1歳の愛子さまのご近影。東宮御所のお庭でご両親と遊ばれて。平成15(2003)年5月

 2023年6月に天皇皇后両陛下は結婚30周年をお迎えになる。1993年、雅子さまが結婚された当時、元々外務省のキャリアウーマンだった雅子さまに世間は大いに沸き、女性の憧れの的に。

 2001年には愛子さまが誕生され、子育てにも奮闘された。現在のご一家は“幸せな家族”のお手本のような存在である。「愛する人のために」陛下の強い覚悟に支えられ、一方では愛子さまを全力で守られてきた母親としての素顔。

 令和の国母・雅子さまの原動力は“家族との深い絆”だった。現在の天皇ご一家を長年取材してきた作家が、愛蔵版写真集『雅子さま 麗しき愛と絆 30年の輝き』(主婦と生活社刊)に寄せた珠玉エピソードを特別に全文掲載する。

 私が皇室番組を担当するようになったのは、愛子さまが誕生された平成13年からです。お産まれになった時から愛子さまはとてもチャーミングで、ご一家が幸せに包まれているご様子が強く印象に残っています。

 その反面、雅子さまは国民から“早く男子のお子さまを”というプレッシャーやストレスがかかり、『適応障害』を患われたのだと拝察します。ただ、今までの取材を通じて感じたのは、皇后として活躍される現在の雅子さまをこれまで支えてこられたのは、天皇陛下と愛子さまというご家族の“愛”だということです。

ご体調快方へのきっかけとは

 ご一家は長らく、日本女子スピードスケートの第一人者である長久保初枝さんに、スケートを習っておられました。陛下が小学生の時からです。長久保さんに取材した際、印象深いお話しをお聞きしました。雅子さまが療養中で愛子さまが5歳の時のこと。

 スケートの練習をしていた際、雅子さまがお疲れになり、リンク脇で休まれていたそうです。すると、気づいた愛子さまが「大丈夫?」といった様子で寄り添われていたと。母娘の愛情溢れる場面です。愛子さまは当時5歳にもかかわらず、お母さまのご体調を気遣われる場面を見た長久保さんは胸が熱くなったそうです。

ベルギーのフィリップ皇太子の結婚式に出席するため、ご出発するおふたり。平成11(1999)年12月

 まだ幼かったころの愛子さまと雅子さまのエピソードという意味では、ハープ奏者の長澤真澄さんから聞いたお話も印象に残っています。東宮御所(当時)で長澤さんがハープを演奏される際に、雅子さまが“静かに座って聴きましょうね”と、愛子さまを隣に座らせ“演奏する方を尊重しましょう”という姿勢だったそうです。一般の母親は“静かにしなさい”“座りなさい”と一方的な言い方になりがちですが、雅子さまは“一緒にしましょうね”と。療養中でも、母親としてきちんと責務を果たそうとされていたと感じましたし、それが雅子さま流の教育方法なのだと思いました。

 ご体調が快方に向かわれたきっかけは、平成18年のオランダでのご静養が大きく影響しているようです。ただ、先方から招待されたとはいえ、私的な療養のために海外を訪れた皇族は過去にいません。雅子さまが公務にお出になれなかった時期に海外で療養した場合、世間からの批判は避けられない。それでも行くと強い覚悟を持って陛下(当時皇太子)は決断されたのでしょう。

「雅子さんのことは僕が全力で一生お守りします」とプロポーズされた陛下ですが、お言葉どおりの行動をとられたのです。当然、オランダ訪問については上皇ご夫妻(当時両陛下)にも相談されたでしょうが「愛する人のために行く」という思いをお伝えしたのだと拝察します。オランダご滞在中の雅子さまは、とてもいい笑顔をしていらっしゃいましたし、それから少しずつ公務のお出ましが増えました。現在の雅子さまのご活躍を導いたのは、陛下の深い愛情なのです。

天皇陛下の優しい心遣い

 絆の強いご一家ですが、交流のある方々に取材すると、必ずと言っていいほど「会話が多いご家族」というお話をお聞きします。いかにコミュニケーションをとられているかは「洋服」でも読み取れます。

 両陛下は公務や式典などに出席される際、必ず陛下のネクタイと雅子さまのスーツの色を合わせていらっしゃるのです。例えば『植樹祭』では緑、『海づくり大会』は水色、『日系人大会』はオレンジ、『伊勢神宮』ご訪問はゴールドなど。愛子さまがいらっしゃる場合も、必ず“リンクコーデ”を意識されています。これは事前に“何色で合わせましょうか”とご家族で話し合われている証拠ですよね。しかも、それぞれの公務に沿われた色を選ばれていて、例えばお花の展示会では花よりも地味な色の洋服を選ばれて、主役を引き立てるように気を遣われているのです。

