ブッチー武者(70)撮影/近藤陽介

 1980年代に一世を風靡した、伝説のお笑い番組『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)。ビートたけしや明石家さんまなど多くのお笑い芸人が出演し、「タケちゃんマン」「ブラックデビル」などの人気キャラクターを生み出し、約30%という最高視聴率を叩き出した、言わずと知れたお化け番組だ。土曜日の20時になると、テレビにくぎづけになった読者も多いだろう。

突然のスカウトで『オレたちひょうきん族』人気コーナーの“神様”に

 番組内の人気コーナーで印象に残っているのが、『ひょうきん懺悔室』ではないだろうか。番組内でNGを出したとき、出演者やスタッフが懺悔する。それに対して神様が○×を出し、×になると上から水が落ちてくる、番組のラストを飾る名物コーナーだ。豊かな表情で、その神様を演じていたのが、ブッチー武者(70)。神様が振り返る、お化け番組の“裏側”とは─。

「もともと長野から上京して設計事務所に勤めていたんですが、向いてないなぁと思っていたんです。そのうち役者関係の友人ができて、この世界に飛び込みました。NHKの『お笑いオンステージ』という番組でオーディションに受かり、お笑いの道へ。演芸場でレオナルド熊さんのコントを見て感激し、頼み込んで弟子になり、2年間ほどお世話になりました」

 転機が訪れたのはレオナルド熊さんの弟子を卒業したころ。日本テレビ系列のオーディション番組『お笑いスター誕生!!』に出演していた武者は、制作会社を通して、フジテレビのプロデューサーから声をかけられる。

「フジテレビに出向くと、懺悔のコーナーの説明と、神様になって◯×を判断する担当をしてほしいと。“セリフはないけど、表情豊かにやってほしい”と言われたんです。正直、そのときは番組内のコントに出演できるわけじゃないのか……とちょっとがっかりしましたね。

 今となっては選んでいただいて感謝なんですけど(笑)。後になって、なぜ私が選ばれたか聞いたら、理由は3つありました。まず、私が暇だったこと。次にギャラが安かったこと、そして適当なデブだったことです。今ならもっと太った芸人はたくさんいるでしょうけど」

キリスト教の団体からクレームが来ても…

ブッチー武者(70)撮影/近藤陽介

 当初は、各コーナーの収録中に、NGが出るたびに懺悔をさせていたという。そのため武者はいつでも出られるように、スタジオに朝8時入り。そして撮影が終わる24時過ぎまで白塗りの状態で待っていたそう。だから、忙しい芸人には頼めなかったのだ。

「始まって3週目に、どこかのキリスト教の団体からクレームがきたそうです。最初のころは十字架にはりつけにされたポーズでやっていましたからね。

 “このコーナーも終わりか”と思っていたら、プロデューサーが、“クレームがくるってことは面白いってことだよ。まだ続けるから”と。

 どうするのかと思ったら、十字架を外し、はりつけで左右に平行に伸ばした腕の位置を、斜めの角度にするっていうんです。深く考えもせず(笑)。今ならありえないことですが、何をやっても怖くない、面白いことならなんでもやっちゃえ、というノリが、当時はあったんでしょうね」

◯か×の判定には一切、忖度ナシ!

 やがてひょうきん懺悔室は、番組のラストを飾る名物コーナーになっていく。番組の“締め”ができたことで、骨組みがしっかりしてきたと同時に、視聴率はぐんぐん上がっていった。

『オレたちひょうきん族』は、それまでのテレビ番組では裏方に徹していた番組スタッフを表に出し、内輪ネタで盛り上がるのを、視聴者も楽しむという側面もあった。故・横澤彪プロデューサー(当時)が牧師役として出ていたのを記憶している人も多いだろう。

「○×の判定について、横澤さんが私に指示を出しているのではないかと思った方もいたようですが、すべて私の判断で忖度なくやっていました。もちろん、中には判断に迷うケースもありましたよ。一番迷ったのは、当時のフジテレビの編成局長(後の代表取締役会長)だった日枝さんのとき。懺悔の理由も、プロ野球中継が多すぎて『ひょうきん族』の放送がお休みになることが多いという、ビートたけしさんからの一方的な訴えでした。

 そのときはさすがに私も躊躇して、小声で牧師の横澤さんに“×でいいですか”って聞いたんです。でも、横澤さんは何も答えない(笑)。これはOKってことだなと判断して、×を出しました」

 芸人、スタッフ以外にも多くのタレントが懺悔していたが、印象深かったのは?

