イギリスのチャールズ国王の次男ヘンリー王子の暴露本『スペア(Spare)』が大きな波紋を呼んでいる。正式な発売日は1月10日だったが、数日前からリーク情報が流れ、本の販促ための王子のインタビュー動画もあいまって、イギリスのメディアはトップ扱いでその内容を報じてきた。
王室内の確執ばかりか、コカインの吸引、年上女性との性の初体験、アフガニスタン戦争従軍時に殺害した人数を告白するなど、あまりにも赤裸々な情報が満載。本の出版前にはネットフリックスで合計6時間にわたって妻メーガン妃とのアメリカでの生活の様子が配信され、これに続いたのが今回の本の出版である。
書名になっている「spare」とは国王の長男でヘンリー王子の兄のウィリアムが次の王位継承者になる一方で、自分はウィリアムの「予備」であった、という意味だが、動詞としては「~なしで済ます」という意味もある。これをもじって、イギリスの保守系大衆紙『デイリー・メール』は、6日付の1面で、ヘンリー王子よ、「もう勘弁してくれ!」(Spare Us!)と呼びかけた。「もうお腹いっぱい」「とにかく黙れ」という気持ちが充満するイギリスの雰囲気にぴったりだった。
暴露された内情
ヘンリー王子が『スペア』やいくつものインタビューで明らかにした、暴露事項を振り返ってよう。
兄ウィリアムとの確執
ヘンリー王子は2歳年上のウィリアム現皇太子とつねに比較され、「兄の予備」として王室内で扱われてきた。兄弟はライバル関係にあり、自身は相当の嫉妬心を抱いている。アメリカ人であるメーガン妃との結婚をめぐって口論となり、ウィリアムはヘンリー王子に暴力をふるったことがあったという。床にたたきつけられたヘンリー王子は「犬の餌皿に尻もちをついた」。
この「犬の餌皿に尻もち」は第三者からすると笑いを誘うが、ヘンリー王子は怒り心頭に発したという。
父親の愛情表現が不十分だった
1997年、王子の母親ダイアナ妃がフランスで交通事故死した時、これを王子に告げた父チャールズ(当時は皇太子)は王子を抱擁しなかった。
メーガン妃と自分を守らなかった
アフリカ系アメリカ人の血を引き、離婚経験がある元女優メーガン妃と自分についてのネガティブな報道がイギリスの大衆紙で続いた時、王室はこうした報道を止めようとしなかった。
ウィリアム皇太子とその妻キャサリン妃は自分たち夫妻を受け入れなかった
キャサリン妃はメーガン妃をライバル視し、冷たい態度を見せた。
父の妻カミラ王妃
父に対して、兄とともにカミラと結婚しないでほしいと懇願したが、父は受け入れなかった。メーガン妃と自分に対するネガティブな報道の情報源となったのはカミラ妃の側近だった。
麻薬の吸引
17歳でコカインを吸引した。
初体験は年上の女性だった
17歳で、あるパブの裏手にある野原で年上女性と初体験。女性は馬好きで彼を「若い種馬のように」扱った。素早い性交渉の後で、女性はヘンリー王子の「尻を叩いた」。
アフガニスタンで25人殺害した
王室の伝統として軍務に就いたヘンリー王子は、アフガニスタンに派遣され、攻撃ヘリコプター「アパッチ」の操縦士になった。この時、当時は反政府勢力だったタリバンの掃討作戦に従事し、「25人を殺害した」。当時はタリバンを人とは思わず、「チェスの駒」を盤上から取るような感覚で排除した。「後悔していない」。
そこまで明らかにする必要があったのか
ここに挙げた数々の暴露を読んで、皆さんはどう思われただろうか。
自伝の中で、ヘンリー王子は母ダイアナ妃の事故死によって精神的なダメージを受け、長年のトラウマになってきたこと、家族である王室からメーガン妃や自分に対して十分な支援がなかったこと、そしてメーガン妃と自分を「悪役」として描く、プライバシーを侵害するイギリスの大衆紙メディアへの怒りをあらわにしている。
「トラウマ」「家族からの支援の欠如」「プライバシー侵害」「ネガティブなメディア報道」を「王室の現状」とともに「自分の言葉で、正直に語りたかった」というヘンリー王子の主張には理解できる部分があるにしても、初体験で「尻を叩かれた」ことまで明らかにする必要があったのだろうか。また、戦場で殺戮は現実としても、数を特定する、あるいは「チェスの駒」という表現は配慮に欠けているのではないかという見方も出ている。
ヘンリー王子とメーガン妃は、今アメリカ在住だ。
暴露劇の激震が始まったのは、2020年1月。2018年に結婚した2人は、「シニア王族」としての公務を大幅に減らす、とソーシャルメディア上で発表した。王室への事前の通知はなかったという。
