W杯の盛り上がりに大きく貢献したABEMA
今年のサッカーW杯は大いに盛り上がった。日本代表チームの大活躍に日本中が歓喜し、アルゼンチンがフランスと戦った壮絶な決勝戦は歴史に残る名勝負だった。
今回の日本でのW杯の盛り上がりに大きく貢献したのがABEMAだ。地上波テレビ局は高騰する放送権獲得に苦慮し、NHK・テレビ朝日・フジテレビが日本代表戦を中心に一部の試合を放送するだけになりかけていたのを、ABEMAが放映権獲得に名乗りをあげ全試合配信を宣言した。
W杯が始まると、ABEMAによる配信の便利さに多くの人が感心した。スマホやPCがあればどこでも視聴できるのは当然だが、アングルを変えて視聴できたり、過去の試合をフルでもハイライトでも振り返れる。本田圭佑の解説がサッカーファンには面白いと評判になり、矢部浩之や影山優佳などサッカーに詳しいタレントが試合の前後を盛り上げた。
さらにABEMAはテレビ受像機でも視聴できる。そこがこのスポーツの祭典を盛り上げた重要なポイントだ。サッカー観戦は大画面で楽しみたい。ABEMAでもその醍醐味が存分に味わえ、多くの人を満足させた。配信では数十秒の遅延が発生するのだが、それでもあえてテレビでABEMAのW杯を堪能した人も多かったようだ。
つまりABEMAはテレビでもスマホでも、W杯を見たい形で楽しめる徹底的に便利なテレビなのだ。
地上波テレビ放送より圧倒的に便利なのは、配信だからだ。放送はテレビでしか視聴できない。アングルを視聴者が選ぶなんて到底無理。でも配信は、楽しみ方が自由だ。
地上波テレビ局の放送は今年ようやくスマホでもリアルタイムで見られるようになった。だが民放はまだ夜の時間帯だけだ。ABEMAはインターネットテレビだから、最初からスマホで見る前提だし、今やテレビ受像機でも見ることができる。テレビ放送はテレビでしか見られないが、ネットテレビはネットでもテレビでも見られるのだ。
なんだ、インターネットテレビのほうが便利じゃないか。元々のテレビはなんて不便なんだ。今回のW杯を通じてそう感じた人は多いだろう。よく考えるとおかしな常識を、後生大事に守ってきたのが放送業界だった。
欧米ではテレビをネットでも普通に見ることができる。海外ドラマの主人公がニュースをPCで見る、そんなの当たり前のシーンだ。
日本の放送業界ではよく「放送と通信の融合を進めねば」という議論がされるが、欧米ではとっくに「放送も通信もない」のだ。インターネットが普及し始めた2000年代に欧米では議論を重ね「放送と通信は同じもの」として取り扱うことになった。
イギリスの公共放送BBCは2000年代後半にiPlayerを通じて放送番組をリアルタイムでもオンデマンドでも配信するようになった。BBCはその後も「先進的公共放送」として世界をリードし、先日はティム・デイビー会長が今後10年で放送をやめてオンラインのみにすると表明した。
日本のテレビ局はなぜこれほど遅れたのか
日本のテレビ局はやっとリアルタイム配信を始めたばかり。とてもじゃないが追いつけそうにない。なぜこれほど遅れたのか。
実は日本でも2000年代に「放送通信融合」が議論された。2005年に当時の竹中平蔵総務大臣のリードで「通信・放送の在り方に関する懇談会(通称・竹中懇)」が設置されている。翌年には総務省の研究会が通信・放送法制を「情報通信法」として一本化するよう提言した。「放送」「通信」という伝送路別の法制を「作る」「送る」などのレイヤー構造に変える考え方だ。そのまま進めば欧米と同じように放送と通信の区別はなくなっただろう。
ところが議論が進むうちになぜか後戻りしてしまい、「放送と通信の融合」は形にならなかった。ライブドアや楽天の買収騒動でIT企業を嫌悪した放送業界がこの動きを潰したせいだと言う人もいるが真相を私は知らない。
その後、「NHKによる放送のリアルタイム配信」にフォーカスした総務省の有識者会議「放送を巡る諸課題に関する検討会」が2015年から始まった。2020年まで6年間もかけ、紆余曲折ありつつ長々議論し、ようやくNHKプラスが2020年にスタートした。
この会議では、NHKがネットについて先行するのを阻止すべく「民業圧迫」を旗印に民放連と新聞協会がやいのやいの言ってなかなか進まなかった。なぜNHKがネットに力を入れると民業圧迫になるのかいつも明確な説明はないのだが、業界内で反対の強い声が上がると国民のメリットは後回しになってしまう。
