事が活躍した時期を「ユーモア刑事の時代」と名づけている。渡辺さんは、テレビの比重がドラマからバラエティへ傾いていくときに現れた時代に愛されたスターだった。

 
61歳で亡くなった渡辺徹さん、舞台『今度は愛妻家』公開ゲネプロにて(2022年10月)

 

61歳で亡くなった渡辺徹さん、舞台『今度は愛妻家』公開ゲネプロにて(2022年10月)

 

'87年に放送されたふたりの結婚披露宴中継は40.1%という高視聴率をマーク

 

渡辺徹さんと榊原郁恵との夫婦舞台『いまさらふたりで』チラシ