荻窪ラーメン・中華そばの代名詞『春木屋』は戦後に屋台から始まった(創業昭和24年)

  “ラーメン激戦区”として知られる東京・荻窪。‘80年代から人気のラーメン専門店が軒を連ね、東京におけるラーメンブームを巻き起こした。このラーメン人気に着想を得て生まれたのが、伊丹十三監督作品の映画『タンポポ』('85年)だ。

荻窪ラーメン・中華そばの代名詞『春木屋』の経営権が大手に

 当時から“荻窪ラーメン”また“中華そば”の代名詞的なラーメン店が、荻窪にある『春木屋』。創業は終戦4年後の昭和24年(1949年)。この春木屋の経営権が創業家からあの誰もが知る一大チェーン店に移ったという。

「春木屋は戦後に屋台から始まりました。当時、荻窪のある杉並区には多くの文豪・文化人が住んでおり、彼らによって“行きつけの店”と記されることも多々ありました。スープは煮干しと削り節の風味の立ったスッキリとした醤油味で、やや太めでスープの絡む自家製麺。“中華そば”という言葉でイメージされるそのものの味と言っていいでしょう。'80年代のブーム時には及ばないとしても、今でも週末は行列となっている大人気店です。

 お店の信条は、“「変わらない味」と言われるために変わり続ける”。味の根幹はブラさずにしつつ、時代によって変化していく客の舌に合わせて、味を変化させていくというものです」(ラーメンライター)

 そんな名店が、味だけでなく経営が変わった――。

「春木屋は長野県から上京した先代が開業したお店。そばで有名な長野出身ということで当初は日本そばのお店を開こうとしたようですが、開業資金がかかってしまうということでラーメン店となったそうです。二代目が跡を継いでいたのですが、経営権が創業家より移りました。取得したのはダイタンフード株式会社。同社は立ち食いそばの一大チェーン『名代富士そば』を運営する会社です」(同・ラーメンライター)

老舗有名店が買収されたように見えるが…

 字面だけ見ると“老舗有名店が巨大チェーンに買収された”というふうにも見えるが……。春木屋の常連客によると、春木屋は近年“変化”を見せていた。

「それまでは口頭で注文し、食後に料金を店員さんに直接支払うシステムでしたが、'20年に券売機が導入されました。そのころからか外国人店員さんが非常に増えていった印象です。

 とはいえ、これらが悪いなどとはまったく感じていません。春木屋さんは店員さんの接客がとてもしっかりしているお店です。店員さんは客のお冷に目を配っていて、無くなりそうになるとこちらから言わずともおかわりの声をかけてくれたりすごく気配りがある。荷物の置き場を気遣ってくれたり、寒い日は入り口から遠い、できるだけ寒くない奥の席に案内してくれたり。それは店員さんに外国人が多くなっても変わっていません。最近は店員の態度がツンケンしているラーメン店も少なくないので……。

 券売機は店側として売上の計算がしやすく、お金を直接やり取りしないので、コロナ対策にもなり衛生的ですし」(春木屋常連客)

 経営権が移ったのは、どうやら券売機が導入された頃ころだという。

経営権の譲渡は、富士そばのダイタンフード株式会社側から買収に至ったなどではなく、春木屋側から事業の継承の話が持ち込まれたとのことです。春木屋の二代目の店主さんは現在70代後半。後継者の問題もあり、ダイタンフード株式会社が事業を受け継ぐことになったそうです。

 これまで荻窪に本店、支店は吉祥寺、分店が郡山にありましたが、事業継承以降、川崎のフードコートにも支店ができました。『名代富士そば』の会社に経営が移ったことで、今後は店舗が増えていくかもしれませんね」(前出・ラーメンライター)

 “変わらない”ための、次なる変化は――。