緊急家族会議が開かれ、エリザベス女王(2022年9月、死去)が引導を渡した。2020年3月一杯で王子夫妻は公務から一切引退する、という決定を下したのである。その後、夫妻はアメリカに移住した。
2021年3月、夫妻はアメリカの大物司会者オプラ・ウィンフリーによるインタビュー番組に出演し、メーガン妃が長男の妊娠中に王室のメンバーから人種差別的扱いを受けたと爆弾発言。イギリスでは「人種差別的」と見なされるのはタブー中のタブーだ。
さらに昨年12月には、ネットフリックスで夫妻のドキュメンタリー番組「ハリー&メーガン」の配信が始まった。この中で夫妻はウィリアム王子が夫妻の今後を考える家族会議の場で「大声で怒鳴った」と主張。大衆紙メディアの執拗な報道がイギリスを離れる大きな理由だったことも明らかにした。
「もう帰ってくるな」という反応も
筆者はドキュメンタリー配信後、イギリスのコメンテーターや一般市民の反応を観察した。市民の中にはヘンリー王子夫妻のファン層がいて、「素敵なカップル」とほめる人もいたが、専門家・コメンテーターのほとんどは「新しい材料がない」「これまでの繰り返し」「もう帰ってくるな」などの否定的な反応だった。
今回の本の発売前に掲載された各紙の関連記事についた読者によるコメント欄を読むと、「もう黙っていてほしい」「イギリスに戻ってこないで」「兄夫婦よりも小さい部屋を与えられたって?億万長者の暮らしをして、よく言うよな」など相当辛辣だ。
王室専門家たちはもっと慎重だ。
ウィリアムとヘンリー兄弟の本を書いた王室伝記家ロバート・レイシーは、こういう。ヘンリー王子は「王室を批判する暴露本を出したが、王室自体よりも自分自身の評判を傷つけることになったのではないか」(『フィナンシャル・タイムズ』、1月6日付)。「肝心なのは国王がどう振る舞うか。その家族の個人的な暴露はその人を貶める行為と解釈される」。
エリザベス女王の伝記を出した作家ウィリアム・ショークロスは「軍人として尊敬された人物が書いた本とは思えない」「イギリスの王室は国が誇る存在だ。ヘンリー王子夫妻がこれほど残酷に王室に損害を与えるとは」(同記事)と信じられない様子だ。
ヘンリー王子夫妻に対してイギリスより寛容とされるアメリカでもさまざまな反応が出ており、ロナルド・レーガン大統領の娘で『わが娘を愛せなかった大統領へ―虐待されたトラウマを癒すまで』を執筆したパティ・デイビス氏は、『ニューヨーク・タイムズ』に寄せたコラムで、「ヘンリー王子はウィリアム王子に殴られた時、『殴り返せ』と言われても、殴り返さなかったと主張しているが、今回やっていることは殴り返したことに等しい」と指摘。
自ら暴露本を出した経験から、家族との関係や今後の自身のためにも「もう黙ったほうがいい」と忠告。「すべてを共有する必要はない。それは沈黙が教えてくれる真実だ。ヘンリーは『沈黙という選択肢はない』と言い切っているようだが、私は謹んで、沈黙という選択肢を提案する」と書いている。
ヘンリー王子の支持率が急落
本発売後の世論調査ではないが、調査会社「ユーガブ」によると、昨年12月上旬時点でチャールズ国王の支持率は63%、ウィリアム王子は77%、ヘンリー王子は2011年からの支持率調査開始以降、最低の33%、メーガン妃も同様に最低で25%。ヘンリー王子の支持率はかつて70%から80%の間だったが、2020年1月に公務減少宣言をして以来、急速に下落した。
9日夜、イギリス内の一部の書店では『スペア』を入手するために多くの人が列を作り、10日になったとたんに、販売が開始された。
なぜ本を買ったのか。
「自分で読んで、どんなことが書かれているのかを確かめたかった」(ある購入者、BBC、1月10日)。「王室は秘密がいっぱい。真実を知りたかった」(別の購入者、同)。
8日夜に放送された、イギリス民放ITVのインタビューで、ヘンリー王子は「過去を振り返るのはこれでもうやめる。これからは将来を見つめたい」と話した。「今も父や兄を愛している。和解したい」とも。しかし、和解の前にヘンリー王子は「謝罪」も求めている。
イギリス王室の暴露ドラマは今後も続きそうだ。
小林 恭子(こばやし ぎんこ)Ginko Kobayashi
ジャーナリスト
成城大学文芸学部芸術学科(映画専攻)を卒業後、アメリカの投資銀行ファースト・ボストン(現クレディ・スイス)勤務を経て、読売新聞の英字日刊紙デイリー・ヨミウリ紙(現ジャパン・ニューズ紙)の記者となる。2002年、渡英。英国のメディアをジャーナリズムの観点からウォッチングするブログ「英国メディア・ウオッチ」を運営しながら、業界紙、雑誌などにメディア記事を執筆。