美智子さま88歳のお誕生日に公開された“手つなぎショット”(10月4日・赤坂)

 12月23日に、89歳の誕生日をお迎えになる上皇さま。今年を振り返ると、上皇ご夫妻にとって大きな変化があった。

「4月には、約2年間住まわれた港区高輪の仮御所から赤坂御用地の仙洞御所へ移られました」(皇室担当記者)

 お引っ越しの間は、葉山御用邸に2週間滞在された。

美智子さまのお誕生日が「絵本記念日」に

「'20年にコロナ禍になってからは“おこもり生活”を続けておられたため、久しぶりの遠出でした。ご静養中には、御用邸裏の海岸をおふたりで散策されたり、近隣のご友人宅を訪問されたり。地元住民と交流できる機会もあり、心安らぐ時間を過ごされたことでしょう」(同・記者)

 現在住まわれている赤坂御用地は、ご結婚後30年あまりを過ごされた思い出の地。ご夫妻は、散策や音読をなさるなど規則正しく穏やかな日々をお送りになっている。

「敷地内には秋篠宮邸もあるため、ご散策中に秋篠宮さまと遭遇し、歩きながら話されることも。そばにご家族がいて、心強く思われているようです」(上皇職関係者)

 8月には美智子さまが、右脚ふくらはぎに血栓ができる『深部静脈血栓症』と診断され、9月には上皇さまが白内障と緑内障の手術を受けられた。ご高齢の上皇ご夫妻に対し、ご友人などから体調面を案じる手紙が届くという。

 一方、絵本を通じて美智子さまと親しくなった、絵本の編集者の末盛千枝子さんは、来たる2023年に期待を寄せている。

「美智子さまが子ども時代の読書の思い出を回想された『橋をかける』という単行本が、ベトナム語に翻訳されて出版されています。この著書がきっかけとなり、ベトナムでは日本の絵本文化が広まり、美智子さまのお誕生日である10月20日が“ベトナム子どもの本の日”に制定されました。日本との外交関係樹立50周年となる来年、その前後を“絵本ウイーク”とし、イベントを行う予定だそうです」

 末盛さんが'19年に出版した『根っこと翼 皇后美智子さまという存在の輝き』(新潮社)という書籍も、ベトナム語への翻訳が進められている。

 うれしいニュースだけではない。10月に米寿をお迎えになった美智子さまのご近況について、宮内庁はこう発表した。

上皇ご夫妻から届いたグリーティングカード

《今年1月には、児童文学者で東京子ども図書館を設立した松岡享子さんが亡くなりました。(中略)ファッションデザイナーの三宅一生さん、森英恵さん、元内閣官房副長官で恩賜財団母子愛育会会長であった古川貞二郎さん始め多くの人々との別れを惜しまれました》

 11月25日には、上皇さまと美智子さまの“恋のキューピッド”として知られ『天皇陛下のプロポーズ』(小学館)の著者でもある織田和雄さんが87歳で亡くなった。1949年、織田さんの兄・正雄さんが上皇さまと同級生だったことを機に、皇居でのテニスの試合に招待されて以来、交流を続けていた。

「織田さんは、上皇さまの弟である常陸宮さまと同級生だったこともあり、“弟分”として可愛がられていました。上皇さまからは“ポケ”と呼ばれ、織田さんは“チャブさん”と呼び合う仲です。1957年、上皇ご夫妻が初めて出会われた軽井沢でのテニストーナメントに同席し、ご結婚に至るまで、おふたりの電話を取り次ぐ役割も担いました」(皇室ジャーナリスト)

1958年、軽井沢で夏休みを過ごした織田さん(右)と上皇ご夫妻(後列左が美智子さま)

 織田さんと定期的に会い、亡くなる直前にも食事をしたという『皇室の窓』(テレビ東京系)の放送作家・つげのり子さんは、平成時代に入っても続いた織田さんと上皇ご夫妻の交流について明かす。

「毎年、ご夫妻から届くグリーティングカードを、織田さんは大切に保管していました。はがきサイズの二つ折りカードで、表にはご家族の写真が貼られています。カードを開くと、上皇さまの文章に続く形で、美智子さまがメッセージを綴られているのがお決まりでした」

 上皇さま自筆の《新年おめでとう》から始まることが多かったため、つげさんが「年賀状」と表現すると、織田さんは否定し「グリーティングカード」だと強調した。
1960年、単身でアメリカに留学していた織田さんのもとに届いたカードには、美智子さまが流麗な字で次のように綴られている。

《日本を離れてお迎えになるお正月、お雑煮やオセチ料理をお送り出来ないのが残念でございます。(略)アメリカ流のテニスが教えて頂きたくて ご帰国を楽しみに楽しみにお待ちいたしてをります》

 美智子さまからの“エール”は、異国で暮らす織田さんにも伝わったことだろう。
上皇さまが皇太子だったころには、織田さんは東宮御所を訪れてテニスを楽しんだ。

美智子さまが懐かしんだ写真

「テニスの試合が終わるタイミングで、美智子さまがよくキャロットラペを振る舞われたそうです。千切りのニンジンをオイルとビネガー、塩などで味つけし、キンキンに冷やしてから出されるキャロットラペは絶品だったといいます。上皇さまのことを常にいちばんに考えていらした美智子さまらしいお心遣いが、織田さんは忘れられない様子でした」(つげさん、以下同)

 会うたびに喜々として上皇ご夫妻のお話をつげさんに披露してくれたという。

「おふたりとの出会い、そして結婚は、織田さんにとってもキラキラと輝く青春の1ページだったのだと思います。当時を思い出すと同時に、“もう戻れない”という一抹の寂しさも感じられましたね」

 そんな織田さんが、上皇ご夫妻と最後に面会されたのが'19年5月5日。

織田和雄さん(享年87)

「上皇ご夫妻が退位後初めての私的な外出で、東京ローンテニスクラブを訪問されたときのこと。ご夫妻の若かりしころの写真を、織田さんがお見せすると、美智子さまが“懐かしい……”と目を細められたといいます。とてもうれしかったようで、その話を何度もしてくれました」

 コロナ禍の影響もあり、それ以降はご夫妻と面会できないまま、天国へと旅立った。

「晩年も2日に1回は東京ローンテニスクラブを訪れ、元気に練習していた織田さんは、退位後の上皇ご夫妻の穏やかな暮らしを願いつつ、“またおふたりと一緒にテニスができたら”と話していました。卓球がお得意な上皇さまにご学友たちから“卓球台をプレゼントしたい”との夢も語っていましたが、残念ながら叶えられなかったようです」

 上皇ご夫妻の胸の中には、これからもずっと織田さんとの特別な思い出が残り続けることだろう。


つげ・のり子 2001年の愛子さまご誕生以来、皇室番組に携わり、現在テレビ東京・BSテレ東で放送中の『皇室の窓』で構成を担当。著書に『素顔の美智子さま』(河出書房新社)など