オランダでのご静養で王室の方々と。雅子さまにとってご体調が上向くきっかけに。平成18(2006)年8月

 雅子さまをいちばん近くで見守っておられる陛下は、本当にお優しい方。印象に残っているのは、雅子さまのハーバード大学時代から交流がある書道家の小川東洲先生のお話です。小川先生と奥さまは北海道に住まわれているのですが、両陛下が公務で北海道を訪れた時に、時間を作ってお会いする機会を設けたそうです。その際、陛下はあえて15分ほど遅れていらっしゃったというのです。先に到着した雅子さまが、小川さん夫婦と気兼ねなくお話しできるような場面をお作りになるためのお気遣いだったと、小川さんは語っておられました。

 もうひとつ、和歌に関するお話もお聞きしたことがあります。皇室では毎年の新年行事である『歌会始』以外にも、上皇上皇后、天皇皇后それぞれのお誕生日に際して事前にお題が決められます。宮内庁の御用掛で歌人の篠弘さんが雅子さまのお誕生日に際し、お題を相談したところ、陛下は「雅子に聞いてから」とおっしゃったそう。雅子さまと意見を交わしてからお題をご一緒に決めるというお優しい部分が垣間見えます。

愛子さまがお持ちの「皇族としての想像力」

 皇室に入られてからの雅子さまは、陛下からの愛情と優しさに包まれてきたことを実感されているから、ご自身も同じように「愛子を全力で守る」という覚悟を抱かれているのだと思います。ご一家の“愛の連鎖”が、理想の家族である所以なのではないでしょうか。ご結婚から今に至るまで陛下から受けた愛情があるからこそ、令和の皇后となった現在、陛下と同じように国民の幸せを願われていることに繋がっているのだと思います。

 愛子さまが学習院大学の文学部日本語日本文学科に進学されたのも、雅子さまの影響が大きいと思います。お父さまのお仕事の関係上、幼いころから海外生活が長かった雅子さまですが、お母さまである小和田優美子さんから「海外で生活するには日本のことを知らないと根無し草になってしまう」と教わっていたそうです。日本の伝統文化や美意識を学んで“日本人としてのアイデンティティー”を持つことが大切なのだと。

 愛子さまが成年皇族になられた後、外国の方と交流する場面は多い。その際に日本のことをよく理解していることが大事だと、雅子さまから教わっているのではないかと思います。雅子さまはハーバード大学時代に日本文化クラブを創設したり、外務省時代には和食を習うなど、日本を理解するように努めてこられました。日本文化のお話しも普段から聞いているでしょうから、愛子さまが日本文学科に進まれたのは自然な流れだったと思います。

成年会見に臨まれた愛子さまは、ユーモア溢れるお話やご家族とのエピソードも披露。令和4(2022)年3月

 そんな愛子さまが行われた成年会見は素晴らしかったですね。家族仲がとても良いということや、「長所はどこでも寝られるところ」といったユーモアを交えてお話しされていて……。会見を通して強く感じたのは、愛子さまは想像力が豊かな方だということです。皇族の方々は公務でいろいろな方と交流されます。

 その際に「この方はどんな人生を送ってこられたのだろう」と想像しながら交流する、ということが“心を寄せる”ということなのだと思います。公務に出たら終わりではなく、例えば式典が開かれるまでに多くの人が関わり、当日のために関係者の方々が万全の準備をしてきた過程を想像して思いを馳せる。愛子さまは、その想像力をすでにお持ちなのだと思いました。

 成年皇族になられた愛子さまは今後、内親王として公務に邁進されることでしょう。その時には、普段からコミュニケーションをとられているご両親に相談をしながら、立派なお姿を見せていただけると確信しています。両陛下は結婚30年という節目を迎えられますが、これからは愛子さまも含めた天皇ご一家で活躍されるお姿に、今から期待で胸を膨らませているところです。

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つげのり子さん

 

Profile つげのり子

2001年の愛子内親王ご誕生以来、皇室番組に携わり、現在テレビ東京・BSテレ東で放送中の「皇室の窓」で構成を担当。著書に『天皇家250年の血脈』(KADOKAWA)、『素顔の美智子さま』『素顔の雅子さま』『佳子さまの素顔』(河出書房新社)、『女帝のいた時代』(自由国民社)、構成に『天皇陛下のプロポーズ』(小学館、著者・織田和雄)がある。

 

 

 

'18年、学校の運動会で扇子を持ちながら『千本桜』の曲に合わせ同級生とダンスを披露された愛子さま

 

栃木県にある御料牧場へ。JR宇都宮駅で迎えられた雅子さまと愛子さまは手を繋がれて。平成20(2008)年5月

 

愛子さまのご誕生から103日目のお宮参りのため、母娘で皇居へご出発。平成14(2002)年3月