2023年1月3日現在の大橋先生

「医者なのになぜ気づかなかったのかと言われると、身が縮む思いです。私は検査が苦手。嫌いやからと胃カメラも2~3年受けていませんでした。『がん検診や人間ドックをやっておけば』というのが、私の悔いというか反省です」

下血してジストが判明「胃なし人」になる

 そう話すのは、ホスピス緩和ケア医として終末期がん患者を多く診ていた大橋洋平先生。医療の世界は体力勝負のため、人一倍よく食べるが、運動習慣はゼロ。以前の体重は100kgを超えていた。

「今思えばストレスもあったんでしょうね。当直も多い常勤で働くのは体力的にきつくなり、50歳を越えてから退職し、非常勤になりました」

 医師生活30周年の2018年、6月4日の早朝、下血したことから大橋先生のがん闘病はスタートする。

「トイレに駆け込むと、鉄サビ臭のする大量の黒い下痢が出た。そのあとも続きました。『出血であってほしくない』と思う反面、かつて消化器内科をしていたこともあったので、胃から出血していることが多い、さらにがんである可能性が高いと思いました」

 翌朝、妻のあかねさんに車を運転してもらい、自身が働く海南病院に駆け込んだ。

 主治医から伝えられた胃カメラの結果は、おそらく消化管間質腫瘍「ジスト」とのことだった。

 ジストとは10万人に1人が発症するまれな悪性腫瘍。胃カメラやエコー、CTで発見される。また、胃がんは胃の内側にできるが、ジストは胃の壁伝いや胃壁の裏に広がる。

「恥ずかしながらジストにつての知識は乏しく、インターネットで検索して知りました。いわゆる胃がんと比べ、ほかの組織やリンパ節に転移することが少ないし、治療法もある。うれしくはないけれど、それは私にとってありがたいことでした」

 入院から11日後、手術で胃のほとんどを切除した。

「腫瘍の大きさが直径10cmもあったため、手術痕は約30cmと大きかったんです。術後は激痛が走り、高熱が出ました」

 2週間ほどで退院して「胃なし人」生活が始まった。体力をすぐ戻すのは難しいが、なんとかなると思っていた。

「解約寸前だったがん保険があったから、入院中の費用はなんとかなった。あれがなかったらとゾッとします。しかし、非常勤なので働かないと収入がない。元気になるためには少しでも食べなければと変に力が入っていました」

胃液の逆流で眠れない。妻にあたったことも

 退院して何よりつらかったのが、思うように食べられないことだった。雑炊を子ども用の茶碗で8割ほど食べただけで、吐き気。横になれば胸やけが始まり、胃液とだ液が混じった消化液が逆流した。

「鼻からも消化液が出るんですよ。逆流したあとも、消化液はいろんな物質が含まれるので喉がヒリヒリしたり、嫌な感じが残る。横になれないので手術から半年はほぼ毎日、寝るときに座ったまま夜を明かしました。今でも寝始めるときは横になれません」

 病理検査の結果、ジストの確定診断が下る。そのうえ、腫瘍の悪性度が高かった。

「再発や転移する可能性が高い現実を目にし、あとどのぐらい生きられるのかと。足元から崩れる思いでした」

 すぐに5年生存率が92%という抗がん剤「グリベック」での治療を開始した。

「でも8%は死ぬよねって思っちゃう。私の生存率はこのデータより低いはずだって」

 もともと下痢ぎみだったが、抗がん剤の副作用でさらに悪化。消化液の逆流もひどくなり、しゃっくりが増えた。

「おそらく胃の切除と抗がん剤の副作用が影響しているのだろうということで、薬も出してもらいましたが、ちっとも和らがない。だから1日7回の食事が拷問のようでした。妻が食事を運んでくると、『そんなん持ってくるな』と怒鳴ったりしていたんです」

