『まんが道』作者の藤子不二雄(A)先生

 去る10月、今年4月に亡くなられた藤子不二雄(A)(安孫子素雄)先生のお別れの会に参加させていただいた。

藤子不二雄(A)先生お別れの会で“息子”に再会

 安孫子先生といえば、『忍者ハットリくん』など数々の名作があるけれど、そのひとつに、手塚治虫先生にあこがれて漫画家を目指し、富山から上京する満賀道雄(藤子不二雄(A))と才野茂(藤子・F・不二雄)の姿を描いた『まんが道』がある。

 この『まんが道』。'86年にNHKの「銀河テレビ小説」枠でドラマ化され、満賀道雄役を竹本孝之さん、才野茂役を長江健次さん、そして手塚治虫役を江守徹さんが演じ、私も満賀道雄の母親である満賀君江を演じた、思い出深い作品。その後、先生のお姉さまや姪御さんとも親しく交流させていただいた。

 お別れの会へ行くと、久しぶりに竹本君と再会した。コロナ禍の影響ですっかり出無精になってしまった私は、懐かしい顔に会えて、本当にうれしかった。

 竹本君は当時からイケメンだったけど、50歳を過ぎた今もスラリとして相変わらずカッコよかった。

 現在彼は、俳優をするかたわら、園芸農家としても活躍しているそう。音楽も続けていると笑っていた(彼は当時からロックの王道を行くと言っていた)。

 お別れの会の後、竹本君に誘われ、会場近くの日比谷公園内にある老舗レストラン「日比谷松本楼」へ足を延ばした。結局、彼にごちそうになってしまい、道雄に親孝行してもらったと思うと感慨深かったなぁ。

 思い出話に花が咲き、当時のことをいろいろと思い出した。

 原作者である安孫子先生とは何度かお会いしているけれど、いちばん印象的だったのは、昭和が終わって間もないころの記憶。当時私は、NHKのドラマに出演していて、その日も収録を終え、玄関に向かっていると、血相を変えてこちらに向かってくる安孫子先生と鉢合わせになったことがあった。

「お久しぶりです。そんなに急いでどうされたんですか?」とあいさつをすると、安孫子先生は「手塚先生が亡くなられたんだ」とひと言だけ。NHKの中へと消えていった。

冨士眞奈美

 ドラマ『まんが道』の撮影は、実際に藤子不二雄両氏の故郷である富山県で行われた。厳密に言えば、高岡大仏で有名な高岡市(藤子・F・不二雄先生の故郷)でロケを行っていたんだけど、とても気持ちのいい場所で、私たちはすっかり高岡を気に入ってしまった。特に、旅館で食べたホタルイカの沖漬けの美味しかったこと! 東京に戻ってくるなり、私はその旅館・海老源さんにお礼の手紙を書いたほどだった。

 すると、すぐに返事が届き、

「そのホタルイカの沖漬けは当旅館が作っているものではないのですが、もしよろしければ私たちも作っているので、お召し上がりください」と、ホタルイカの沖漬けと塩辛などを送ってきてくださった。

 そのホタルイカも負けず劣らずの逸品。あまりに美味しいものだから、私は仲のよかった落合博満さんの奥さま・信子さんに、「食べてみて」と送ってしまった。信子さんもすっかり気に入ったみたいで、後日、「ホタルイカをまたお願い」と連絡してくださった。落合家を唸らせるくらいなんだから、ホントに美味しかったのよ。

 すっかりそのホタルイカに魅了された私は、その後も海老源さんのご夫妻とお手紙のやりとりをするなど、長らく交流が続いた。海老源さんの息子さんが結婚された際には、私は東京の披露宴に出席までしてしまったのだから、ホタルイカがつないでくれた縁に感謝よね。

 高岡市という言葉を聞くと、竹本君が演じた道雄と、安孫子先生のお姉さまや姪御さん、海老源さんのご夫妻などを思い出す。『まんが道』もドラマチックなお話だけど、『まんが道』から派生した思い出もドラマチック。事実は小説よりも奇なり──とはよく言ったものね。

冨士眞奈美(ふじ・まなみ)●静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。

(構成/我妻弘崇)