歌手クリスタル・ケイ(36)を女手ひとつで育ててきたシンシア。自身も歌手として活躍していた。還暦を迎え、波瀾万丈な半生を振り返る。
人気シンガー、クリスタル・ケイの母であり、自身もシンガーとして活躍するシンシア。在日韓国人3世として東京で生まれ、23歳のとき娘・クリスタルを出産。離婚後はシングルマザーとして、芸能事務所の代表として、娘と共に二人三脚で歩んできた。
人気シンガー、クリスタル・ケイの母・シンシア
「普通の母子関係とはちょっと違うかもしれません。英語で言うとWe only have each other。私たちは2人きり、ずっとお互いしかいなかったから。
仕事の話から恋愛相談まで、娘とは何でも話します。でも仕事もプライベートもずっと一緒で、息苦しいときもきっとあったと思いますよ。一緒に住んでいたころは、仕事帰りに2人でなじみのバーに寄ったりも。ひとりの時間が欲しいからか娘は時間差で遅れて家に帰ってくる、なんてこともよくありました(笑)」
母子の関係性が変わったのは6年前。娘を自身の個人事務所『グレートプロダクション』からEXILE HIROが会長を務める『LDH JAPAN』に移籍させ、自ら第一線を退いた。
「お嫁に行くまで全部やってあげようと」
「『LDH JAPAN』といえばEXILEや三代目 J SOUL BROTHERSさんらが所属する大手芸能事務所だから、娘には“お兄ちゃんがたくさんできていいじゃない?”と伝えました。
事務所に託して、ホッとしたという気持ちはあるけど、今もライブの前はまず娘とセットリストを相談して、MCで何を話すか2人で一緒に考えています。そこはあうんの呼吸で長くやってきたことなので、私にできることがあればしてあげられたらと思って……。
ステージにも基本的に立ち会います。目指すのはショーの精度で、いかに完璧なステージになるか、私は彼女にとってのベストを考えるだけ。感慨に浸っているような余裕はないけれど、曲を聴いていて一瞬ウルッとすることはありますね。それはお客様と同じ感覚かもしれません」
移籍を機に、娘は東京で、母は横浜で、おのおのひとり暮らしを始めた。二人三脚で歩んできた母子にとって、新たな人生の始まりだった。
「距離はできたけれど、寂しくはないですね。しょっちゅう連絡を取り合っているし。といっても相変わらず業務連絡がほとんどだけど(笑)。
結婚前から“もし娘が生まれたらお嫁に行くまで全部やってあげよう”と決めていて、今も実際そうしています。韓国ドラマを見ていると、よくお母さんが容器におかずを入れて持っていくじゃないですか。私も韓国の血なのか、やっぱりしちゃうんですよね。おかずをあれこれ作っては、娘の冷蔵庫にパンパンに詰めて(笑)」
女手ひとつで娘を育て、シンガーとして世に送り出し、今なお陰ながらサポートを続ける。そんな母に対し、娘のクリスタルも全幅の信頼を置く。
「娘は『何年もかけて経験しないとわからないことも、ママに聞けばすぐわかる。それはすごくありがたい』と言ってくれています。母として、女性として、シンガーの先輩として、娘にはやりたいことをとことん悔いなくやてほしい。
やっぱり娘が楽しそうにしているのが一番で、娘にもそう言ってきました。私自身ずっとそうしてきたし、だから娘が独立したとき、私ももう一度チャレンジしようと決めたんです」(次回に続く)
<取材・文/小野寺悦子>