あかねさんが作ってくれた、最近の食事。残すことも多いが、以前と比べたら食べられる量も種類も増えてきた

 医師として診ていた緩和ケア病棟の患者と、つい自分を重ねてしまっていた。

「データがあるわけではないけれど、食べられなくなった患者さんと、1か月ぐらいでお別れすることが多かったんです。『食べなきゃひと月で死ぬ』と焦っていました」

 3か月ほどたち、気分転換に外食するように。好きだった牛丼を完食できはしないが、妻と足を運んだ。

「妻には苦労をかけました。感謝を伝えると、笑って『しぶとく生きればええやん』と言うんです。そうやなと」

あかねさんが作ってくれた食事を頬張る、最近の大橋先生の様子

肝臓に転移、抗がん剤を飲んでいたのに

 ゆっくりしたペースで非常勤医師の仕事にも復帰。体重が40kg減った半年後の12月、ふと「あれっ、俺生きとるぞ」と思った。

「それでふぅっと全身の力が抜けたんです。胃なし人になって、一度の食事で食べられるのは小さなスプーンに米粒10個程度だけど、自分は生きたまま。どうせしっかり食べていても死ぬときは死ぬんだし、と。焦らなくなったら、やる気が出てきました」

 そんなときに朝日新聞の読者投稿欄が目に入り、がん闘病をつづった文章を送ってみた。それが掲載されて大きな反響を呼び、取材を受ける。

 妻の思いつきから「消化液が逆流してきたら、アクエリアスで押し流して飲み込む」という、逆流の対処法が見つかったことも大きかった。

「医学に基づいたもんじゃなく、あくまでも私の場合。なぜかアクエリアスで楽になりました(笑)。なんでも試してみて自分に合うものを見つけたらええやんと考えるように」

 しかし、腹部右上に鈍痛が出始め、2019年、CT検査で肝臓への転移が判明。

「グリベックを飲んでいたのにと妻は泣きました。私もショックでしたが、もう余命を意識するのはやめようと。転移の審判が下された4月8日を第1日として、生きて過ごした日々を“足し算”して生きていこうと決めました」

 胃の手術後が大変だったので手術はやめ、以前より強い抗がん剤「スーテント」を始めることにした。4週間服用し、2~3週間は服薬を休むという周期で行う。

「副作用が粘膜に出るんです。手のひらや足裏、お尻の穴とか。口の中はただれやすく、味覚も侵されます。歯磨き粉は通常のものが使えなくなり、最近、歯周病になりました」

 スーテントの薬代は大橋先生の場合、1日五千円ほど。高額療養費制度を利用しても治療費は月10万円を超える。

「正直、毎月だと厳しいです。それに再発や転移はめちゃくちゃ怖い。どこかが痛ければすぐ病院で検査していますよ。

 完治という奇跡は望めないけれども生きることは諦めたくない。2022年の元日、肝臓への転移から千日を突破しました。ご飯も10粒から、小さな茶碗の半分を食べられるようになったんです」

2021年1月3日時点の大橋先生

「人生おもしろおかしく生きたらええやん」

「私と同世代の男性は、いい意味でカッコつけたい人が大半かと。でも、私はカッコつけず、つらいと言います。カッコつけたところで今風のイケメンでもないし(笑)。

 それにしんどい、場合によっては弱いというのを自分の中にとどめすぎると、苦しゅうなってくる。いい患者になんて、ならなくていいんです。どんどん弱音を吐いて医療スタッフにも相談して」

 ひとりで悩むより、誰かに聞いてもらうことで「変えられないこと」や「諦めなくていいこと」を見極められ、楽になると話す。

「体重は今、73kg。下血から4年半たったので、ほかのがんが出る可能性もありますが、このまま二千日、三千日と人生の足し算を続けていければうれしいですね。私の場合は妻や息子がいたから今まで生きられた。2人の存在が自分を生かしている」

 とはいえ、自分は決して前向きなわけではないという。

「昔のようには食べられませんし、がん患者になって楽しくないこともいっぱいある。それでも、『人生、おもしろおかしく生きたらええやん』が私の信条なんです」

 還暦を迎える今年の目標は、近年呼ばれることが増えた講演会で、地元・愛知県以外の都道府県をできる限り回ることと、YouTubeを勉強して現状のことをもっと多くの人に発信することだ。

「講演には専属秘書の妻が同行するでしょうね(笑)。これまであんまりふたりで旅行に行けていなかったので、せっせと妻孝行したいと思います。そんな時間を得られたのも悪くないなと」

大橋洋平先生●59歳の緩和ケア医。JA愛知厚生連 海南病院・緩和ケア病棟にて非常勤医師を務める。現在は緩和ケア病棟に入る前の患者さんへの外来面談を担当している。近著に『緩和ケア医 がんを生きる31の奇跡』(双葉社)。妻と、現在は社会人になった息子との3人家族。