電源と制御コンピュータを内蔵したエレキソルトのお椀とスプーン(開発段階)。それぞれ単独での使用を想定。電源部は取り外し可能で、手入れが簡単。さらなる使用感の向上を目指し改良中

 電気の力でおいしく減塩ができる――そんな未来のアイテムが生まれようとしている。

エレキソルト(キリンホールディングス)

 健康志向の高まりで、近年拡大を続けている減塩・無塩食品市場。富士経済の調べでは、2015年から2020年にかけての5年間で約26%の成長を遂げ、2020年の市場規模は1413億円にも上ると予測されている。

 減塩需要がますます高まるなか、従来とは異なるアプローチから減塩を叶える“魔法の食器”が産声を上げた。キリンホールディングスが手がける『エレキソルト』だ。

「エレキソルトは、電気の力を使って減塩食の塩味を増強させることができる、新しいタイプの食器型デバイス。おいしく楽しく減塩食を続けるための補助ツールとなることを目指して、商品開発を目下進めているところです」

 そう語るのは、キリンホールディングス・ヘルスサイエンス事業部の佐藤愛さん。エレキソルト事業を起案した張本人だ。この商品開発の背景には、日本人の塩分過多という社会課題があるという。

「しょうゆや味噌といった調味料が、日本人の摂取塩分の7割を占めるとも言われています。お漬物や干物など、日本の食文化に深く根付いている保存食品にも塩は多用されていますし、加工食品や外食で塩分の摂取過多になってしまう人も多いです。

 厚生労働省のデータでは、日本人の1日の平均食塩摂取量は9.5gとなっており、WHO(世界保健機関)が掲げる食塩摂取基準の5.0gと比較しても非常に多くなっています」(佐藤さん、以下同)

 高血圧の予防やむくみ対策にも役立つ減塩志向は、シニア層だけでなく、美容や健康意識の高い若年層にも広がりを見せている。一方で、減塩と聞くと、どうしても味気なさや物足りなさをイメージしてしまう人は少なくない。

 減塩タイプの調味料を使ってみても、味に物足りなさを感じて使う量が増えたり、満足感が得られずに食べる量自体が多くなってしまったり……。減塩の落とし穴がここにある。

「減塩食がどんなものなのか、私自身も3か月ほど実践してみたのですが、食べ慣れない薄味の食事はかなりストレスフルだということがわかりました。

 実際に減塩食で食欲が落ちてしまう人は少なくないようで、我々の2021年の調査でも、減塩食の味に対して多くの人が不満を抱えていることが伺えます」

 そこで佐藤さんが目をつけたのは、電気の力で味覚をコントロールする「電気味覚」という新しい研究技術だ。

「キリンの研究員は業務の10~20%程度を担当業務に限らない自発的な研究に使わせてもらえるという制度があります。

 元々、ゲームやバーチャルリアリティといった領域に興味があり、その制度を活用しながらいろいろな学会や展示会に足を運ぶなかで、明治大学の宮下芳明先生が研究されている“電気味覚”と出合いました。

 電気信号で味覚に変化を与えるという研究は、減塩食の課題にも応用ができると思い、宮下先生に相談したことがエレキソルト開発のきっかけですね」

 2019年からは実際に共同研究が始まった。現在商品化が決まっているのはスプーンとお椀の2種類だ。どちらも使い方は簡単で、スプーンの柄と器の側面にある電源を入れて、好みの塩味の強度を選択。

 スプーンは持ち手部分に、お椀は底面にデバイスが組み込まれており、そこに触れながら普通に食事をするだけで、食品を介して電流の回路が形成され、味わいの変化を感じることができる。

電源と制御コンピュータを内蔵したエレキソルトのお椀とスプーン(開発段階)。それぞれ単独での使用を想定。電源部は取り外し可能で、手入れが簡単。さらなる使用感の向上を目指し改良中