天地真理さんが来たときは、個人的な理由で迷いました。僕、大ファンなんですよ。でも“空気”があるじゃないですか、水をかけると面白いって。なので、×にしたんですけど、“あの天地真理さんにかけちゃった!”ってちょっと気持ちよくて(笑)

 荻野目洋子さんのときは、あまりにかわいくて、絶対に水をかけるわけにはいかないって、じゃじゃじゃーんって判定の音楽が終わらないうちに◯を出しちゃった」

ビートたけし、明石家さんまとの忘れられない思い出

ブッチー武者(70)撮影/近藤陽介

 タレント相手で本当に怖い思いをしたことも。

「出張懺悔というものもあって、女子プロレスラーのダンプ松本さんに水をかけたときは、竹刀を持って本気でどこまでも追いかけてきて。ロケバスにも逃げ込めず、ガードレールに足をぶつけて、擦り傷ができました。

 でも、基本的にみんな面白がっていました。NGが出ると“懺悔室に出られる”ってみんな喜ぶんですよ。水かぶるのに、おかしいでしょ。コーナーの撮影をしていると、あちこちから人がやってきて。ほかの番組の収録をしていた、松田聖子さんとか研ナオコさんなんかが遠巻きに見ていたりしていましたね

『ひょうきん族』で欠かせないのは、なんといってもビートたけしと明石家さんまの存在だ。武者は、撮影当時のことをこう話す。

あるとき私の撮影が終わって、全身の白塗りをシャワーで落としているとたけしさんが来て“これから飲むからおいでよ”と、誘ってくれたことがありました。そのとき、たけしさんに“お笑いってなんでしょうね”と聞いたら“お笑いっていうのはな、ガンジーみたいなもんだよ。無抵抗の抵抗だよ”と

 ガンジーはインド独立運動の指導者で、非暴力・不服従を徹底した人。権力に対するたけしの思いが込められた言葉はこう続く。

「“お笑いっていうのは平和の武器だぜ”と言ったんです。今でも印象に残っている言葉です。さんまさんは、昔からサービス精神旺盛で、本当にテレビで見るあのままの人。私の妻に“いつもお世話になっています”なんて言ってくれてね。番組に私をゲストで呼んでくれたりして、優しい人ですよ」

 番組が終了するまでの約7年間、“日雇い神様(本人談)”を務め上げた武者は、「人生かけて◯と×を出していましたよ」と笑う。

 '80年代ブームが到来している今、もう一度、当時のお笑いに触れてみるのもいいかもしれない!?

神様の布教活動「介護、認知症をオープンに語りたい」

ブッチー武者(70)撮影/近藤陽介

 ブッチー武者は2014年、劇団ZANGEを立ち上げ、認知症の高齢者介護を題材に舞台『生きる』を上演、全国を巡っている。昨年、記念すべき20回目公演を迎えた。

仲良くしている友人の母親が認知症になったのを目の当たりにしたのがきっかけです。友人のことをわが子だと認識できなくなっていて、知的なお母さんだったのでとてもせつなくなってね。これを他人事にしてはいけないと、お笑いや俳優仲間に声をかけたらみんな共感してくれて、舞台をやることにしました

 舞台は2006年に起きた、京都伏見介護殺人事件を題材にしている。当時50代の息子が、認知症の母親の介護によって生活苦に陥り、母親の首を絞めて殺害した事件だ。初公判で被告である息子による“母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい”という供述が紹介され、裁判官や刑務官が涙をこらえるような様子が見え、地裁が泣いた悲しい事件として知られている。

「介護をひとりで抱え込まず、もっとオープンに語れる世の中にしたいという思いがあるんです。重たいテーマを扱っていますが、絶対に目をそらしてはいけないこと。これからも公演回数を重ねていきたいですね」

ぶっちー・むしゃ お笑いタレント、俳優、劇団ZANGE代表。テレビや舞台などで活躍するほか、新宿歌舞伎町で『女無BAR(メンバー)懺悔の部屋』を経営

<取材・文/樋口由夏>

ブッチー武者(70)撮影/近藤陽介
片岡鶴太郎と山田邦子。『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)より

 

ビートたけしと明石家さんま。『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)より

 

ラサール石井。『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)より

 

島田紳助らが出演。『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)より