リアルタイム配信は民放もやったほうがいいのになぜ反対するのか不思議だった。キー局も反対ムードだったが、ローカル局に特に反対論が強かった。これは迷信に怯える中世の人々のようなもので、理屈ではなく彼らはテレビの視聴率(=収入源)がネットに漏れると損害を被ると信じていたのだ。いまだにそう言う人はいる。
スマホでテレビが見られるようになっても今見ているテレビを消す人はいない。だから視聴率に影響はしないのだが、何しろ迷信を信じている旧時代の頭はまったく考えを変えない。
だが民放もキー局が2022年春から揃ってリアルタイム配信を夜に絞って始めた。視聴率に影響するほど利用されていないが、テレビ視聴率は今年これまでにないほど下がった。コロナ禍で動画配信をテレビで見るようになり、YouTubeやNetflixの視聴が高齢者にまで拡大したからだ。リアルタイム配信に足を踏み出せないでいたら、それとは違う方向から視聴率が下がってしまった。動画配信の利用はいずれ増えるのだから、放送局も早く取り組むべきだったのだが、迷信を信じていた人々は事態がいよいよ悪化しないとわからないのだ。
通信がいかに自由かを体感した放送業界
そんなこんなでネット進出を躊躇し、ネットを敵視してきた放送業界だが、今回のW杯では不思議とABEMAを敵扱いしていない。
「ABEMAのせいで放送の視聴率が落ちたじゃないか!」と、今までなら言いそうだ。だがむしろ、見習うべき存在と見ているようだ。テレビ全体の視聴率が下がり続け、ようやく自分たちの居場所が縮まっていることを実感しているのだと思う。動かなきゃダメなんじゃないか。そう感じていたところにABEMAのW杯中継で、通信がいかに自由かを体感している。放送にこだわっていたらいつの間にか自分で自分を狭い檻に閉じ込めていたことが、やっとわかってきたのだ。
実際、アメリカのテレビ局は放送による広告収入は伸びていないが、オンラインでの広告収入は伸びている。日本のテレビ局も早くやっておけば今頃違っただろうに。
ABEMAのW杯配信では、注目の試合ほど画質が下がった。トラフィックが集中すると映像品質に影響が出てしまう。そこが課題として残ったものの、ABEMAは存在感を高め信頼も得られたと思う。2016年の開設以来、事業単体では赤字を抱え、サイバーエージェントとしては好調のゲーム事業で支えてきた格好だ。だがW杯配信を機に広告メディアとして評価され、日常的に視聴する人が増えれば黒字化できるかもしれない。W杯配信によって、ABEMAは国民にとってのインフラとなり公共性を帯びたといえる。そしてそれは、ABEMAがメディアであるためには非常に重要な要素だ。
地上波テレビ局は逆に、放送番組をネットでも配信することが公共性を保つためには必要になってきている。国民として知るべき情報や見るべきコンテンツを、ネット中心に生活する人にも送り届けるのが新しい公共性だと私は思う。
進行中の総務省の有識者会議「公共放送ワーキンググループ」ではNHKのネット活用について民放連と新聞協会がまたもや「民業圧迫」を旗印に制限をかける意見を出している。いつまでそんな足の引っ張り合いをするのかと思う。国民の利益を考えれば、特に若い世代(=ネット世代)のために、NHKも民放も新聞も力を合わせてネットでのコンテンツ配信に取り組むべきに決まっている。「民業圧迫」を唱えることは、今や国民の利益に反することに気づいてほしい。
足を引っ張り合うのではなく、10年後20年後にメディアはどのような全体像になっているべきかを考えるときだ。その議論に参加しないメディアは、将来存在しなくなるだけだろう。2000年代に放送通信融合をないがしろにした過ちを認識し、大きな視野で議論してもらいたい。メディアの世界の新しい景色を、見たいものだ。
境 治(さかい おさむ)Osamu Sakai
メディアコンサルタント
1962年福岡市生まれ。東京大学文学部卒。I&S、フリーランス、ロボット、ビデオプロモーションなどを経て、2013年から再びフリーランス。エム・データ顧問研究員。有料マガジン「MediaBorder」発行人。著書に『拡張するテレビ』(宣伝会議)、『爆発的ヒットは“想い”から生まれる』(大和書房)など。Twitter:@sakaiosamu