味わいが激変する!電気味覚の面白さ

 実際に、エレキソルトのお椀を使って減塩みそ汁をいただいた。電源を入れ、お椀の底に手を添えた状態でみそ汁に口をつけると、側面にあるライトが点灯。その瞬間にやや淡白だったみそ汁の味わいがギュッと凝縮したように感じられた。

 ただ塩味が強くなったというよりは、コクが増して、味自体が濃くなった感じもする。お椀から口を離すと、みそ汁は元の味わいにスッと戻る。

 電流の強度を上げて再度試すと、味の変化自体はさらにはっきりと感じる一方、鉄っぽいような雑味も強くなった。

 同じ食品でも電気の力で味の感じ方が変わるという不思議な体験は、ちょっとした実験のようなワクワク感もあり、食事自体の楽しみも増すのではないか思う。

「試験用食品を使ったテストでは、エレキソルトの使用で塩味が約1・5倍に増強することがわかりました。もちろん味の感じ方には個人差があるため、現状は4段階の電流の強さを設定できるようにしています。

 ただ、電気の強度を上げると味の変化自体は強く感じられますが、人によってはちょっと雑味のほうが目立ってきてしまうということも。使う食品やご自身の体質に合わせて調整しながらご使用いただけるよう、商品設計を進めているところです」

 使用中は特に電流などは感じられなかったが、そもそもどのような仕組みで味の変化が起こっているのだろうか。

エレキソルトは人体に影響しないほどの極微弱な電気を用いて、塩味のもととなる塩化ナトリウムが持つイオンの動きを調整します。実際に食品自体の味を変えるのではなく、疑似的に食品の味を濃く、あるいは薄く感じさせるという技術。

スプーンは持ち手部分に、お椀は底面に電極があり、食品を通して舌との間で電流が循環する。回路ができている間は味の変化が感じられ、回路が遮断されると味は元に戻る
塩味のもととなるナトリウムイオンは通常は分散している状態(上)。ここに独自波形の電流を流して動きをコントロールすることで、舌でしっかりとした塩味を感じることが可能に(下)

 “ソルト”という名前ではありますが、実際にはうま味や酸味も同じようにイオン的な性質を持っていて、複合的に味を増強できるというのが特徴です。

 塩味がただ強く感じられるだけではなく、全体の味わいがより深く感じられるように独自の電流波形を開発しています」

 元々は箸型のデバイスを開発していたが、今回のスプーンとお椀はその進化版ともいえる商品。開発段階ではさまざまな課題も見えてきたという。

元々は箸型デバイスを開発していたが、減塩食のニーズが高いラーメンや汁ものにより適したお椀とスプーンというかたちに進化

「甘みや苦味などは電気的な性質を持っていないので、エレキソルトで甘みを調整したり、苦みを軽減したりということは難しいです。

 また、どのような食材でもうまく効果が表れるわけではなく、パンやナッツなどの水分が少ないものは効果が得にくいこともわかりました。

 逆に、減塩だと味が足りないと感じる人が多いラーメンやみそ汁、カレーなどは、エレキソルトを使うことで味の底上げも期待できるので、相性のいい食品だといえると思います

 商品開発に伴い、キリンとオレンジページが共同開発をしたレシピブックも作成。ラーメンからかきたま汁まで、エレキソルトの効果がより実感できる減塩メニューを紹介することで「身体にいい」と「おいしい」の両立を目指す。

 飲料メーカーとして数々の商品を販売するキリンだが、近年はヘルスサイエンス事業にも力を入れている。プラズマ乳酸菌を使った商品の研究などに代表されるように、既存の枠にとらわれない新規事業の創出を目指すなかで、エレキソルトも生まれた。

「健康のためにおいしいものを我慢するというのは、とても辛いことです。“おいしいをあきらめない”という基本的な考え方をもとに、食を通じた健康への貢献を続けていきたいと考えています」

 現在は、より使いやすい材質の選定やデザインの工夫、デバイスの微調整など、商品のブラッシュアップを進めており、発売は2023年末を予定しているという。今年の年末には「減塩」に新たな革命が起こるかもしれない。

(取材・文/吉信 武)